鹿児島認知症ブログ

鹿児島でコウノメソッドや糖質制限を実践している脳神経外科医のブログ

『「治る認知症」見つける事前検査、7割行われず』というニュース。

 朝日新聞DIGITAL2018年8月26日版より引用。

甲状腺機能検査は学会推奨?

 

上記リンク先は登録しないと全文読めないので、適宜抜粋して紹介し、所感を述べる。 

 

認知症と診断されて抗認知症薬が処方されたケースのうち、7割は学会が推奨している甲状腺の機能低下の検査を事前にしていなかったことが、医療経済研究機構などの調査でわかった。

 

まずは、『7割は学会が推奨している甲状腺の機能低下の検査を事前にしていなかった』というお叱りの言葉で始まる。スイマセン、私もルーチンでは調べておりません<(_ _)>

 

甲状腺機能が低下すると認知機能低下や抑うつをきたすことがある(必ずきたす訳ではない)、ということを知らない医者はいないはずだが、「認知機能低下=甲状腺機能低下症」と短絡する医者もまた、そうはいないだろう。

 

  • むくみ
  • 乾燥肌、抜け毛
  • 食欲低下、体重増
  • 徐脈傾向
  • 甲状腺腫脹

 

甲状腺機能低下が疑われる上記の症状、また一般採血におけるLDLコレステロール値の大幅な上昇を確認したら、採血で甲状腺ホルモン値(FT3、FT4、そして甲状腺刺激ホルモンTSH)を調べる。

 

そして、FT4の低下とTSHの上昇を認めたら、「顕性甲状腺機能低下症」と診断する。これが診断までの一般的な流れである。

 

上記の様な甲状腺機能低下症状を示さない、つまり、採血でFT4は基準範囲内、TSHのみ上昇を示す「潜在性甲状腺機能低下症」という病態もあるが、潜在性甲状腺機能低下症に対してホルモン剤投与を行った方がよいのかどうかに関しては、明確なコンセンサスはない

 

ここから先は、比較的診断を付けやすい「顕性」甲状腺機能低下症ではなく、潜在的に数が多いと言われる「潜在性」甲状腺機能低下症について論を進めていく。

 

認知症疾患診療ガイドライン2017には、甲状腺機能低下症に言及した以下の様な記載がある。 

 

顕性甲状腺機能低下症は、認知機能障害や抑うつ症状をきたす。潜在性甲状腺機能低下症については、認知機能に明らかな影響はないという報告が多いが、一定の見解はない。橋本脳症では、旧姓の意識障害、せん妄、幻覚などの精神症状、認知機能障害、慢性の症状では抑うつ症状や不安を認める。(同ガイドラインp342より引用、赤文字強調は筆者によるもの)

 

この記載に付けられたエビデンスレベルは「C」。エビデンス総体としての強さは「弱」である。「弱」のエビデンスは、果たして学会推奨レベルと言えるのかどうか。

 

ニュースの引用に戻る。 

 

認知機能の低下が甲状腺機能の問題であれば抗認知症薬なしで改善が望める。検査しなかったことで、本来は必要ない人に薬が処方された可能性がある。

 

認知機能の低下が甲状腺機能の問題のみであれば、確かに甲状腺ホルモン剤で認知機能改善が望める。そうすると、認知機能低下をきたすほどの甲状腺機能低下症がどれほどの頻度で起きるのかを検討する必要が出てくるが、それについては後述する。

 

カジュアルな薬と化した抗認知症薬が、本来必要ない人達に処方されている問題は、甲状腺云々とは別で指摘しておく必要はある。

 

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「治る認知症」の鑑別は必要だが・・・ 

 

 アリセプトなど4種類の抗認知症薬はアルツハイマー病などに処方される。ただ病気自体は治せず、症状の進行を抑えるだけだ。一方、認知症の中には脳の一部が圧迫を受けているなど、対処すれば大きく改善する例もあり、「治る認知症」と呼ばれている。甲状腺の機能低下もその一つ。血液検査で判別でき、ホルモン薬で治療できる。日本神経学会は指針で、治療可能な認知症を見逃さないよう、診断に際して検査を推奨している。

 

いわゆるtreatable dementiaと呼ばれる「治る認知症」。甲状腺機能低下症の他には慢性硬膜下血腫や正常圧水頭症などが、「治る認知症」と呼ばれている。治る認知症を積極的に拾い上げる努力は確かに必要で、そのために最も必要なのはCTやMRIなどの頭部画像評価である。 

