ニコニコ朗らかな様子だが、語義失語は明瞭。長谷川式テストは30点満点の7.5点と高度低下。ピックスコアは4点。頭部CTはわずかだが右>左の萎縮、頭頂葉萎縮回避所見ありか。

意味性認知症(前頭側頭葉変性症)と考え、レミニール4mg+ナウゼリン10mgで治療開始。フェルガードBも勧めた。独居はまだ出来ているようだが、介護保険申請を行うよう勧めた。
1ヶ月後
(改善点)
発語の積極性が増したかな?
(悪化点)
初期は少しお腹が緩かった。今は大丈夫。
娘さんたちは改善を喜んでいる。本人はニコニコしており、初診時の印象とさほどかわりはない。発話流暢性低下あり、語義失語だけではない印象。しばらくはレミニール4mgを維持。
2ヶ月後
白内障の手術予定となっている。
調子はまずまず。当方のことも覚えている。
もう少し活気が上がってくれたら、と娘さん。遠方ではあるが通院は当院を希望。
次回でレミニールを増やすかな。
(引用終了)
そして、初診から3ヶ月が経過したある日のこと
その日は午前中に急患が入り、そのまま緊急手術となった。
午後の外来は休診とせざるを得なかったが、
「どうしても今日中に診察を希望する方は、待って頂くように伝えて下さい」
と外来スタッフに依頼。
手術を終えて外来に降りてみると、待っていた方は3名いらっしゃった。そのうち2名は病状に特に変わりはなく、診察を終えて帰宅となった。
しかし、残りのお一人(表題の患者さん)を見たときに妙な違和感を感じ、頭部MRIをオーダーした。
画像が出来上がり目にした瞬間、暗い気持ちになった。
クロイツフェルト・ヤコブ病の頭部MRI


1枚目はMRIのDWI画像で、典型的なCJD(クロイツフェルト・ヤコブ病)の画像所見である。2枚目もMRI、こちらはFLAIR画像で、やはり皮質は淡く高信号を呈している。
ご家族曰く、ここ2週間ほどで急激に身体の動きが悪くなってきたとのこと。明らかな麻痺は認めなかったが、疎通はかなり不良となっていた。
クロイツフェルト・ヤコブ病の可能性が高いこと、予後不良の難病であることをご家族に伝え、その場で神経内科への紹介状を作成した。
「どうしても、先生を待とうと思ったんです」
CJDの可能性を告げたとき、娘さん達は一瞬言葉を失っていた。しかし、その後意を決したかのように話し始めた。
急に悪くなってきたので、何か起きているのでは?と覚悟はしていました。近くの病院を早めに受診しようとも思いましたが、どうしても先生に診て欲しくて予約日の今日まで待ちました。手術中と聞いて帰ろうか迷いましたが、待っていて良かったです。
こちらも言葉に詰まる。
初めてこちらを受診した後、母がとても嬉しそうだったんです。元々病院嫌いな母だったのですが、こちらを受診するのは楽しみにしていたようでした。悪い病気の可能性が高いとのことですが、それでも先生から伝えて貰って良かったです。
そう言い残して、娘さん達は外来を後にされた。疎通がほぼとれない状態ではあったが、患者さんはニコニコしながらちょこんと頭を下げて帰られた。
その後、CJDの確定診断がつき、地元の療養型病院へと転院されたと後日報告があった。
手術と認知症外来を両立させる難しさ
認知症外来を行うようになって、処方の仕方が劇的に変化した。
一般的な脳神経外科外来では、脳卒中の一次予防や二次予防のための、高血圧や脂質異常、糖尿病の管理に加えて、頭痛やめまい、頭部打撲の患者さんを診ることが多い。
このような外来では、診察のたびにコロコロと処方が変わるようなことは余りなく、一旦落ち着いたら当分維持処方出来るケースが多い。しかし、認知症外来はそうはいかない。
家族情報、診察時所見を元に向精神薬や抗認知症薬を微量調整し、それぞれの組み合わせを考え、余計な薬や役目を終えた薬があれば止めるか減らす。「Aさんの処方は次はこうしようかな?」とか、「Bさんは恐らく次であの薬が止められるだろうな」など、次の外来までの間に様々なプランが頭に浮かぶ。
しかし、手術に入るとこの流れが一旦途切れてしまうのである。手術に集中するから当然ではあるが、そのうちに認知症外来のことが手術中に頭に浮かんでくるようになってしまった。これはよくない。術中はあくまでも手術に集中すべきである。
これまでは自分にとって質の高い手術を行うことが最優先事項であったが、徐々に外来の比重が増していった結果、自分の仕事の優先順位とは何かを考えざるを得なくなってしまった。
外来患者は増え続け、患者さんの待ち時間もどんどん長くなっていく。マネージメントの問題でもあるのだが、自分の中では明らかに手術と認知症外来の両立が困難と感じるようになってきた。
そして結局、外来に特化することを決心し開業することにしたのである。
背中を押したのは、やはりあの患者さんだと思っている。
あの患者さんとご家族が待っていてくれた気持ちを考えると、
自分がこっちの道に進んだ方が、喜んでくれる人が多いんじゃないかな?
と思ってしまったのである。
この判断が正しかったのかどうかも、結局は患者さん達が決めることなのだろう。自分としては、ステージが変わっても質の高い仕事を意識して提供し続けるのみである。
医者とは選択の自由がある一職業ではあるけれども、同時に社会資本(インフラ)でもある、と最近は考えるようになった。インフラであれば、役に立ってナンボのもんである。
ただし、インフラが能力を発揮し続けるには定期的なメンテナンスが必要ですよ、と小声で呟いておく。*1