今回紹介するKTさんは、夜間のコールが頻回で易怒性も高く、施設側が困り果てていた男性である。
体力はかなり低下していたものの、歩行器を使い自力歩行は出来ていた方であったが、施設転居や肺炎による入院などイベントが重なった影響で、2ヶ月で歩けなくなってしまった。
80代男性 病型不明
初診時
(既往歴)
20代で肋膜炎 不安神経症
(現病歴)
2ヶ月前までは歩行器を使い、トイレも自立だった。
先月、現在の施設に転居し、食欲低下と活気低下をきたした。
その後肺炎を起こし、〇〇病院に2週間入院。帰ってきたら車いすになってしまっていた。更に、夜間不穏も目立つようになった。
困った家族と施設の希望で、ケアマネさん紹介で当院を受診となった。
(診察所見)
HDS-R:15.5
遅延再生:1
立方体模写:拒否
時計描画テスト:拒否
IADL:1
改訂クリクトン尺度:30
Zarit:11
GDS:5
保続:なし
取り繕い:なし
病識:あり
迷子:なし
DLB中核症状:2/4
rigid:なし
幻視:なし
FTD中核症状:3/6
語義失語:なし
頭部CT所見:前頭葉萎縮 ICA硬化性変化++
介護保険:要介護3
胃切除:なし
歩行障害:車いす
排尿障害:夜間頻尿
易怒性:あり
過度の傾眠:なし
(診断)
ATD:
DLB:
FTLD:
その他:
(考察)
ライオン顔貌だが喫煙者ではないのだと。円背が目立ち、GERD(胃食道逆流症)は姿勢の影響が相当大きいことが予想される。ランソプラゾール夕食後から、タケキャブ眠前にPPIを変更。
貧血や低栄養があり変性性認知症の要素を感じないが、施設の希望は夜間頻回コールと易怒性をなんとかして欲しいとのこと。排泄希望のコールが多いが、実際はほぼ空振りに終わるのだと。
OAB(過活動膀胱)にはウリトスで対応。前医の抑肝散3P3Xに効果は感じられない。消化器症状があるので抑肝散加陳皮半夏に変更し、夕方のみとする。睡眠対策はベルソムラからニトラゼパムに変更し、ミヤBMは残す。
次回は採血や検尿が出来れば。今回提案したが、本人に断られた。
(前医処方)
- ランソプラゾールOD(15)1T1XA
- ナフトジピル(25)1T1XA
- ベルソムラ(15)1T1X眠前
- 抑肝散3P3X
- ミヤBM3T3X
- クエチアピン(25)2T1XA
2週間後
- タケキャブへの変更でGERDの訴え減少
- ウリトス開始で排尿回数減少
ニトラゼパム5mgの飲ませ方は、施設で試行錯誤中。眠前だと明らかに翌日まで持ち越す。半分の2.5mgだと効かない。早く飲ませすぎると中途覚醒。夕に50mg入っているクエチアピンを37.5mgに減らしてバランスをとってみる。
抑肝散可陳皮半夏で夕方以降の穏やかさは増した。日中に「リハビリしましょう」と自分から久しぶりに言ってくるようになった。
総じて順調な経過。便秘対策で麻子仁丸とセンナリド頓服を試して貰う。便の性状は普通便で4~5日おきだと。
今日は採血をさせてくれた。次回は結果説明。目の前で作って見せたプロテインドリンクは美味しく飲んでくれた。これでたんぱく質補充を頑張って。
2週間後
以前より息切れが目立つ。日中は37度中盤の微熱。来院時は36度7分。
CTで右肺上葉は潰れている。左下葉に浸潤影。嚥下性肺炎かな。LVFX250mgを7日間。炎症反応はCRP4.6と中等度上昇、WBCは正常。Hbは前医採血データよりやや上昇しており、プロテインドリンク摂取の効果が窺われる。
- 血色素量(HB): 9.8g/dl
- MCV:96.6fl
- HbA1c(NGSP):5.3%
- AST(GOT):13IU/l
- ALT(GPT): 5IU/l
- γ-GTP: 9IU/l
- 尿素窒素: 25.0mg/dl
- クレアチニン:0.79mg/dl
- UIBC: 121μg/dl
- フェリチン定量: 507.2ng/ml
血清鉄及びUIBC低値。炎症があるのでフェリチン高値なのだろう。LDHや間接ビリルビンは低く、溶血の可能性はないだろう。鉄利用障害及びビタミンB群不足、低タンパクによる貧血かな。BUNやや高値は脱水傾向とみる。
ケアマネさんの提案でクエチアピンは終了にしてみる。もし寝なくなったら、20時30分内服で25mgを再開とし、ニトラゼパムを22時30分にする。今は3~4時に起きてコール頻回ではあるが、不穏や易怒性は全く無くなった。
肺炎コントロールが難しければ、近医で外来抗生剤点滴を。入院は出来るだけ避けたい。