 

 同機構の佐方信夫主任研究員らは2015年4月から16年3月にかけて認知症と診断され、抗認知症薬を新たに処方された65歳以上の約26万2千人を調べた。処方前に甲状腺機能の検査がどの程度されていたかを厚生労働省のデータベースでみたところ、32・6%にとどまっていた。専門施設の認知症疾患医療センターでは57%だったのに対し、診療所では26%だった。また高齢の患者ほど検査を受けていない傾向があった。

 

認知症発症の最大のリスクは「加齢」。高齢であればあるほど認知症有病率が高まる。

 

よって、甲状腺機能低下が認知機能低下の主原因と最初から強く疑われない限りは、抗認知症薬投与前に甲状腺ホルモンを調べられなくてもおかしくはない。若年女性で認知機能が低下していたら、変性性認知症以外の可能性もひとまず疑って甲状腺ホルモンを調べることはある。  

 

 認知症とされた人の2・6%が甲状腺の機能が低下していたという海外の報告がある。こうした人は、本来なら不必要な抗認知症薬による吐き気などの副作用を受けるおそれがある。佐方さんは「甲状腺の機能が落ちると、疲労感や筋力の低下を招くこともある。検査をしなければ対処する機会も失われてしまう」と話す。

 

海外の報告によると、認知症とされた人の2.6%が甲状腺機能が低下していたらしい。

 

出典は掲載されていなかったので詳細不明だが、我が国の15歳以上の人口のうち、潜在性甲状腺機能低下症は4.3%、顕性甲状腺機能低下症は0.60%を占めると言われている。*1ことから考えると、大げさな数字とは言えない。

 

これは恐らく、「変性性認知症を患い、かつ、甲状腺機能低下症も患っていた人が、認知症とされた人の2.6%を占めていた」ということであり、『認知症とされた人の2.6%が甲状腺機能低下のみが原因の認知機能低下をきたしていた』ということではないというのが、経験に照らし合わせた自分の見解である。

 

そうすると、「ガンと診断された人の2.6%が甲状腺機能が低下していた」と言い換えても意味は同じになる。

 

「治る認知症」としての甲状腺機能低下症が、全ての認知症患者の2.6%を占めるなどということは、自分の経験ではまずあり得ない。 

 

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検査に必要なコストは度外視なのか?

 

 相模原市認知症疾患医療センター長代理の大石智(さとる)・北里大診療講師(精神科)は「本来なら、この検査は可能な限り全例で実施されるべきだ。いわゆる『治る認知症』かどうかの鑑別が不十分なまま、抗認知症薬が安易に処方されたと思われる例を多く経験するが、今回のデータはその実態を示しているのではないか」と話している。

 

自分の臨床で感じるところでは、「治る認知症かどうかの鑑別が不十分」というよりも、認知症の病型を問わず、また、加齢に伴う認知機能低下を考慮せずに抗認知症薬が処方されていることの方が圧倒的に多い。「治る認知症」を鑑別する必要は勿論あるが、頻度的に見逃しが多いのは圧倒的に「正常圧水頭症」である

 

コストの問題も考えなくてはならない。

 

医者でなければ知らない人が殆どだろうが、甲状腺ホルモンに限らず、病院で何かを検査するには、必ず理由が必要である。理由とは即ち「病名」である。

 

頭のMRIやCTを撮影するには、「アルツハイマー病(疑い)」や「脳梗塞」といった病名が必要だし、採血をして甲状腺ホルモンを調べるには「甲状腺機能低下症(疑い)」といった病名を付けなくては保険が通らない。保険が通らない検査(≒病院の収入にならない)を、研究目的ならいざ知らず、ボランティアで行う病院など存在しない。

 

「認知症(疑い)」の病名だけで、何でも検査が出来る訳ではない。何でも調べたいのであれば、様々なオプションが設定された「人間ドック」を、自由診療で受診することになる。

 

保険診療の最低限のルールは、「〇〇を疑うから〇〇を調べる。疑う理由が適切であれば、保険で認める」なのである。

 

「じゃあ、何でも『疑い』病名を付けたら検査できるんだよね?」とは問屋が卸さない。

 

