外来でお付き合いが始まり、一年ちょっと経過したアルツハイマー型認知症の方をご紹介する。当院に来られるまでの経過を足すと、発症からおよそ10年になる。
70代女性 アルツハイマー型認知症
初診時
(既往歴)
高血圧 脂質異常 糖尿病 コントロールはまずまず
現在アリセプト内服中。かつてメマリーでBPSDが悪化した経緯あり。
(現病歴)
平成17年頃から徐々に物忘れが進行してきた。今のご主人の悩みは嫉妬妄想。娘と自分(夫)の仲を疑っているらしい。
かかりつけでは「これが認知症だから」とのことで処方がいつも同じなので、困って相談に来たと。
(診察所見)
HDS-R:5.5
遅延再生:0
立方体模写:不可
時計描画:不可
クリクトン尺度:26
保続:なし
取り繕い:ありあり
病識:なし
迷子:?
レビースコア:2
rigid:なし
ピックスコア:3.5
頭部CT左右差:微妙
介護保険:要介護3
胃切除:なし
歩行障害:なし
頻尿:なし
易怒性:あり
(診断)
ATD:〇
DLB:
FTLD:△
MCI:
その他:
明るくニコニコ穏やかだが、疎通はかなり困難。
典型的なATD(アルツハイマー型認知症)とみるが、ピックスコア3.5にはやや注意を。SD(意味性認知症)の可能性は留保しておく。アリセプトからレミニールに変更する?
家族希望により、かかりつけ医から処方を引き継ぐ。嫉妬妄想は陽性症状と考え、ひとまずグラマリール25mg朝だけ処方。
3週間後
こんなに変わるのかと思うぐらい、落ち着きましたと旦那さんは大喜び。グラマリール著効。
夕方症候群あり。生家に帰りたがると。これにはリーゼ5mgを15時に内服で対応する。
これまで内服していたアリセプト5mgは続行。ピックスコア3.5には気をつけておく。
4週間後
調子良い。
夕方のソワソワも、リーゼ5mgとご主人のうまい誘導で事なきを得ている。
処方維持。
初診から4ヶ月経過
著変なく経過中。
落ち着いていますとご主人。本人もニコニコ。お孫さん同伴。お孫さんを見つめる目が優しい。
9ヶ月後
ニコニコ穏やか。
夕方症候群の頻度は激減している。
ご主人は非常に満足されている。
明日、奥さんの小学校時代の友人が遠方から来るので食事の予定と。
初診から1年後
HDSR8(初診時5.5)
遅延再生2
穏やかに経過している。
処方継続。
13ヶ月後
とても順調。久しぶりにあった娘さんが「お母さん、前より良くなっているじゃない!」と驚くぐらい。
処方継続。
(記録より引用終了)
認知症?だったら何なんだ?
認知症だろうが何だろうが、自分にとって大切な妻であることに変わりはない
そのような逞しさ(良い意味での開き直り)を、このご主人から感じることが出来る。
これまで相当のご苦労があったと思うが、その類の話は殆どされたことがない。唯一、
娘と私の関係を疑われたときには参りましたね・・・
と苦笑いしながら仰ったことがあった。これが当院を受診するきっかけになったわけだが、グラマリール25mgだけでピタッと治まってくれて良かった。現在の当院処方は、
- アリセプト5mg+グラマリール25mg 朝食後
- リーゼ5mg 15時に
これだけである。
処方がマズければ、一瞬で介護が台無しになることがある。なので、自分が薬を処方するに当たってまず心がけるのは「介護の邪魔をしない処方」である。勿論症状の改善を狙う訳であるが、それと同じぐらい大事なことは「副作用に細心の注意を払うこと」だと思っている。
10年経過したアルツハイマー型認知症の方がこれ程良い状態を保てているのは、ひとえにご主人の「辺縁系に訴える」介護力の賜であろう。
診察室への入室から退室まで、常にご主人は妻の背中に手を添えて微笑み続けている。そして、この患者さんがご主人を見つめる目は、安心と信頼に満ちている。このお二人には、常に優しい空気が漂っている。
語義失語がとても強い方なので、意思疎通は困難である。しかし、相手の表情をよく観察していることは初診時からすぐに分かった。つまり、扁桃体(大脳辺縁系、いわば本能の領域)はしっかりと活動している、ということ。
扁桃体 - Wikipedia
辺縁系に訴える介護の重要性
記憶力が落ちようが言葉が出なくなろうが、認知症の最終局面まで本能は保存される。
妻に語りかけるご主人の言葉はとても優しいが、実際に届いているのは、その優しい表情なのだろう。
「介護力が高いのだろうな」と感じられるご家族や介護スタッフに共通しているのは、
- 必ず笑顔で接している
- 本人を目の前にして、不快であろうことは言わない
- 話しかける場合には、目線を揃えている
- 介護スキル習得に熱心
- 薬剤の特性について知識がある
このようなこと。1や3は、辺縁系(本能)に訴えかける力を持つ。
気をつけるべきは2である。語義失語が強い、つまり相手の言っている意味が分からない患者さんでも、
相手が嫌な表情で何か話している時には、多分自分に関する嫌なことを言っているのかもしれない
ぐらいを推測する力は残っていることが多い。
ご家族の話は、治療のヒントになるので重要である。しかし、話す時の表情にまで配慮出来るご家族は、実は少ない。介護の悩みや辛さを苦渋の表情でご家族が話す横で、患者さんの表情が段々曇っていくのを見かけることがある。
そのような場合、申し訳ないけれども家族の話を途中で遮ることもある。患者さんが不快な感情を残して外来が終わってしまうことは良くないし、その感情が「自分は嫌なところに連れて行かれた」という想いに転換されると、最悪外来受診そのものを拒否してしまうかもしれない。それは、患者さんご家族両方にとって不幸なことであろう。
介護を続けていく上で、ご家族の悩みの捌け口は絶対に必要である。しかし、それは患者さん(自分の親)を目の前にして言わないほうが良い。
そういう意味で、診療に有用な介護情報(悩みを含め)を正確に外来で伝達するには、前もって文章にして看護師や医師に渡しておくのは良い手段といえる。