大分前の事になるが、ある講演を引き受けたことで経験した苦い思いについて書いてみる。
今回はいつもと違った感じにしたいので、実験的に一人称を「僕」としてみる。
演者の持ち出しを前提にした講演依頼
あるとき、Aさんという方から講演の依頼があった。
「先日某所で先生の講演を聞いて感銘を受けました。ぜひ今度、講演をお願い出来ないでしょうか。」
聞くと、自身が主催する勉強会を通じて様々な啓発活動をしているのだそうだ。
しかし、話をしてくれる「専門家」がなかなか見つからない。そこで、僕に白羽の矢を立てたらしい。
「僕は認知症の専門医ではありませんよ。」
とお断りしたのだが、「それでも構いません。よろしくお願いします。」と懇願されたので、熱意にほだされる形で引き受けた。
仕事の合間にスライドを60枚作り、
「配付資料として必要であれば、スライドデータを事前にお渡ししましょうか?」
と訊ねると、
「出来れば資料の印刷はそちらでやって貰えたら助かるのですが・・・」
と、耳を疑うようなことをAさんは言った。
200人以上の聴講者を見積もっているらしい講演会の配付資料を演者に作成させるなど聞いたこともない。
勿論断ったのだが、この辺りから何となく嫌な予感がし始めた。
そして、講演まで1週間を切ったある日のこと。
約束の時間に現れてスライドのレジュメを受け取りながら、Aさんはこう言ったのだった。
「他にも、こう、何か予防に繋がる話をできないものでしょうかね?」
これを聞いて、流石に僕はカチンときた。
「依頼のあった内容を中心に作ったんですが、今から作り直せと?尺は1時間半厳守ですよね?新たな内容を加えるとすると時間をオーバーすると思うのですが。」
慌てた様子もなく、「だったらいいです。」と返事をしたAさんは、続けて
「今後も市民啓発活動をしていきたいのですが、ご協力願えますか?」
と言った。
既に半分以上やる気を失っていたので、「時間が無いので無理です。」と答えた。すると、
「看護師さんでもいいので、ダメですかね?」
ときた。
怒髪天を衝くほどの怒りが僕の心に押し寄せてきたが、グッとこらえる。
「うちの看護師さん達も忙しいので、やっぱり無理ですね。」
「残念ですね。せっかく話をもってきているのに。あなた方は貴重な医療資源なんだから、もっと協力してくれたらいいのに・・・」
この講演がまだ企画段階だったなら、この時点で断り追い払っていただろう。
しかし、既に告知のパンフレットも配布されており、講演を聴きに来るであろう人たちのことを考えると泣く泣く引き受けるしかなかったのだった。
僕らをインフラと呼ぶならば、メンテナンスはしてくれるのですか?
インフラストラクチャー(英語: infrastructure)とは「下支えするもの」「下部構造」を指す観念的な用語であり、以下の意味がある。 国民福祉の向上と国民経済の発展に必要な公共施設。(Wikipediaより引用)
医師や看護師が医療資源というAさんの言葉は、基本的には正しいと思う。
「社会を支える基盤」という意味で病院はインフラであり、従って、そこで働く僕らもインフラの一部、医療資源といえるだろう。
僕ら医師は、「正当な理由がない限り、診療行為を拒んではならない」という応召義務を守ることで、インフラとしての役目を果たすべく日々務めている。
蛇口をひねれば水が出るように、病院を受診したら診察が受けられる。日本は多分、良い国なのだろう。
ところで、インフラが崩壊すると社会的損失が大きいため、そうならないように不断のメンテナンスが必要である。
古代ローマを例に挙げるまでもなく、文明が爛熟し崩壊していく過程で、まず犠牲になるのはインフラへのメンテナンスである。
Rome, Via Appia flickr photo by superdealer100 shared under a Creative Commons (BY-ND) license
「あなた方は貴重な医療資源なんだから、もっと協力してくれたらいいのに・・・」というAさんの言葉からは、「インフラはとにかく使い倒そう」という意図が透けて見えるようだった。
医師としての応召義務を果たしながら、一般市民の希望に応える形で持ち出し上等で講演会を引き受け、それでもなお「協力が足りない」と言われる僕というインフラだけれども、自分で自分をメンテナンスしながら頑張る日々です。
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ところで、病院(そこで働くスタッフ含め)というインフラのメンテナンスは実は簡単で、
「日々自分の健康に配慮し続け、必要な時にのみ病院を受診すること」
これだけでいい。本当に。
メンテナンスをせずに酷使し続けると、道路であればひび割れ、トンネルであれば落盤し、橋であれば崩落する。
国民が病院というインフラを酷使し続けると、病院スタッフは疲弊しミスが起きる確率は上がる。
普段は朝から夜、夜中まで診療し、休日は自己研鑽にあてるという生活をしていれば、プライベートなことは後回しになる。*1残業は最大2000時間/年まで可能で、しかも勤務医達はそれを自分で決めることが難しい状況だ。
残業年960時間、特例2,000時間の中身とは~厚労省から水準案|医師・医療従事者向け医学情報・医療ニュースならケアネット
インフラのメンテナンスを怠ったツケは、最終的には「国民全体」で支払うことになる。
そしてその日は案外遠くないのではないか、と僕は危惧している。
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