特定の疾患を念頭に置かず、ルーチンで特定項目を調べている*2ことが発覚したら、レセプト請求の際に「過剰検査」でカットされてしまう可能性がある。

 

これは病院の損害になるため、診療所の院長(経営者)であれば誰でも気をつけていることである。

 

画像評価をせずに診療所で抗認知症薬がおざなり処方されているケースは確かに多いとは思うが、投与前に甲状腺ホルモンを調べた割合が、

 

専門施設の認知症疾患医療センターでは57%だったのに対し、診療所では26%だった。

 

というのは、コスト意識が高い診療所だからこそという側面もあるだろう。

 

「調べることが保険で許されるのであれば、何だって調べたい」と思うのが医者の人情というものだが、「それをやったら医療経済が大変なことになるだろう」という常識的な判断もまた、多くの医者はしているだろう。国民皆保険制度を維持すべきと考えるのであれば、医療経済の行く末に無関心ではいられない。

 

認知症を疑ったら全例甲状腺ホルモンを調べることが医療経済的に許されるのであれば、そうしたらよい。恐らく、数%に潜在性甲状腺機能低下症が見つかるだろう。治療方針が明確に定まっていない、潜在性甲状腺機能低下症が

 

その全例に甲状腺ホルモン剤を投与したら、どれぐらいの人に認知機能改善が認められるのかは分からないが、コストに見合うのであれば投与したらいいだろう。抗認知症薬の不必要投与が社会問題となっている今、甲状腺ホルモン剤の不必要投与で困る人が続出しなければよいが。

 

ちなみに。

 

アルツハイマー型認知症は女性に多い認知症だが、閉経後に甲状腺刺激ホルモン(TSH)は上昇することがある。*3潜在性甲状腺機能低下症に対する甲状腺ホルモン投与がcontroversialなのは、加齢という生理的な変化でTSHが上昇することがあるからだ。つまり、TSH上昇だけで病的と言うわけにはいかない、ということである。*4

 

この記事を書いた朝日新聞記者が、認知症についてどの程度調べて書いたかは分からないが、「治る認知症を見つける事前検査が行われていない」という扇情的なタイトルのつけ方には、一般大衆が持つ認知症への関心という抗いがたい俗情に結託して衆目を引こうという意図が露骨に見えて、不快と言えば不快である。

 

  • 腹痛で外来を受診した患者は胃癌や大腸癌の可能性があるので、便潜血検査や腫瘍マーカー検査を全例行うべきだ
  • 頭痛で外来を受診した患者は、くも膜下出血の可能性があるので全例に頭部CTを行うべきである

 

このような話に「うんうん、そうだよね」と納得する人は殆どいないだろう。

 

甲状腺機能低下と認知機能の関連について一般に注意喚起をしたいのであれば、同一施設で認知症外来を訪れる連続1000人ぐらいの患者の甲状腺ホルモン値を全例調査し、甲状腺機能低下のみで認知機能が低下していた患者の割合を出してみたら良いと思う。きっと、興味深い結果が出るはずだ。

 

最期に自分の経験を紹介して、今回の記事は終了。

 

  • 認知症外来を受診した1600人以上の患者(正常者含む)
  • 初診で全例に甲状腺ホルモンを調べてはいない
  • 初診で甲状腺機能低下を疑って採血した患者で、実際に甲状腺機能が低下していた人は一人もいない
  • 定期的にフォローしている認知症患者は、ほぼ漏れなく採血をして甲状腺ホルモンも調べている
  • 甲状腺機能低下をきたしていた認知症患者はいたが、甲状腺機能低下のみが認知機能低下の原因だった患者は一人もいない

 


Thyroid Inhibitor flickr photo by Iqbal Osman1 shared under a Creative Commons (BY) license

 

 

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*1:日本内科学会雑誌 第99巻 第 4 号・平成22年 4 月10日

*2:特定項目とは即ち甲状腺ホルモンやビタミンB1、ビタミンB12、葉酸などの、認知機能との関連がある項目のこと。

*3:甲状腺刺激ホルモンの刺激によって、甲状腺ホルモンは分泌される。甲状腺ホルモンの産生が衰えると、ホルモン産生を促すべく甲状腺刺激ホルモンの数値は上昇する。

*4:Inhibition of GATA2-dependent transactivation of the TSHβ gene by ligand-bound estrogen receptor α