約2年経過を診てきた方。経過中に改善の感触はあったが、最終的にはご本人やご家族の満足度が高いとは言えない状態のまま、お別れとなった。
80代女性 アルツハイマー型認知症
初診時
既往歴)
糖尿病 高血圧症
(現病歴)
有料老人ホーム入所中。内服忘れ、易怒性亢進などで認知症の可能性を指摘され、紹介受診。
(診察所見)
HDS-R:13
遅延再生:0
立方体模写:OK
時計描画:OK
クリクトン尺度:4
保続:なし
取り繕い:あり
病識:なし
迷子:なし
レビースコア:ー
rigid:なし
幻視:なし
ピックスコア:4
頭部CT左右差:なし
介護保険:要介護2
胃切除:なし
歩行障害:なし
排尿障害:なし
易怒性:少し亢進?
(診断)
ATD:◎
DLB:
FTLD:△
MCI:
その他:
ATD>FTLDで考える。レミニール4mgで開始。落ち着いたらかかりつけの〇〇病院に。
上品な印象の方ではある。
4週間後
レミニール8mgに増量。グラマリールのタイミングも計っておく。
糖尿病は悪化傾向らしい。
4週間後
易怒性、興奮性が若干和らいだようだ。
糖尿病についても過食のコントロールがついてきた?
当面現状維持で。次回からは長期処方かな?
12週間後
HbA1cは9.2まで悪化し、糖尿病の薬はどんどん増量になっている。
あればあっただけ、差し入れのお菓子を食べる。自分で買いに出かけることもしばしば。
差し入れするのであれば、お菓子は糖質制限スイーツにしてみることを娘さんに提案。
今回からレミニールを12mgに増量。易怒性はないようだ。
4週間後
取り繕い言動がかなり目立つ。
レミニールを16mgに増量。これでダメならリバスタッチかメマリー追加か。
娘さんの心が追いついていかないようだ。
5週間後
糖尿病のプレッシャーを与えすぎ。それが本人にとってストレスとなり悪循環になっている。 これは娘さんも気づいている。
レミニールの効果はなさそう。一旦8mgに落としてグラマリール25mgx2を併用。ナウゼリンは終了。
5週間後
グラマリールでやや眠気ありと。
25mg/dayに減量する。本人はいつも通りの印象。
5週間後
何となく調子が良さそう。これは娘さんも実感。
処方は維持。
初診から1年後
一泊旅行が出来た
調子は上々
先月お姉さんを亡くされたが、今はもうそのことは忘れている
6週間後
攻撃性が高くなっていると。
しかし、「こちらの言い方次第では?」と聞くと娘さんはうなずく。
16週間後
レミニールを4mgに減量してメマリー5mgを併用。
グラマリールは再度25mgx2に。ダメならウインタミンかな。
4週間後
悲観的な言動が目立つ。やや抑うつ、活気低下。
だるい、死にたいなど。
深刻さはないが、グラマリールは一旦中止。
アマンタジンで賦活を試みる。それでダメならフェルガードLA。
3週間後
つまらない、気分が優れない、頭が痛いと
頭部CTは萎縮左右差ありの画像だが新鮮な所見なし。
アマンタジンは増やせないかな。フェルガードLA朝に3粒推奨。
1週間後に再診、抗うつ薬はどうする?
1週間後
寂しいと泣いたり。頭痛は抑うつ症状の一つと考えるべきか。他院処方のロキソニンはひとまず効くとのこと。
ジェイゾロフト25mgを開始し、内服は全て夕方に揃える。
レミニール8mgはあり?ジェイゾロフトは50mgまでは考えよう。
2週間後
抑うつ悪化とのことでスタッフに伴われて紹介受診。
診察時はいつも通り。ジェイゾロフトを37.5mgに増量。精神科の〇〇病院往診を受けたいというご希望あり。以前重度のうつの既往あり。
以下、かかりつけ内科の〇〇病院への紹介状を転載。
〇〇様ですが、認知面低下による抑うつ傾向増悪と考えます。
診察時は常に取り繕い、訴えの深刻さはあまり感じられません。
ただし、訪問看護師の報告では感情失禁や喪失感、希死念慮などかなり深刻な状況のようです。前回ジェイゾロフトを25mg/dayで処方しましたが、今回37.5mgに増量してみました。
貴院で行っているとのことなので当院では採血を行っていませんが、マグミットによる高Mgやアルファロールによる高Caの可能性はないでしょうか?また、スタチンによる低コレステロールで意欲低下を来している可能性や、DM治療薬による血糖の大幅な変動はないでしょうか?〇〇様の現状を考えると、極力薬剤は少ない方が望ましく、ご高配を頂けましたら幸甚です。
以上ご報告申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2週間後
「頭の芯が痛い」と。
深刻さにはやや欠ける上記訴えを延々と繰り返す。
一時期は精神科病院からでたエビリファイ3mgが良かったようだが・・・
娘さんと相談して、一旦抗認知症薬は止めてみる。
4週間後
執拗な頭痛は消えたようだ。レミニールが関係していたのか?
