脳梗塞の治療と、脳梗塞で悪化した認知症精神症状の治療を両立させることの難しさ。
70代男性 アルツハイマー型認知症に脳梗塞を合併
初診時
(既往歴)
脳皮質下出血(画像確認困難、目立った後遺症はなかったようだ)
高血圧、高尿酸血症で内服治療中
(現病歴)
うまく言葉が出ない、すぐ怒るなどの症状。本人希望で受診。
入室後にすぐ腕組み足組。帯続言語らしき話しぶり。取り繕い目立つ。
(診察所見)
HDS-R:16
遅延再生:0
立方体模写:OK
時計描画:OK
クリクトン尺度:1
保続:あり
取り繕い:ありあり
病識:なしなし
迷子:なし
レビースコア:-
rigid:なし
ピックスコア:3
頭部CT左右差:なし
介護保険:なし
胃切除:なし
(診断)
ATD:◎
DLB:
FTLD:△
MCI:
その他:
ATD>SDの印象。レミニール4mg+ナウゼリン10mgとグラマリール25mg併用で治療開始。他院からの薬が朝なので、当院処方も朝にまとめる。散歩でいいので運動を。
1ヶ月後
目立って変わらないようだ。
運動はなかなか取り組めず。
次回まで処方すえ置。話の常同性は変わらない。
レミニール朝8mgを試す?
2ヶ月後
本人曰く、頭の回転がよくなった気がすると。
奥さんからすると変化なしと。
次回、HDSR。レミニールの維持量を決める。
3ヶ月後
HDSR15
遅延再生0
レミニールは当面4mgで維持。グラマリールは25mgで。ナウゼリンは終了に。
4ヶ月後
家事を手伝うようになった。
易怒性が和らいだ。
良い変化あり。今回から2ヶ月処方に。
6ヶ月後
ココナッツオイルを推奨したところ、奥さんは既に知っていた。
話は常に常同的だが、これはFTLDよりはATDらしさと考えておく。上機嫌。好調を維持。
本人曰く「もう治ったから薬は要らないでしょ?」と。
病識欠如と考えておく。
10ヶ月後
落ち着いており順調。奥さんと相談してレミニールを8mg/dayに増量。少し痩せたかな?ココナッツオイルの影響かな?
介入から1年後
HDSR13
遅延再生0
病識なし
今のところATD≒SDかな?ピック的異様さは感じない。
滞続言語及び取り繕いは著明。フェルガード併用は出来ないだろうか?
介入から1年4ヶ月後
昨日から急に、
- 玄関の鍵の開け閉めが分からなくなった
- 外出した際に、エレベーターの使用行動が出来なかった
- 所在なさげにウロウロしている
とのこと。
診察時の疎通も、確かに以前より格段に悪くなっている。グーパーテスト不可で語義失語も悪化している。ただし、麻痺は認めない。
MRIで右ACA-MCA watershedに脳梗塞を認めた。当院満床につき、他院紹介転送。
(記録より引用終了)
入院となったが、しかし・・・
紹介先での入院当日の夜に、激しい不穏状態となり点滴を自己抜針、制止しようとした看護師に手を挙げるなどの行為があったため、入院翌日に退院を余儀なくされた。この際に、担当医師から
安静に出来ないので入院継続は無理。幸い麻痺がないから、脳梗塞の内服薬を出しておくので家で様子を見て下さい
と告げられた。
確かに麻痺はないので、歩いたりなどの動作は出来る。しかし、目的に沿った動作が出来なくなっている。これを「失行」と呼ぶ。
さて、失行のある状態で帰宅を余儀なくされたこの方だが、当然これまで出来ていたことが出来なくなっている。例えば、
- 「風呂に入りたい」と言って裸になり浴槽に入ったはいいが、お湯を出したり身体を洗ったりという動作が分からず、裸で呆然と浴槽に座っていた
- 食事動作がおぼつかない。道具の適切な使用に影響が出ている。
- 何かをしたいようなのだが、どうすればいいのか分からずにただ家の中と外を行ったり来たり。
このような状況。徐々にこのように変化していったのであればまだしも、突然の変化にご家族が上手く対応出来るはずもなく、退院翌日に当院を受診された。
当院入院となったが、しかし・・・
幸いベッドに空きがあったので、そのまま入院とした。
前医では24時間キープの点滴であったようだが、これは不穏を惹起しやすい。何故なら、患者さんからすると「何故自分が点滴を受けなければならないのか」が理解できないから。
なので、少しでも不安を和らげるために
- 通常は約2週間続ける点滴治療を7日間に短縮
- 通常は一日2回のオザグレルNa(脳梗塞治療の薬剤)を1回にする。点滴は抜き差しとし、キープしない
- 内服中であった朝のグラマリール25mgはそのままで、夕食後にクエチアピン12.5mgを追加し、眠剤はニトラゼパム2.5mgを選択
- 初日は奥さんに泊まって頂く
このような工夫を行った。
初日は上機嫌で過ごし、目立った夜間不穏もなかった。しかし、翌日の昼過ぎに奥さんが一旦家に戻ってからは落ち着きがなくなり、夕方からはスイッチが入ってしまった。奥さんが戻ってきても収まらず、
- 一晩中、室内をウロウロ
- 何かが見えているようで、しきりと室内のゴミを拾っては口に運び続ける
- 室内据え付けの洗面台に上ったり降りたり
このような行動をとり続け、朝方5時に就寝。
結局、脳梗塞治療よりは精神症状治療が優先されると判断し、体制の整った認知症病棟を持つ精神科病院にコンサルトし、同日に転院となった。
急性症状への対応の難しさ
自分は脳神経外科医なので、脳卒中急性期の意識障害患者さんを多く診ている。
病識がなく、かつ麻痺のある患者さんは、不意な動きで転倒転落を起こすリスクがある。なので、急性期においては家族の同意を得て抑制帯を使わせて貰うことがしばしばある。
しかし、病識もなく麻痺もない患者さんの場合、抑制帯を使うことは通常困難である(抑制される状況が理解できないため、暴れて叫び続ける)。看護師さん達は大声や暴力に怯え、また病棟内徘徊(周回)に付きそうと、他の脳卒中急性期患者さん達への目配りに支障が出てしまう。
なので、前医を早々と退院になってしまったことも、ある程度は仕方がないのかもしれない。それでも、強烈に失行の目立つ患者さんを抱えて途方に暮れる家族のことを考えると、もう少し転院なりの差配をして頂きたかったとは思うが。
認知症により脳の変性が進み予備能力が低下している状況で、更に脳に物理的ダメージ(脳卒中)が加わった場合、激烈な陽性症状を来すことがある。
こういった場合の抑制系薬剤の開始(追加)用量をどのように設定するかが悩ましい。脳卒中急性期病棟では、初動で失敗するとリカバリーが難しい。
今回のケースでは、ふらつきなど考慮した上でクエチアピン12.5mgという比較的マイルドな量で開始した。しかし麻痺はない方であったので、当初から37.5mg〜50mgぐらいの量で開始して、もし効き過ぎたら減らす、というやり方が良かったのかもしれないと反省。
注射薬剤で鎮静を図る手段もあるが、呼吸抑制のリスクなどを考えるとルーチンの手段とはしにくいため、やはり内服で極力工夫をせねば、と試行錯誤している。
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