妄想とは、「現実にはあり得ないことだが、他者が訂正不能で、本人だけが確信している観念」のことである。
バリエーションは無限にあるが、例えば以下のようなやりとりの場合、妄想を言っているのは母親である。
母親「私のお気に入りの香水が、いつの間にか薄くなっていた。隣の〇〇さんが勝手に家に入り込んで、使って、バレないように水で薄めて帰っていったに違いないわ。」
娘「普段からお母さんにあれだけよくしてくれる〇〇さんが、何のためにそんなことをするの?あり得ないでしょ。」
母親「何のためかは分からないけど、そうに違いない。私には分かっているの。」
93歳女性 遅発性パラフレニー
初診時
(現病歴)
独居。
半年以上前から、
- 自宅マンション上下階からテープレコーダーの音が聞こえる
- 自分の考えが盗まれている(思考奪取)
- 頭に命令が届き、その通りに動かされている(思考吹入)
- 行動が観察されている(注察妄想)
などを訴えるようになり、精神科や心療内科で抗精神病薬が処方されるも副作用で脱落。ケアマネに勧められ当院受診。
(診察所見)
HDS-R:ー
遅延再生ー:
立方体模写:OK
ダブルペンタゴン:OK
時計描画テスト:半分は逆回転
IADL:6
改訂クリクトン尺度:21
Zarit:14
GDS:5
保続:ー
取り繕い:なし
病識:あり
迷子:なし
DLB中核症状: 2/4
rigid:なし
幻視:狐・男の人
FTD中核症状: 2/6
語義失語:なし
頭部CT所見:特記所見なし
介護保険:要支援1
胃切除:なし
歩行障害:なし
排尿障害:なし
易怒性:なし
過度の傾眠:なし
(診断)
ATD:
DLB:
FTLD:
その他:
(考察)
遅発性パラフレニーだろう。警戒されたくなかったので、HDS-Rは省略した。
見た目の不自然さはなく、可愛らしいお婆ちゃん。「私のこれは妄想なのかねぇ」とションボリ。
〇〇病院のシクレストは5mg一発で救急搬送された。〇〇内科のリスペリドン0.25mgも違和感を感じ1回で中止。
かかりつけの〇〇クリニックの薬が多すぎるので整理を勧めた。
- フェキソフェナジン(ヒスタミンブロックで稀に精神症状が出現)
- ノイロビタン(B6過剰で稀に精神症状が出現)
- ビオフェルミン・トコフェロール・キャベジンU・クラシエ人参養栄湯
- 市販のコンドロイチン、新エスタック、葛根湯桔梗湯配合風邪薬
上記を整理し、まずはクラシエ抑肝散加陳皮半夏を朝夕で開始。
次回効果を確認後、ウインタミンを4mg-6mgで検討する。肝機能確認は忘れずに。 副交感神経賦活を狙ってSGSL(星状神経節スーパーライザー)施行。
2週間後
抑肝散は無効だったようだ。
「この年になって、おかしなことになったね~」と母娘で笑っているが、実は娘さんの持つ危機感はそれなりに高い。持参した直近の採血データで肝機能障害はなし。
抑肝散を中止し、ウインタミンを4mg-6mgで開始。
2週間後
「悩みが2/10に減った」と。
音は相変わらず聞こえるが、今までよりも気にならなくなり恐怖心が無くなったと。 母子共に大喜び。ありがとうと。
ウインタミン著効。処方維持。次回は検尿をご希望?
