数年前に、とある講演会で座長を務めたのだが、その時の演者が自信たっぷりにこう言い放っていた。
今あるエビデンスに基づくと、抗認知症薬は可能な限り速やかに最高量まで増量した方が、認知症の進行抑制効果が出ている。少量投与ではそのようなエビデンスはない。エビデンスに基づく医療をするのであれば、規定量まで増量することが大事である。
このようなことがメディアで語られ学会で語られしているうちに、「進行を遅らせるために」という理由で抗認知症薬を投与することが、世間一般で常識化していったのだろう。
「認知症は進行を抑えることが最も大事」≒「進行抑制真理教」? - 鹿児島認知症ブログ
プロパガンダとは正に、かくあるべし。
80代女性 アルツハイマー型認知症疑い
初診時
(既往歴)
くも膜下出血でクリッピング手術
(現病歴)
現在施設入所中。2ヶ月ほど前から、夕方の不穏と焦燥感が目立つようになり、往診医がソラナックスを処方するも変化無く、施設側から「認知症の薬を貰って進行を抑えた方がいいよ」とアドバイスされたとのことで、家族に伴われて来院。
(診察所見)
HDS-R:14.5
遅延再生:3
立方体模写:拙劣
時計描画:不可
IADL:3
改訂クリクトン尺度:?
Zarit:?
GDS:5
保続:なし
取り繕い:なし
病識:あり
迷子:なし
レビースコア:ー
rigid:なし
幻視:なし
ピックスコア:ー
FTLDセット:ー
頭部CT所見:クリップあり 海馬萎縮あり
介護保険:要介護4
胃切除:なし
歩行障害:ゆっくり 施設では念のために車椅子
排尿障害:なし
易怒性:なし
傾眠:なし
(診断)
ATD:△
DLB:
FTLD:
その他:
(考察)
ATD(アルツハイマー)要素はあるかもしれないが、今回の訴えに繋がる最も大きなきっかけは「施設での仕事をとられた」と本人が感じたことだろう。
本人は自分が施設スタッフと思い込んでいたようで、皿洗いなどにやりがいを感じていた。しかし、何らかの事情でそれをさせて貰えなくなったあとから不穏になったようなので、まずはそこの是正が先決。
ソラナックスは中止。15時でリーゼ2.5mg、抑肝散を夕食前に。抗認知症薬は慎重に。
(引用終了)
施設側が困っているのか。家族が困っているのか。
最近、
親は施設に入っているから、日常自分は介護はしていません。でも今日は、施設から「認知症の疑いがあるから診て貰った方がいいですよ!」と言われて連れてきたんです・・・
というケースが増えてきたように感じている。
今回家族が持参した主治医の情報提供書には、
最近、不穏と興奮があります。また、何回も自宅に電話をかけるなどの異常行動もあります。ご家族が貴院受診を希望しましたので、宜しくお願いします。
と書かれていた。この主治医は、患者さんが不安に駆られ自宅に電話をかけることを、「異常行動」と考えるらしい。
ご家族に聞くと、「確かに電話はよくかかってきますが、施設で普段どのように暮らしているか、詳しいことは分かりません」と話す。
恐らくは、対応に困った施設が担当医に働きかけて、受診を促したというのが真相だろう。
それはそれでいいとしても、施設が希望して受診させるのであれば、事情を説明出来る施設スタッフを同伴させるべきだと思う。しかし残念ながら、今回のケースでスタッフ同伴はなく、施設からの情報提供書を家族に持たせてもいなかった。
そもそも家に電話をかけてしまうのは「不安」からだと思うのだが、「異常行動」と表現される背景にあるのは、恐らく医者側の(施設側の?)想像力の欠如と語彙力不足。
- 何故、頻繁に電話をかけるようになったのか?
- 何故、2ヶ月ほど前から不穏が見られるようになったのか?
上記の理由を考えるのが大事なのだが、面倒くさい時には「それは認知症になったからでしょ」とするのが最も手っ取り早い。ただしそれは、別の言葉でいうと”思考放棄”であるが。
家族に頻繁に電話をかける行動は、「記憶障害からくる遺失への不安感から、頻繁な電話という家族への確認行動に繋がっている」と表現できると思うのだが、「異常行動」と一刀両断のアセスメントをしてしまうと、その後に「じゃあ、異常行動を抑えるために薬を処方しよう」となりやすい。
こういった想像力や語彙力の欠如が、お手軽な、そして過剰な薬剤投与に繋がっているように思う。
「認知が進んだ」とか「認知が入っている」などという表現を、医療介護現場から払拭したい。 - 鹿児島認知症ブログ
理解できない対象を安易に「病気認定」してはいないだろうか?
自分は介護施設に入所している訳ではなく、施設のスタッフのはず。なのに、これまでしていた食後の皿洗いなどの仕事を急にさせて貰えなくなったのは何故だろう?これは自分がクビになったということなのだろうか?何がいけなかったのか?
「若い頃の母は、寮母の仕事をしていました」とのご家族の話から、恐らく患者さんは上記のようなことを考えて不安になってしまったのでは?と自分は推測した。
この推測が正しいのかどうかを判定するためには、本人に再び以前のような役割をして貰えばいいのである。すぐに薬を出すよりは、よほどそちらの方が安全である。
しかし、かなり強い「施設側の」投薬希望があるようだったので、多少の夕方症候群の要素を考慮して15時のリーゼ2.5mgに夕食前の抑肝散2.5gという「軽めの二段締め」といった処方で、夕刻~夜の時間帯の安定を図ることにした。
これは、自分が積極的に行った処方というよりは、施設側に配慮した処方である。しかし配慮するのはここまでで、「進行を抑える薬を!」と強く希望されても、抗認知症薬はよっぽどのことがなければ処方しない。今回のケースは、よっぽどのこととは判断しなかった、ということである。
様々な困り事の原因を、何故すぐに「認知症だから」と片付けてしまうのだろうか?
そして何故、「認知症だったらすぐに、薬を飲んで進行を遅らせなければいけない」と考えてしまうのだろうか?
これは実は、想像力の欠如ということだけで済むような話ではないのかもしれない。
【自分が理解できない相手は、病気認定してしまおう。病気認定してしまえば、あとは薬を出すだけ。それ以上考えなくても済むようになるし、社会から排除しやすくなる。】
このような考えが、世間に受け入れられやすくなっているのではないだろうか。
鳥越俊太郎氏をめぐる高須克弥院長のツイートに賛否 - ライブドアニュース
香山リカ氏の問題発言 - 新小児科医のつぶやき
病気の診断には慎重であってしかるべき医者からして、上記の様な体たらくである*1。理解できない相手を病気認定しようという考え*2が、彼ら以外の医療職や介護職、そして医療介護知識の少ない一般の人達に蔓延している可能性は、結構高いように思うのだが如何であろうか。
(イラスト屋さんより)