鹿児島認知症ブログ

鹿児島でコウノメソッドや糖質制限を実践している脳神経外科医のブログ

認知症は治らない?治さなくてもよい?

認知症は治るという考えが、患者や家族を苦しめる?


こういう記事をみかけた。

 

認知症は治らない?治さなくてよい?「治る」という考えが、患者の徘徊や攻撃的行動の遠因に | ビジネスジャーナル認知症は治らない?治さなくてよい?「治る」という考えが、患者の徘徊や攻撃的行動の遠因に | ビジネスジャーナル

 

 
これと似たような話は定期的に出てくる。そうやって、「やっぱりケアや介護が一番大事」という方向に誘導されていく。そして、介護者は疲弊していく。

ところで、ユマニチュードがもてはやされる背景には、「キチンと対象者と向き合ったら、薬なんか要らないのだ」という思想があるのではないかと考えているのだが、どうであろうか?*1

介護の押しつけは良くないが

 

介護側の「都合」を押しつけてしまうことで、認知症患者がストレスを感じ、周辺症状が悪化してしまうケースは多い。なので、ケアや介護にも工夫は必要である。

 

しかし、「治さなくても良い」という発想は、治療や介護放棄に繋がりかねないと思うのだがどうであろうか?

 

薬が不要な認知症とは?

 

「治さなくてもよい認知症」とはどういうものか。それは恐らく、

 

  • 怒りっぽくはなく、また妄想もない。しかし記憶力低下はあり、新しいことは覚えられない。昔のことはよく覚えており、日常生活はある程度自立している。
  • 人の手を借りることもあるが、その場合には嫌がらずに受け入れてくれる、可愛らしいアルツハイマー型認知症の方。

 

このような方だと思う。

 

こういう方達ばかりであれば、確かに薬を使わずに看ていけるだろう。

 

しかし、現実はそうではない。最も患者数が多いと言われるアルツハイマーだが、その患者像は多彩であり、また皆が同じ経過を辿るはずもない。

 

そして当たり前のことだが、「認知症=アルツハイマー」という単純な図式などなく、レビー小体型認知症であったり前頭側頭葉変性症であったりなど、アルツハイマー以外の認知症も当然存在する。

 

このような病型の区別をしっかりせずに、「認知症は治さなくてもよい」と主張することは、単なる敗北主義ではないだろうか。

 

改善する認知症があるという現実

 

DLBの改善例

寝たきりからの改善例

脳血管性任意鞘の改善例

 

上に挙げたのは、比較的短期間で大幅に改善した方達である。

 

このような方達に、「認知症は治さなくてもいいんだ」という発想で臨んだ場合、その先にはどういう結果が待っていただろうか。

 

容易に寝たきりとなり、場合によっては胃瘻となっていたはずである。それでも「治さなくていい」と言えるのだろうか。

 

  • 認知症患者さん達は、穏やかなアルツハイマーの方達ばかりではない。
  • レビー小体型認知症や前頭側頭葉変性症は、早期に介入しないと大変なことになるケースが多い。
  • 薬もケアも、両方とも大切である。

 

複雑な現実に単純な理想を当てはめようとすると、その理想から外れる対象は切り捨てられてしまいがちだ。切り捨てるにあたって用意された文言が、「元々治らない病気だから諦めなさい」だとしたら、医療者の仕事とは一体何なのだろうか。

 

勿論全ての認知症患者さん達が良い経過をたどれるわけではない。また、「治る」という言葉には議論もあるだろう。

しかし「改善する」認知症があるという現実は、多くの人に知ってほしいと願っている。

 

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*1:ユマニチュードそのものは、介護の基本メソッドとして完成度が高いと思っている。念のため。