もうだいぶ、昔の話。
ある50代女性の想い出
ある50代の女性Aさんが、当時勤務していた離島のある病院に救急搬送されてきた。
「3日前に突然頭痛が始まり、それからずっと頭が痛くて吐き続けている」とのことだった。
CTを撮ったところ、予想通りくも膜下出血だった。そして、出血源となった脳動脈瘤も見つかった。
破れた動脈瘤からの出血は通常すぐに止まるが、そのままにしておくと再び破裂する危険性がある。
くも膜下出血は、「10人中3〜4人は命に関わり、3〜4人は何らかの後遺症が残り、後遺症無く元気に社会復帰できるのは2〜3人」という重大な病気である。
くも膜下出血を起こした患者に対してまず必要なのは、再破裂を防止するための外科的手術で、手術の方法は
- 動脈瘤を直接顕微鏡で見ながら処置をする「開頭クリッピング術」
- 血管にカテーテルを入れて動脈瘤を詰める「血管内治療」
このいずれかである。
手術が終わった後は、今度は「脳血管攣縮期」に備えて血管を拡張させる薬と、血栓予防の薬を用いた点滴治療を開始する。
手術で再破裂予防処置をしていなければ、上記の標準的脳血管攣縮治療は行えない。点滴で再出血を促すことになってしまうからだ。
脳血管攣縮期とは、くも膜下出血を起こしてから4日目から14日目までに起きる、脳の血流が不安定になる時期のことを指す。
攣縮とは血管が痙攣性に収縮することだが、強く収縮すればするほど、脳血流が途絶え脳梗塞が起きる危険性が高くなる。脳梗塞を合併すれば当然、予後は悪くなる。
手術による血管への器械的刺激が脳血管攣縮を悪化させる可能性があるため、脳血管攣縮期には開頭手術は通常行わない。
つまり、くも膜下出血を発症して運ばれてきた患者が「発症から何日経過しているのか?」ということが、くも膜下出血の初期治療ではとても重要なのである。
既に脳血管攣縮期に入った状態で搬送されてきた患者は、攣縮期が終わった後に再破裂予防の手術をすることになるのだが、その間は脳血管攣縮によって脳梗塞を合併しても点滴治療を行うことは出来ず、ただひたすら
「再破裂を起こしませんように。脳梗塞を合併しませんように。」
と、祈りながら待つほかない。
Aさんの動脈瘤はカテーテル治療が難しく、また、発症から3日目と、開頭手術をするならギリギリのタイミングだった。
島内に身よりがいなかったため、島外で働く息子さんに電話で状況を説明し、承諾を得て手術に臨んだ。
しかし残念ながら回復はかなわなかった。
手術翌日に駆けつけた息子さんは、静かに経過説明を聴いていた。
そして、手術から約1週間後にAさんは亡くなった。
お見送りの際に息子さんからかけられた言葉は、
「先生は最善を尽くして下さったと思います。ありがとうございました。」
だった。
この時のことは、「自分にもっと技術があれば、助けることが出来たはず」という悔恨の念と共に、今でも時に想い出す。
ある60代男性の想い出
つい1時間ほど前に仕事中に突然倒れ、意識不明になったとのことで救急搬送された60代男性のBさん。
病院到着時で既に昏睡状態で、瞳孔不同も出現していた。
CTで映し出された巨大な脳出血を見て
「これは助からない」
と思った。
保存的に(手術はせずに)経過を診るつもりだったが、遅れて駆けつけたBさんの奥さんから、
「子ども達も夫の兄弟も、ほとんど島外にいるんです。何とか助けてやって下さい!」
と涙ながらに懇願された正にその瞬間、Bさんの呼吸が停止した。
脳出血が、呼吸を司る脳幹部まで及んだということである。
すぐに気管内にチューブを挿入し、アンビューバッグで呼吸補助を開始した。
「とても厳しい状態ですが・・・」
「それでも先生、何とか・・・!」
というやりとりを短く交わした後、手術室に駆け込み開頭血腫除去術を行った。
術後3日目のこと。
島外から駆けつけたBさんの姉は、物言わぬ弟と対面した。そして、
「こんな島で手術をするなんて信じられない。なぜヘリコプターでも何でも使って、島外に搬送しなかったのか。許せない!」
と叫んだ。
その様子を横目に見ながら、Bさんの奥さんはこう言った。
「先生には『何とか助けて欲しい』という私の心を汲んで頂いたと思います。厳しい状況だということは良くわかっています。最後まで宜しくお願いします。」
Bさんはその後意識を取り戻すことはなく、2週間後に亡くなった。助けることは、かなわなかった。
奥さんの気持ちに寄り添うことは出来たのかもしれないが、ではBさんの姉の気持ちに、自分はどう寄り添えばよかったのだろう?
未だに、その答えはわからない。
技術と共感と、哲学と
どのような医者にも、辛い経験の一つや二つはあるものだ。
お互い分かっていることだからだろうか、同業者同士集まっても、辛い経験を語り合い癒やし合うことは普通しない。
臨終を告げられ、人生最大の悲しみに襲われている家族を前にして、言葉にすることはないものの、我々医者も患者を喪った哀しみを飲み込み立ち尽くしている。
癌と宣告され、認知症と診断を告げられ、途方に暮れている患者や家族を前にして、言葉にすることはないものの、我々医者も暗澹たる想いを抱いている。
医者を続ける限り、延々と。延々と。
患者を救うには技術が、家族を救うには共感が必要である。
では、医者が自分自身を救うには?
目の前の患者から逃げずに、誠実に医者をやりきるには?
自身の経験から哲学を練り上げ、その哲学を持って自身を救っていく他ないだろう。
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