しかし、物忘れの不安が高まってきているようだ。自分でもしきりと不安を口にする。来院直前で娘さんが少しきつい物言いをしたことも影響はありそうだ。
娘さん希望でプラズマローゲンを試してみることに。
2ヶ月使用して効果判定を。その後は再度フェルガード、乃至はリバスタッチを考えておこう。
4週間後
以下、担当ケアマネさんへのお手紙を転載。
〇〇様ですが、本日のご様子はエネルギーに満ちて「私はどうもない、もうよくなった」との一点張りでした。以前のくよくよしていた時とは別人のようです。これは、プラズマローゲンで賦活されたからかもしれません。活気がある事自体はよいことですが、もの盗られ妄想などに繋がっているようですので、これが〇〇病院からのエビリファイ増量でうまくコントロール出来たら、そのままプラズマローゲン継続でいいのかもしれません。
コントロール不良であればプラズマローゲンは撤退し、その後はリバスタッチパッチや加味帰脾湯などを検討してみたいと思います。
以上ご報告申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
4週間後
以下、ケアマネさんへのお手紙を転載。
〇〇様ですが、プラズマローゲンは効果なしと判断、一旦終了としました。
診察室内での発言は、「小物を誰かが盗っていく」という話に終始しておりました。
以前使用していたグラマリールを再開とし、以前より25mg増やしてみました。上限を150mgで設定して様子をみながら増量してみようと思います。
以上ご報告申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
その翌日
訪問看護師から連絡が入り、「以前グラマリールで傾眠となった。恐くて使えない」とのこと。
当方としては25mgx2で使用していた頃に眠気を超えた傾眠の報告を受けてはいないが、看護師が恐くて飲ませられないのであればしょうがない。
飲ませられないのであれば、ご家族にその理由を説明し、ご家族がそれで納得されるのであれば、そのように。また、精神系の薬剤が2箇所から出ている状況は混乱が起きやすく、これもまたご家族が希望されるのであれば、往診の精神科医に処方を一本化してみては?
という内容で訪問看護師に情報提供書を作成。
結果、往診精神科医へ一本化の運びとなった。
(引用終了)
敗因は?
精神系薬剤の処方が一本化されることでこの方が落ち着く可能性は勿論ある。なので、「敗因」とは、"自分が状況を良くしてあげられなかった"という意味での敗因である。
この方に関わっていたのは、
- 自分(脳神経外科医、認知症担当)
- 内科医(糖尿病含め生活習慣病担当)
- 精神科医(往診医。精神救急的対応?)
- ケアマネージャー
- 娘さん
- 入居先の施設スタッフ
- 訪問看護師
上記7種の立場の人達。
残念ながら、複数の人間が関わる案件で重要な「共通の目標設定」が全く出来なかった。
自分は以下のような方針を考え、それを外来でその都度娘さんに話し、内科医やケアマネージャーにも情報提供書を書いて周知に努めていた。
【糖尿病コントロールについては、HbA1cの目標は9未満とする。間食対策はゆで卵、もしくは糖質制限スイーツなどを。短期記憶低下には目をつぶり、もの盗られ妄想や抑うつ症状に対して少量の薬で対応する。】
しかし、この方針が共有されていると実感出来たことは一度もないままに、別れの時が来た。
慣れた自宅暮らしから施設に入所→寂しさから、元々好きな甘いものに手が伸びる→持病の糖尿病が数値的に悪化する→内科医は薬を増量し、施設ではカロリー制限、間食制限が行われる→何故制限されるのか分からない本人は苛立つ→過食やもの盗られ妄想を拗らせる→以下無限ループ
このような負の悪循環に陥っている場合、ボトルネックになるのは赤文字部分である。これを、下の青文字の様に替えることが出来れば個人的には理想なのだが。
慣れた自宅暮らしから施設に入所→寂しさから、元々好きな甘いものに手が伸びる→持病の糖尿病が数値的に悪化する→腎機能悪化や網膜症に繋がっていなければ大目に見る。カロリー制限はせずに糖質制限。タンパク質摂取で満腹感を狙う。どうしても甘いものを欲しがる場合は糖質制限スイーツで対応→制限されることがないので、本人はのびのび過ごす。→のびのび過ごせているので目立った周辺症状悪化はない
勿論このように上手くいく保証はないのだが、ダメならまた別の方策を考えればいいだけの話である。
この方に限った事ではないが、『糖尿病のコントロール>>>認知症周辺症状のコントロール』となっているが故に、診療が全体として上手くいかないケースは散見される。糖尿病コントロールの重要性を否定するわけではないが、その主な手段がカロリー制限である限りは、大体何をやっても上手くいかない。
数値目標だけが一人歩きしても・・・
糖尿病コントロールの指標で頻用されるHbA1c(ヘモグロビンA1c)は数値で表現される。治療の状況が具体的な「数値」で確認できるので、皆がそれを目標として利用しやすい、というメリットはある。
一方、認知症周辺症状の度合いを数字で表現するのは困難である。NPI(Neuropsychiatric Inventory)などを施設で導入しているところはあるのかもしれないが、評価者が複数いる場合にはその整合性を保つのが難しくなるし、忙しい日常業務のルーチンに組み込むこともまた難しいと思われる。
医療現場では、利用しやすい数値目標(HbA1c)が優先される。これはある程度致し方ないことだが、患者さん本人が置き去りでHbA1cの数値目標だけが一人歩きしているケースに遭遇する度に
「HbA1cの数値が良くても(低くても)、糖尿病合併症が起きることはある*1。その時、カロリー制限を患者さんに押しつけていた人達は何を思うのだろう?
HbA1cの数値が今ひとつでも、認知症患者さんが周辺症状なく穏やかに過ごせるのであれば、それでいいのでは?」
と思う。
分業となりがちな専門医療の弊害が最も現れやすいのが高齢者医療、なかでも認知症医療だと思う。仕事は専門家同士で分けられるのかもしれないが、患者さんは一人なので分けて考えることは出来ない。
見ている方向が違うといえばそれまでだが、時に蟷螂の斧を振っているような気分になり気が滅入る。
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