今日が勤務先での最終出勤日であった。
外来を終えた後に自分のクリニックに向かい、そこでCTやレントゲンなどの機材の確認を行った。いよいよという気分である。
外科医として過ごした日々
脳神経外科医としてキャリアをスタートし、多くの先輩後輩や職場のスタッフに導かれて経験を積んできた。
助けることが出来なかった方達のことを、時に思い出す。
手術で元気になった方や一命を取り留めた方達も数多くいたが、殆どは忘却の彼方である。良くなる人は、須く自らの生命力で良くなるものだと思っている。
それでも、泣きたいような、誇らしいような気持ちで思い出す患者さんはいる。
ある青年の思い出
医者になって3年目の頃の記憶。
脳動静脈奇形(AVM)からの少量の出血で救急搬入となった青年。幸い症状は軽度の頭痛のみで麻痺などはなかった。
AVMは深部基底核に存在しており、手術で積極的に手を出せる場所ではなかった。また、その青年は近日ある国家資格試験を受験する予定となっていたため、今回の入院では脳血管撮影でAVMを正確に把握し、保存的に血圧管理を行うに留めることとなった。
部屋を訪れるたびに、
先生、退院まだですかぁ?友人達がどれだけ勉強が進んでいるか分からないのは結構不安です。まあ、他にやることがないから集中して勉強できるのはいいんですけど(笑)
と、彼は屈託のない笑顔で話していた。
退院を明日に控えた夜。たまたま自分は当直をしていたのだが、消灯後の夜9時過ぎにその青年が頭を抑えながらナースステーションにフラフラ歩いてきた。
頭が痛いです・・・
そう呟いて、青年はその場で倒れた。
何度もCTを撮影した夜
急いで頭部CTを撮影したところ、再出血を起こしていた。意識レベルはJCSⅠ-3で軽い右片麻痺が出現していた。
ご家族に状況を説明しているその場で、今度は痙攣が出現。再びCTを撮ったところ、明らかに出血が増大していた。この時の意識レベルはJCSⅡ-20。右片麻痺が更に悪化していた。
その後、状況が悪化するたびにCTを撮影したが、何度行ったかは覚えていない。
「どうしたらいいんだ・・・?」という想いと、「ご家族にどう説明したらいいんだ・・・?」という想いがグルグルと頭を巡っていた。
経過は逐一、当時のオーベン(上級医)に報告した。オーベンの答えは
「基底核AVMの大出血なら、それはもう厳しいだろう」
というものであった。
これは脳神経外科医にとっては常識というものであり、深部基底核AVMの大出血には通常手は出せない。そして、家族にもそのように説明した。
家族も自分も一睡もすることなく、朝を迎えた。この時の彼の意識レベルはJCSⅢ-200。昏睡状態であった。
カンファレンスで部長に直訴
その当時勤務していた病院(以下S病院)では毎朝、新患と術前患者のカンファレンスがあった。
決められたプレゼンテーションの順番に割り込む形で自分が提案したのは、定位的血腫除去術という方法だった。
局所麻酔下で行う定位的血腫除去術は、脳神経外科領域では身体への負担は比較的軽い手術である。
(永寿総合病院ホームページより)
拡大した血腫は被殻〜島皮質を超えて一部脳表に達しています。開頭血腫除去術は困難でも、AVMの存在する深部基底核を大きく外した箇所だけでも定位的血腫除去で減圧する意義はないでしょうか?
とプレゼンしたのだが、カンファレンスの空気は重苦しいものであった。
その時部長が言った言葉が、自分は今でも忘れられない。
その子をどうしても助けたいんだな?じゃあ、やるべきことをやるしかないだろう?
何とか一命を取り留めた、その後・・・
その後、急いで家族の了承を得て手術を行った。
手術は幸い無事に終わったが、術後に感染症を合併したり、何度も中心静脈カテーテルを交換したり、続発性水頭症が中々落ち着かずに何度も脳室ドレーンを入れ替えたりなど、様々なピンチがあった。
それでも何とか彼が乗り越えてくれたのは、やはり若く体力があったからだと思う。リハビリ目的で転院していくところを見届けた後、自分も転勤となった。
当然ではあるが、青年はその年の国家試験は受験できなかった。転院時の意識レベルはJCSⅠ-3からⅡ-10。発語はなく意思疎通も出来なかった。
驚きの報告に絶句・・・
新たな赴任先で仕事が始まりしばらく経った頃、S病院の看護師さんから連絡があった。
先生、〇〇君覚えている?この間、自分で歩いて病院に挨拶に来たよ。「先生はいますか?」って!
言葉に詰まった。
「僕は当時のことは全く思い出せないんだけど、母親から先生がアンタを助けたんだよ!って聞きました。今日は挨拶に来たんですけど残念です。よろしくお伝え下さい」ってさ!ちゃんと伝えたからね!
10年以上昔のことだが、大体このような内容であったと記憶している。AVMはその後、血管内治療とγナイフ治療が行われ、幸い再出血を来すことなく経過しているとのことであった。
この経験が、その後の自分を規定したと今でも思っている。
平成28年4月から切る、新たなスタート
明日の手術の事を考えて眠れぬ夜を過ごしたり、当直で一睡も出来ないまま手術に入ったり、手術中のピンチに冷や汗を掻いたり、術後管理に頭を悩ませたり、酔っ払いに罵倒されながら傷の縫合をしたりする生活は、今日で終わった。
一抹の寂しさはある。
特に手術から離れるということに対する寂しさは、恐らく一生続く気がする。事前に入念にデザインして臨んだ手術で思いどおりに成果が出せた時の達成感や、術中に見舞われたピンチを乗り切った後に得られる爽快感こそ、外科医をやっている醍醐味と言えた。ここから離れることは、やはり寂しい。
今後は、外科医を続けながらでは到達することが難しいと感じた領域に足を踏み入れていく。
これまでの全ての経験に感謝して、自分のやるべき事をやり続ける。
自分が見たい現実を自分で作り出すべく、やり続ける。
(Wikipediaより引用改変)