鹿児島認知症ブログ

鹿児島でコウノメソッドや糖質制限を実践している脳神経外科医のブログ

運動ニューロン疾患を伴う前頭側頭型認知症(FTD-MND)とは?

ALS?FTD-MND?

 

経過中に神経内科に紹介し、最終的にALS(筋萎縮性側索硬化症)の確定診断が付いた方をご紹介。

 

 

FTD-MND① 頭部画像 MRI CT
 

 

 

FTD-MND② 頭部画像
 

 

FTD-MND③ 長谷川式 ピックスコア
  

66歳男性 FTD-MND? ALS?

 

初診時

 

(記録より引用開始)

 

 

今年の6月過ぎから、カラオケで高音が出なくなったと友人から指摘された。

 

その後、話しにくい、ムセるなどの症状が出現。かかりつけから当院神経内科を紹介受診。

 

多発脳梗塞を指摘され、かかりつけで抗血小板剤の処方を受けるように言われた。また耳鼻科を受診するよう指示されて、受診するも特に診断はされず、ネブライザーなど数度行われたのみ。診断及び治療を求めて11月に当科受診。

 

(診察所見)

 

鼻声音

構音障害?しゃべりにくそうではある

パピプペポ、ラリルレロは引っかかりなし

カーテン徴候なし

やや唐突な感じで、同じことを何度も話す。その都度妻が制止する

笑顔は多い

rigidなし

歩行障害なし

振り返り動作多い

HDSR17点

復唱OK

計算関係1点

遅延再生1点

語想起0点

診察中から腕を組み始めた

FTLDセット2点 右手で左肩は、当方の肩を触った!

猿も木から落ちるはオウム返し

 

神経内科初診時の頭部MRIでは、脳梗塞は認めず白質変化のみ。右側頭葉底部は萎縮が疑われる。

 

当科の頭部CT3方向でも、やはり右側頭葉の優位な萎縮を認めた。前頭葉内側面や眼窩面萎縮はない。上方スライスでの左右差はない。

 

復唱OKで吃りはないので典型的なPFNAでは無いだろうが、しゃべりにくさは??緩慢な感じではある。

 

SD>PFNAと考えておく。遅延再生低得点なのでATDの可能性も少し念頭に。

 

奥さんは認知面低下に気づいていなかったのか、HDS-Rの途中で泣き出してしまわれた。

 

イクセロンパッチ開始。フェルガードLAを勧める。

 

4週間後

 

HDSRは27点に急上昇。イクセロンパッチ著効と考える。

 

歩行がゆっくりで緩慢になっている。嚥下障害、構音障害は進行傾向かな。前回お勧めしたフェルガードLAは既に始めていると。

 

握力は右が10kgで左が14kg。肢節運動障害はなさそうだが・・CBD?

 

CBDで難病申請。今後は他院の降圧薬などの内服も引き継ぐ。運動ニューロン病の可能性も考慮して、筋電図検査など含めて神経内科に再度診察依頼。

 

更に4週間後

 

神経内科からの返事は、

 

  • 球症状(嚥下、構音障害)
  • 右側有意の筋力低下
  • 運動神経のみCMAP低下
  • 感覚神経問題なし
  • F波導出不良
  • 筋電図で脱神経所見
  • 呼吸機能低下

 

これらを総合して、「筋萎縮性側索硬化症(ALS)でしょう」とのことだった。

 

当方からの紹介状には、

 

「運動ニューロン疾患を伴う前頭側頭型認知症(FTD-MND)の可能性はありますか?」

 

と書いておいたが、返書には

 

「発症当初の認知症症状の症状が確認出来ていない。現在は認知症症状はないようですので、ALSと考えます。」

 

と書かれていた。

 

(引用終了)

 

その後の経過

 

患者さんはこの神経内科受診後に、訪問診療医へバトンタッチとなった。

 

症状の進行は早く、確定診断がついてから1ヶ月後には嚥下困難となり、胃瘻造設となっていた。

 

しかし、イクセロンパッチとフェルガードLAは続けて頂いていたようで、たまたま院内でお会いして話した時には、構音障害は相当進行していたが、しっかりと理解して疎通が図れていた。

 

以降はお会い出来ていない。如何されているだろうか。一生懸命な奥さんと娘さんのことも併せて思い出される。 

 

認知症症状は改善したが・・

 

 SD(意味性認知症)?PFNA(進行性非流暢性失語?)?ATD(アルツハイマー型認知症)?から始まり、その後CBD(皮質基底核変性症)?FTD-MND(運動ニューロン疾患を伴う前頭側頭型認知症)?と変遷し、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の確定診断に至った。

 

発症当初及び、イクセロンパッチでの大幅な改善をみている当方にとっては、診断はFTD-MND(運動ニューロン疾患を伴う前頭側頭型認知症)と考えているが

 

側頭葉は右優位に萎縮していたが、筋力左右差が出ていたのは右上下肢だった


このことが疑問となって残っている。