頻尿と意欲は改善している。食事も全量摂取出来ている。
全体的には改善傾向で、施設負担は軽減されているようだ。
4週間後(介入から2ヶ月後)
19時30分頃でクエチアピン12.5mg、22時頃にニトラゼパム5mgという組み合わせがベストだと。夜間排尿コール20回ほどあったのが3回ほどに激減。不意の排泄があれば自らコールし、おむつ交換をしてもらったあとは速やかに入眠する。連続コールはほぼなくなった。
食事は全量摂取で毎日少量ずつの排便あり。頓用のセンナリドや麻子仁丸は使っていない。同伴の施設管理者は、満面の笑み。
1ヶ月処方。良かったですね。
(最終処方)
- ナフトジピル(25)1T1X夕食後
- 抑肝散加陳皮半夏1P1X夕食後
- クエチアピン(12.5)1T1X夕食後
- ミヤBM1T1X夕食後
- ニトラゼパム(5)1T1X眠前
- タケキャブ(20)1T1X眠前
- ウリトスOD(0.1)1T1X眠前
- ミヤBM1T1X眠前
(引用終了)
手段と目的の混同→ポリファーマシー
KTさんの家族は「また歩けるようになってほしい」と希望し、KTさんの住む施設スタッフは
- 夜間の頻回コールを減らして欲しい
- 夜中遅くまで寝ずに、朝は3時に起きるのをなんとかして欲しい
- 薬のことを気にして何度も聞いてくるのをどうにかして欲しい
- 思いどおりにいかないと大声で怒るのを止めて欲しい
- リハビリへの意欲を取り戻し、また歩けるようになって欲しい
この5点を希望していた。
生活を共にしていない家族の希望と、集団生活を"管理"する側にある施設の希望が一致しないことはザラであり、両者の希望を余すことなく実現することは果てしなく難しい。
ただ、今回のケースでは「リハビリへの意欲を取り戻し、また歩けるようになって欲しい」という、家族と施設側の一致点と思えるニーズがあったので取り組みやすかった。
「意欲を取り戻して、また歩けるようになって欲しい」というのはニーズ(Needs)である。一方、「夜間の頻回コールを減らして欲しい」・「薬のことを気にして何度も聞いてくるのをどうにかして欲しい」というのは、ウォンツ(Wants)である。
「ニーズ=目的」
「ウォンツ=手段」
と置き換えてもよいだろう。
今回のケースをまとめると、
「リハビリへの意欲を取り戻し、また歩けるようになって欲しい」という目的(ニーズ)を達成するためには、「夜間睡眠を改善し、日中の活動性を高める」ことが必要であり、そのために「ウリトスで排尿回数を減らし、クエチアピンで易怒性を和らげつつ睡眠に誘い、ニトラゼパムで寝て貰う」という手段(ウォンツ)が必要であった。
となる。
特に、認知機能の衰えた高齢者に対しては、このようなプロセスを意識して抗認知症薬や抗精神病薬を処方するようにしている。何故かと言えば、その方が"安全"だからである。
認知症に携わる医者がウォンツに結託し過ぎると「ハイハイ、取り敢えずお薬出しとくね」と高用量の抗認知症薬や抗精神病薬が投入される羽目になりかねず、実際に少なからずそのようなケースに遭遇して解毒を行ってきた身としては、ウォンツと過度に結託してはならないと自分を戒めている。
家族や施設側の希望は、多くの場合でウォンツに留まっている。
そして、医療現場では場当たり的に「睡眠薬が欲しい・痛み止めが欲しい」といったウォンツに対して処方がなされる傾向にあるが、それを助長するのが「ウォンツをニーズに昇華出来ない介護施設」という側面が確かにあることを、これまで何度も経験してきた。
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ウォンツをニーズに昇華させるのは医者の務めの一つかもしれないが、もし【ウォンツ→ニーズ】への昇華が介護現場で為されてから医者まで持ち込まれるようになってくれたら、外来が相当捗ることは間違いない。
ニーズまで高められていない、只のウォンツを解決するために場当たり的な投薬が乱発されると、それは容易にポリファーマシーに繋がっていく。
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理想的な(機能的な)医療介護連携とは、
ウォンツをニーズに昇華させるということは、具体的には
このような問いを、何度も繰り返して深掘りしていくということである。これは、明確な"トレーニング"である。医者がこのトレーニングを普段からしていないと、
施設介護者「先生、患者さんが眠ってくれなくて困っています」
