先日、「脳が疲労しているので調べて欲しい」という男性が、一人で当院を受診した。頭痛ではなく、「脳が疲労している」である。
- 親との関係形成の未熟さ
- 過度とも思える医師への阿り
- 急に頭を抱えてうめき出す芝居がかった行動
このような特徴から、「衝動性の強いボーダー*1なのかな?」と考えた。
ASRS*2のA partで引っかかりはなく、聞けた範囲での生活歴からはADHDを強く疑うことは難しかった。また、訂正不能で確信的な妄想は認めなかったので、統合失調症の可能性についても何とも言えなかった。
いずれにしても今の自分の手には余ると思われたので、本人が心配していた頭蓋内の器質的病変は認めないという説明をして、特に診断は告げずに診察を終えた。
その後、待合室でその男性はブツブツと独り言を言いながら会計待ちをしていたとスタッフから聞いた。
支援の手立てを持たないのであれば、うかつに「推測診断」は伝えない方がよい
発達障害を学ぶことで自分の診療フィールドは拡がったが、そのことと「発達障害が治療できる」ということは、また別の話である。
ただ、発達障害の勉強の過程で学んだ疾患特性を認知症にフィードバックすることで、変性疾患に対する個人的な理解は深まったようには思う。
認知症診療で抗認知症薬の限界と有害事象を数多く見てきたことは、発達障害診療で役に立っている。具体的には、「アルツハイマー型認知症≒抗認知症薬処方」のような短絡を「ADHD≒ストラテラ・コンサータ処方」みたいな形で行うことがない、ということである。
結果、診断・投薬に前のめりになり過ぎてイタイ目を見ることは殆ど無い。
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これは「過剰診断に気をつけている」ということとほぼ同義なのだが、同時に「過少診断により治療の機会を奪っていないか?」ということは、今後自分の課題として在り続けると思っている。
漫然と続いている他院の抗うつ薬や抗不安薬を減量・中止することは、その背景にADHDがあれば比較的容易に出来ることが分かったのは、発達障害の勉強をしたからこそだと思っている。*3
不注意や多動、衝動性などは何もADHDに限ることではなく、境界型パーソナリティ障害でも躁うつ病でも、言ってしまえば認知症でも起きることである。認知症では日常茶飯事と言ってもよいぐらいだ。
認知症の中核症状である記憶障害や遂行機能障害は、発達障害における不注意や衝動性などの「特性」と置き換えて考えると分かりやすい。
「認知障害を起こしている」という点においては、認知症も発達障害も同じなのである。自分にとって両者の違いとは、経時的に悪化するかしないかだけと言ってもよい。*4
ASDと前頭側頭型認知症。不注意優性型のADHDとアルツハイマー病。各々年齢を考慮しなければ、臨床的な表現型には驚くほど類似点が多い。
潜在的患者数*5の多さを考えるとADHDからアルツハイマーへと移行していく人など少なからずいるだろうと考えると、鑑別することの意義からして改めて考え直す必要がありそうだ。
ところで、冒頭に挙げた青年は、精神科診療領域のどのカテゴリーに入るのだろう。
自分には分からなかったので、本人に「診断(≒病名)」は告げなかった。というより、告げられなかった。その後の治療や支援の仕方も分からないまま、推測に過ぎない診断名だけ告知するということは無責任だと思うからである。*6
診断告知という行為は、特に精神科領域の場合は、それが正診だったにしろ誤診だったにしろ、本人や家族にスティグマ*7を埋め込んでしまう可能性が常にある。
病理学的確定診断とはほど遠い曖昧な世界で仕事をしているという自覚は忘れないようにしているが、診断告知から診療に繋げられない症例を経験する度に「何も出来なかった」という無力感は少なからず残る。