鹿児島認知症ブログ

鹿児島でコウノメソッドや糖質制限を実践している脳神経外科医のブログ

患者にとって危険な医師。

レビー小体型認知症の方にドネペジルを新規処方、3週間で10mgまで増量し放置した脳神経内科医について書いた前回のブログを読まれた方からお手紙を頂いたので、一部抜粋して紹介する。

 

このケース、入院先の医師がやったことははっきり言うと犯罪です。

それはなぜかというと、2年前のDrugSafetyUpdateによる公的な添付文書の改訂・追記通達で「ドネペジルの増量でパーキンソニズムが悪化することがあるのでそういう場合はドネペジルの減量または中止を検討せよ」と追記されているからです。

 

それゆえ、この添付文書改訂・追記を知らずにこのような誤った医療行為をしているのであれば、これは製薬会社ではなく、処方した医師の責任だということです。

 

 

確かに、あの医師(Aと呼ぶことにする)の行為は犯罪的だったと思う。

 

DrugSafetyUpdate(DSU)とは

 

Aの犯罪的行為を振り返る前にまず、DrugSafetyUpdate(DSU)について紹介する。

 

これは、独立行政法人である医薬品医療機器総合機構(PMDA)が発行する医薬品安全対策情報のことで、市販後に分かった医薬品や医療機器の副作用や使用上(利用上)の注意点などについて、定期的に刊行されている。

 

DSU(医薬品安全対策情報) | 独立行政法人 医薬品医療機器総合機構

 

メーカーが主導する安全性や有効性を確認するための市販後調査や、臨床医からの報告などで注意すべき併用薬剤や副作用が明らかとなった場合、追記される形で添付文書は改訂される。

 

DSUの情報量はかなり多く全てを網羅するのは大変なのだが、自身の専門領域の薬や処方頻度の多い薬に関しては確認するようにしている。

 

特に、ドネペジルのような「劇薬」に関するDSUが届いたら必ず目を通す。

 

一般の人でも、また、医療関係者でも気にしていない人が多いのではないかと思うのだが、ドネペジルは劇薬である。決して、お気軽に出して(飲んで)良い薬ではない。

 

※劇薬・・・300mg/kg以下の経口摂取で命に関わりうる薬のこと
※毒薬・・・30mg/kg以下の経口摂取で命に関わりうる薬のこと

 

ちなみに、ドネペジル以外の抗認知症薬、陽性症状対策として頻用される抗精神病薬、鎮痛薬として頻用されるインドメタシン、嗜好物、または片頭痛治療として用いられるカフェイン、血糖値を下げるインスリンなど、全て劇薬である。

 

その薬が劇薬なのか毒薬なのかについては、添付文書の左上に記載されていることが多い。自分が飲んでいる薬が劇薬なのかどうか気になる方は、インターネットで調べてみると良いだろう。

 

ドネペジル 劇薬

ドネペジルの添付文書

 

ドネペジルに加えられた追記

 

次に、2019年3月に改訂されたドネペジルの添付文書追記項目を紹介する。

 

追記されたということは、ここに書かれた「重篤な症状に移行」という事態が臨床現場で複数例において確認されている、ということである。

 

⑵ レビー小体型認知症では、日常生活動作が制限される、あるいは薬物治療を要する程度の錐体外路障害を有する場合、本剤の投与により、錐体外路障害悪化の発現率が高まる傾向がみられていることから、重篤な症状に移行しないよう観察を十分に行い、症状に応じて減量又は中止など適切な処置を行うこと。(赤文字強調は筆者による)

 

Aが添付文書の追記を知っていたか否かが、犯罪性の有無に影響を与えるだろうか。

 

知っていたとしても、3週間以内に10mgまで増量することは通常認められていないのでアウト。

 

知っていたにも関わらず、頭痛や嚥下障害、錐体外路症状悪化に対応しなかったのであれば悪質極まりなく、これもアウト。

 

知らなかったとしたら、職務遂行上必要とされる重要な情報を得ていなかったこととなり、これは善管注意義務違反に該当すると思われるので、やはりアウト。

 

添付文書の追記を知っていようがいまいが、彼の行為の犯罪性は疑いようがない。

 

医師という職業が持つ加害性

 

医療者が注意を怠ったせいで患者に被害が生じた場合、それは「医療過誤」と呼ばれる。

 

医療過誤が起きた場合、患者や家族は民事と刑事、いずれにおいても病院(医療者)と争うことが出来るが、医療の専門性という分厚い壁に阻まれるためか、患者側の勝訴率は低いと聞く。

 

今回の事例では、ドネペジル10mgを中止することで幸いにも投与前の状態には戻ったので(中止したのはAではなく自分だが)、「業務上過失傷害」でAに刑事責任を問うても、患者側が勝訴する可能性は残念ながら低いだろう。

 

もっとも、患者さんや家族はAを訴える気はないようだが。

 

今後も、患者の痛みに無自覚なAから危害を受ける患者がいるのであろうと思うと胸が痛い。

 

面接は一応あるが、医学部受験の際に必要とされるのは人並み以上の記憶力と試験をパスする技術だけである。医師国家試験では面接すらない。

 

結果、「研究ならともかく、臨床やっちゃマズいだろ・・・」というレベルの強烈な発達の偏りがあったり、又はサイコパス的であったりする医師が一定数存在することになる。指導的立場にある医学部教授でも、とんでもない人物は普通にいる。

 

Aは、そんな医師の1人ということだが、彼が医師になる前からそうだったのか、それとも医師になってから変質したのかは分からない。個人的には、前者だったのではないかと考えている。

 

「医業が宿命的に持つ加害性」を意識せずに医を振るおうとする医師は、患者にとって危険極まりない。

 

全力を尽くしても患者を改善させられない時に感じる悔しさや無力感。何度説明しても家族に理解して貰えないときに感じる徒労感。日々の臨床は我々を成長させるが、すり減らしもする。

 

誰のための診断か?何のための診断なのか? - 鹿児島認知症ブログ

  

この職業を目指したときに掲げたはずの「病者の役に立ちたい」という善意を保ち続けるのは決して楽なことではない。明日は自分がAのような医師になっているかもしれない。

 

その時は、変質した自分に気づいて自ら身を退くことが出来るだろうか?

 

自分が患者にとって危険な医師になっていないか、Aのような医師に遭遇する度に考えさせられる。

 

 

www.ninchi-shou.com