医者「では、睡眠薬を出しておきます」
とか、
介護者「父が最近もの忘れが目立つようになってきたので、何か薬はないでしょうか?」
医者「では、抗認知症薬を出しておきます」
といった具合に薬が出され、介護者の要求全てに薬で対応しようとする「反射的ガキの使いDr」が出来上がる。
介護者の立場で考えると、「何のために?」という自問への答えが「介護者である自分が困るから」という答えに留まるのであれば、その希望はニーズではなくウォンツだと思って良い。
絶対的な正解などというものは無いが、例えば「眠って欲しい」というウォンツは以下の様に深掘りできる。
- 眠って欲しい→何故?→不眠は困るから→何故不眠は困る?→夜間不眠だと日中傾眠となり、日中の活動性が下がってしまうから→日中の活動性が下がると困るのは何故?→日中リハビリが出来なくなってしまうから→何故リハビリが出来ないと困るのか?→歩けなくなってしまうから→歩けなくなると何故困るのか?→自分のことが自分で出来なくなるから。お父さんには、いつまでも元気で歩いていて欲しいから。→元気に歩き、自分のことは自分で出来て欲しい。そのために、夜はしっかり寝て欲しい
「眠って欲しい」というウォンツを、「元気に歩き、自分のことは自分で出来て欲しい。そのために、夜はしっかり寝て欲しい」というニーズまで介護現場で高めて認知症外来に持ち込み、それを今度は医者と介護者が共にウォンツに分解していく。その過程で、様々な工夫の派生が期待出来るだろう。「眠って欲しい」というウォンツをそのまま反映させた処方と、ニーズを反映させた処方が結果的に同じということはままあるが、様々な工夫の派生という点に関しては、間違いなくウォンツをニーズに高める過程で産まれるものである。
- 不眠に原因はないだろうか?例えば、夜のお茶を出していたけど、それは止めてみようかな?夕食はおかずにするだけで睡眠の質が高まると聞いたこともあるので実践してみようかな
- 本当に不眠から先に介入すべき?日中は頻繁に声かけして起こしてあげて、身体を動かして貰うことで睡眠に繋げることから試してもいいのでは?
掘り下げて考え続けることによって、思考は鍛えられ対応力は磨かれる。そのことは、ひいては患者利益・利用者利益に繋がる。
- トイレの回数を減らして欲しい→トイレが多くて不眠になっているから→夜間のトイレ回数が多くて不眠になっているかと思っていたけど、日中ウトウトはしていないみたいだ。ただ、転倒のリスクがそれなりにあるので、排尿回数が減ったらいいなとは思う。→排尿回数を減らすための抗コリン薬内服で転倒のリスクが増すことがある→だったら、いましばらく様子をみようかな・・・
- 大声を上げるのを止めさせて欲しい→他の利用者が驚いて、場の空気が乱されるから→よく観察していると、どうも特定対象に大声を上げているようだ。まずは、その対象を視界から外す工夫をしてみようかな。
相手のお困り事に対して解決策を講じて提案・提供するのが対人関係を前提とする仕事の基本であり、これはサービス業界だろうが医療介護業界だろうが変わりはない。
ウォンツとニーズを意識せずに場当たり的な仕事を続けていると、そのうちに何のために仕事をしているのか分からなくなる。医療介護業界の人手不足が深刻だと言われて久しいが、場当たり的にウォンツに対応しているうちに燃え尽きてしまうという理由もあるかもしれない。手段と目的の混同には気をつけたいものである。
目的が明確であれば、複数の手段を講じることが可能となる。そして、目的が明確になれば、手段としての薬が必ずしも必要ではない、若しくは、むしろ薬が足を引っ張っていたことが分かる場合もある。
この数年、自分は「認知症の進行抑制目的で抗認知症薬は使わない」というルールで診療を行っている。
何故このようなルールを自らに課したかというと、その方が結局は安全だからであるということ以外に、「認知症の進行を遅らせる」ということが明確な目的になりがたい、「そうあってくれたらいいな」という漠然とした願い(ウォンツ)に過ぎないと感じるからだ。
薬の提案も介護の工夫の提案も、いずれも明確な目的のために行いたいと思っている。
介護現場で【ウォンツ→ニーズ】に昇華された内容を、医者と介護者が再び【ニーズ→ウォンツ】に落とし込む過程で、投薬だけでなく、声かけや対処方法も同じ俎上に乗せて皆で吟味する。
これが今のところ自分が理想とする医療介護連携である。

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