大切なことを患者さんから教えて貰ったので、忘れないうちに書きとめておく。
後々、音楽と共に患者さんの想い出が蘇ってくれることに期待して。
white heart flickr photo by Lora Huber shared under a Creative Commons (BY) license
認知症治療にまつわる悩みは、洋の東西を問わない
とあるご縁で、外国の方を診察することになった。
奥さんに伴われて来院された、大柄で優しそうな男性。
「僕の英語は拙いので、奥さんに通訳してもらいながら診察を進めていいですか?」
拙い英語でそうお願いしたところ、少し緊張がほぐれたのかニッコリ頷いて握手してくれた。
およそ3年前にアルツハイマー型認知症と診断されたその方は現在、ドネペジル10mgとメマンチン20mgを内服中であった。
最近、怒りっぽくなってきたとのことでリスペリドン2mgが開始になったが、日中に過度の傾眠を来すようになったために奥さんの判断で中止。
傾眠はなくなったものの、今度は強い抑うつ症状を呈するようになったため、リスペリドンは1mgで再開となった。今はやや小康を保っているが、今後が心配だと奥さんは仰っていた。
奥さんとやり取りをしているその間、ご本人は所在なさげにうつむき、時にこちらを見て悲しげに微笑んでいた。
頭部CT所見や、奥さんの助けを借りながら行った長谷川式テスト、透視立方体模写や時計描画テストの結果からは、アルツハイマー型認知症でほぼ間違いはないだろうと思った。
「抗認知症薬や抗精神病薬にまつわる悩みは、洋の東西を問わないものだな」などと思いながら、
- リスペリドンは出来れば早い段階で中止にもっていきたい
- ドネペジルを少し減らすことで、バランスがとれるかもしれない
- 中鎖脂肪酸の積極的摂取を
- 回想療法の強化
このような提案を行った。
伝えたいことがあっても伝えられないもどかしさ
およそ30分の診察のあいだ、テキパキと通訳を兼ねながら、介護の工夫や今後の進行の可能性など、普段から不安に感じていたであろうことも質問され、一生懸命メモをとる奥さんの姿に心を打たれた。
同時に、診察の途中から何とも言えないもどかしさを感じていた。
こちらを見つめる悲しげな、そして寂しそうな男性の目。
男性は、自分の言葉で色々と話をしたかったのだと思う。
それに気づきつつも、拙い英語力では正確な伝達は難しいと諦め、ほぼ全ての説明の通訳を奥さんにお願いした自分。
「Take good care of yourself.」
最後にそう言って手を差し出すと、「You too.」とニッコリ笑って、大きな温かい手で力強く握り返してくれた。
もうお会いすることはないであろうこの方から、とても大切なことを教えて頂いた気がする。それは、
「患者さん達は常に、もどかしさを感じている」
ということ。
日本人の患者さんやご家族に対して日本人の自分は、日本語で伝えることが出来る。
では日本人の認知症患者さん達は、自分の考えを日本語で、家族や医師に十分に伝えられているだろうか?
認知症の影響で言語理解力や表出力が低下している場合、それはとても難しいことだと思う。
診察中に自分が感じたもどかしさは、認知症患者さん達が常に感じていることなのだろう。
母国語によるコミュニケーションが難しい状況に置かれて初めて、認知症患者さんの気持ちがわかった気がした。
そのことを教えてくれた男性に感謝しつつ、これまで気づけなかった自分の感受性の凡庸さを恥じた。
その日の診療を終え帰宅する車の中でふと、ある曲の一節が頭に浮かんだ。
If I die tomorrow
I'd be all right
Because I believe
That after we're gone
The spirit carries on
もし明日死ぬことになっても、大丈夫。僕らがいなくなっても、魂は生き続けると信じているから。
The Spirit Carries On (Dream Theater)
「もう会えないだろう」と思ったから、この曲が頭に浮かんだのかどうかは分からない。
しかし、確実に
「また会いたい」
そう考えている自分に気づき、ある種の名状しがたい感情で胸が一杯になった。