(前医処方)
- カンデサルタン(4)2T2X
- ニルバジピン(2)2T2X
- フェキソフェナジン(60)2T2X
- ノイロビタン3T3X
- ビオフェルミン3T3X
- トコフェロールニコチン酸エステル(200)3C3X
- キャベジンUコーワ(25)3T3X
- クラシエ人参養栄湯2P2X
- リスミー(2)1T1X眠前
- ランソプラゾールOD(15)1T1X眠前
(当院最終処方)
- ウインタミン 朝4mg 夕6mg
- カンデサルタン(4)2T2X
- ニルバジピン(2)2T2X
認知症者の妄想は一時的だが、遅発性パラフレニーでは延々と続く
高齢者の妄想は、認知症と関連付けて捉えられることが多い。
アルツハイマー型認知症でしばしば見られる「嫁に通帳を盗まれた!」といった物盗られ妄想は、通帳をどこに置いたか忘れてしまうという短期記憶低下が背景にある。
認知症だと、短期記憶低下は徐々に進行し、更に時間の感覚低下(日時見当識低下)や物の名前や意味を把握する力の低下なども加わってくる。
そのうちに通帳の存在すら忘れると、通帳に対する物盗られ妄想は終わる。
しばらくして別の妄想が始まることはあるが、執拗に言い募って周囲を困らせることがなければ、「変なことを言っているねぇ」で大体は片付けることが出来るため、延々と何らかの妄想で家族が悩まされる続けるということは基本的にはない。それが、認知症者の妄想の特徴である。
今回紹介した方は、妄想の内容が
- 自宅マンション上下階からテープレコーダーの音が聞こえる
- 自分の考えが盗まれている(思考奪取)
- 頭に命令が届き、その通りに動かされている(思考吹入)
- 行動が観察されている(注察妄想)
というように統合失調症的であったので、認知症ではなく「遅発性パラフレニー」と診断した。
遅発性パラフレニーと統合失調症
統合失調症とは、幻覚妄想を主症状とする精神疾患で、およそ45才未満で発症するとされている。
遅発性パラフレニーの定義には諸説あるようだが、個人的には、「人格水準や感情、親密さが比較的保たれた、高齢発症の統合失調症」と捉えている。
遅発性パラフレニー自体は既に歴史的な診断名のようで、精神疾患の診断マニュアルDSM-IV、DSM-Ⅴ、いずれにも掲載されていない。
命名者であるRoth.Mによると、精神科入院患者の約10%を占めるらしい。特徴は以下。
- 何らかのきっかけがある
- 身体的疼痛・不快感・違和感が初発症状
- 電波・電磁線・光線・臭いとして知覚(偽幻覚)し、かつ解釈
- それらの体験による二次的妄想(迫害、関係、被害妄想)が発展
- 妄想対象は隣人が多い(従来の不和軋轢がベース)
- 女性に多い(10:1)
- 単身、独居、社会的孤立者に多い
- 難聴者に多い
- 脳の器質的病変との関連が疑われる
- 統合失調症との関連
(「Neurology 興味を持った「脳神経内科」論文」より引用)
これまで自分が診てきた遅発性パラフレニーと思われる患者さん達も、ほぼ上記の特徴を備えていた。
統合失調症と同様に治療は抗精神病薬が中心となるが、統合失調症に使うような抗精神病薬の量は、高齢であるが故に副作用の観点から許容し難く、従って、治療に難渋するケースが多い印象である。
今回紹介した方はその後、妄想が再燃したためウインタミンを増量している。
妄想が枯れるより先にお迎えが来るかもしれない年齢の人たちなので、治療(?)に前のめりになりすぎないように、世間話で紛らわせることを重視してお付き合いしている。
以下に、最近経験した(している)遅発性パラフレニーの例を列挙する。手強い人もいれば、一緒に妄想を笑いながら話せる人もいる。
70代の頃から「床下に棲んでいる何者かが、毎晩私に悪戯をしてくる」という訴えがあった87歳の女性は、少量のウインタミンで妄想は一進一退、その後、90歳の頃には床下の住人のことは言わなくなったのでウインタミンを終了したが、妄想の再燃はなかった。
「毎晩のように忍者が私の体に水遁の術を仕掛けてくるので困っている」という訴えの76歳の女性は、少量のウインタミンで妄想は消失。その後、79歳で忍者が再度出現したため、ウインタミンを再開したところ、忍者は再度消失。現在80歳。
何の問題もなく独居出来ていた90歳女性が、入院を切っ掛けに「何者かが私に電波を浴びせてくる」と言うようになり、自宅では傘を差したり新聞紙を体に巻いたりして電波から身を守るようになった。
少量のウインタミンで一時は小康を得るも、その後内服を自己判断で中止し妄想が悪化、精神病院へ入院となった。
☆「頭がわんわんする、変な音がする」という悩みも多く聞く。個人的には、これらも一種の遅発性パラフレニーだと思っている。
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