苦虫を噛みつぶしたような表情で人を罵る、強面の女性患者Aさんとの思い出を語ろう。
Aさんが僕に口撃を向けることはさほどなかったが、通院に同伴してくれる娘さんに向ける悪口といったら、
「私はどこも悪くない。何の役にも立たない娘に病院に連れて来られて困っている」
といった酷いものだった。
にも関わらず、真面目に母親の通院に付き添い続けた娘さんとAさんの間には、僕には計り知れない彼女らなりの親子の情愛というものがあったのだろう。
高血圧症、2型糖尿病、脂質異常症、多発脳梗塞、そして慢性腎臓病。
初めて会った時点で既に満身創痍だったAさんの主訴は「物忘れ」だったのだが、僕としては物忘れよりも、いかに全身状態を安定させ維持させるかが大事だった。死んでしまっては、物忘れも何もあったものではない。
家庭の事情で内服のチャンスは1日1回しかなく、その中で懸命に処方を工夫した。
デイサービスやケアマネから届くAさんの問題行動に対する悲鳴のような苦情にFAXで返答し、毎回外来で聞く娘さんの悩みに一緒に頭を抱え続けた。
その間も一貫してAさんの悪口は続いたのだが、いつの間にか僕も苦笑いできる程度に慣れていた。
糖質制限がそこそこ導入できたおかげで、早い段階でHbA1cが6を下回ったのは良かったけれども、残念ながら腎機能の悪化に歯止めはかからなかった。
Aさんのような人に透析を導入・維持することは無理だろうと分かってはいたけれども、それでもeGFRが10を下回ったときには腎臓内科に紹介はした。
返書には予想通り、「このまま様子を見て下さい」と書かれてあった。ダメ元でもう一件紹介してみたが、やはりダメだった。
「こういう患者さんに、透析を導入しても・・・ねぇ?」
という腎臓内科医の言外のニュアンスを読み取れないほど僕は鈍感ではないが、その言外のニュアンスを優しく、そして分かりやすく家族に伝える義務のある主治医という立場は、常にしんどいものだ。
そうこうしているうちに、排泄の問題などが絡んでいよいよ在宅維持困難となってきたAさんは、グループホームに入居することになった。
「Aさんの容赦のない悪口で、施設全体が不穏な空気に包まれるのでは・・・」と恐れていたのだが、幸いなことに僕の心配は外れ、Aさんは在宅時には決して得られなかった穏やかな日常を手に入れた。
病状が進行し、全体的にエネルギーが減った結果、良い意味で”枯れてきた”ということもあっただろう。
診察の度に娘さんから渡される施設管理者からの現況報告書は行き届いた内容で、知識と経験のあるスタッフに囲まれ、丁寧に看て貰っているAさんの日常が目に浮かぶようだった。
そのグループホームは看取りまでしてくれる施設だったが、往診をしない僕がAさんの最期を看取ることは出来ないので、どこかの時点で訪問診療医に繋ぐ必要があった。
そして、その日がついに来た。
Aさんにミルセラ*1を打ちながら、
「腎臓の専門の先生に紹介させて貰いましたよ。その先生は、毎回Aさんに会いに来てくれます。僕が行けないのは申し訳ないんだけど。何かあったら、また来てくれますか?*2」
と伝えた。
Aさんは、これが最後になるかもしれないとは恐らく分かっていなかっただろう。少し驚いたような表情で、
「当たり前よ。私はいつも、先生に会いに来ているんだよ!」
と言って、僕の肩をポンポンと叩いてくれた。
医者冥利に尽きるその言葉を、もっと早く聞きたかった・・・とは言うまい。それは、3年間の結晶のようなものだから。
共に駆け抜けた娘さんは、最後に深々と頭を下げ去っていった。