若干の前傾姿勢に影のある表情から、初見でレビー小体型認知症だろうと推測することは難しくなかった。
Aさんは70代で独居の女性である。
幻視は病初期からあり、初めは「何かおかしなものが見えているな」という程度で折り合いがついていたのだが、徐々に
- 室内の椅子の上に生首があり、こちらを見ている
- 夜中にトイレに行くと、そこに何人もの人がいる
といった、やり過ごすことが難しい嫌な幻視が頻発するようになり、独居が困難となりつつあった。
幻に対して消臭スプレーを吹きかけたり、部屋のカーテンの色を変えたりポスターを貼ったりして見栄えを変えてみるなどの対処法を伝えて試して貰うも、決定打にはならず。
薬物療法も、プレタールや抑肝散は無効。クエチアピンは25mg以上使うと眠気で継続困難。フェルガード、Mガード、タキシフォリンなどのサプリメントもことごとく無効。
遠方で独居という固定条件の元、副作用発現を恐れてチャレンジングな投薬は極力控えていたので、ドネペジルは敢えて試していなかった。
少量リバスチグミンは試していたが、掻痒感とパーキンソン症状の増悪で早々に中止した。
環境を変えてみることは時にレビー小体型認知症の幻視にとって有効で、実際に娘さん宅に数日間泊まった際には幻視は出なかったのだが、現実的には今すぐ同居というわけにはいかなかった。
入院による薬剤調整を提案
幻視で疲弊し続けたAさんは、1年間で10kgも体重が落ちてしまった。
途中で人参養栄湯やプロマック、エンシュアリキッドなどの工夫をするも無効。少量ドグマチールはパーキンソニズムの軽度悪化をきたしたため中止。*1
あるときAさんに、
「入院して薬の調整をしてもらうのはどうでしょう?」
と提案したのは、自分としては敗北宣言のようなものだった。
ジリ貧だということは分かっていたが、さりとて妙案も残っていなかった。このままでは脱水や栄養不良で倒れてしまうという懸念も強くあった。
Aさんは渋々ではあったものの、家族の後押しもあり入院を了承してくれた。
入院生活は3週間だった。
そして。
退院の2日後に当院を受診したAさんを一目見て、後悔の念と同時に怒りが涌いた。
この、両者ない交ぜになった感情はこれまで幾度となく味わってきたが、未だに慣れることはない。
辛い入院生活
入院前よりも更に痩せたAさんは、左に大きく傾きながらヨロヨロと診察室に入り、ソファーに座り黙って固まったまま動かなかった。
Aさんに何が起きたかは、聞くまでもなかった。
レビー小体型認知症における認知症症状の進行抑制
通常、成人にはドネペジル塩酸塩として1日1回3mgから
開始し、1~2週間後に5mgに増量し、経口投与する。5mgで4週間以上経過後、10mgに増量する。なお、症状により5mgまで減量できる。(ドネペジルの添付文書より引用。赤文字強調は筆者によるもの。)
ハサミが悪いわけではなく、ハサミを凶器として用いる阿呆が悪い。道具に罪はない。
ドネペジルという薬が悪いわけではなく、ドネペジルで患者にどのような変化が起きるか、観察を怠る医者が悪いのである。
「お医者さんは、毎日ちょっと顔を見に来て『変わりないですね、様子をみましょう。』としか言わなかった。『頭が痛いです』と言っても、様子を見ましょうとしか言われなかった。
新しい薬が始まって、唾を飲み込むことが出来なくなった。それでも、看護師さんたち、私が薬を飲むまで横でジッと見ていたので、無理して飲むしかなかった。」
頭痛も嚥下困難も、10mgまで増やされたドネペジルの副作用であったろうに、それを医者に伝えても相手にして貰えず、薬を飲むまで看護師に見張られ続けた入院生活とは、控えめに言っても地獄であったろう。
自分が入院を勧めなければ、Aさんはこのような目に遭うことはなかった。
少量のリバスチグミンで副作用が出たことは勿論紹介状に書いておいたのだが、Aさんをこの状態で退院させる担当医なので、紹介状を真面目に読むことはなかったのだろう。
患者に興味のない医者
ドネペジル10mgで幻視が制御できることはある。それは否定しない。
ただし、それ即ち「レビー小体型認知症なら全員ドネペジル10mgを試すべき」とはならない。百歩譲って全員試したとしても、観察しなくていいことにはならない。
ドネペジルの添付文書を再掲する。
5mgで4週間以上経過後、10mgに増量する。なお、症状により5mgまで減量できる。
普通の国語力で読む限り、10mgまでの増量を当然とする記載である。これはこれで問題があるのだが、ここでは措く。
Aさんの入院期間は3週間である。3週間で10mgまで増やされ、パーキンソン症状が酷く悪化し頭痛を訴えていたにも関わらず、退院させられたのである。
そして、ご丁寧にも
今回の入院では目立った陽性症状がありませんでしたが、今後陽性症状が強く出現した場合は当院では対応しかねますので、精神科への紹介をご検討下さい*2
と、「今後診るつもりはない」と言わんばかりの返書が添えられていた。
さんざんな目に遭ったAさんだが、ではせめて幻視は改善したのだろうか?
家族は「減ったようだ」とは言っていたが、Aさんは物言うことすらかなわぬほど疲弊していた。
「Aさんは物を言えなくなり動けなくなりましたが、幻視の訴えは減りました」では冗談にもならない。
観察対象に興味がなければ観察という行為は成立しない。入院中の担当医は、Aさんに興味がなかったのだろう。
患者に興味のない医者がいる病院に紹介してしまった自分の不明*3を恥じても、Aさんの辛さは消えはしない。
改めてこれからAさんをフォローしていく自分に、果たして挽回のチャンスはあるのだろうか。 *4
患者の存在しない世界。 - 鹿児島認知症ブログ