鹿児島認知症ブログ

鹿児島でコウノメソッドや糖質制限を実践している脳神経外科医のブログ

高齢者の運転免許継続に関わる診断書作成の難しさ。

 今回紹介するのは、前医で認知症(病型不明)と診断されて抗認知症薬を内服中だった方。

 

ご家族のご希望で当院にお引っ越しとなったのだが、運転免許にまつわる問題の難しさを改めて感じたので書いてみる。

70代男性 前医では認知症の診断だが・・・

 

初診時

 

奥様と娘(長女)さんと3人で来院。
奥様と二人暮らし。

(既往歴)
60代と70代で脳梗塞 麻痺などの目立った後遺症はなし
(現病歴)

1年半前から物忘れ。道迷い。その頃〇〇病院に相談したところ、まだ薬は必要ないと言われた。今年の夏に金銭のもの盗られ妄想あり。また、以前よりも短気になった。

 

2週間前にドネペジル5mgが開始された。本人曰く「頭がスッキリした」とのことだが、家族からすると「ソワソワして以前より落ち着きがないみたい」とのこと。

 

娘さんの希望で同伴来院。

 

(診察所見)
HDS-R:16
遅延再生:2
立方体模写:OK
時計描画:OK
IADL:4
改訂クリクトン尺度:13
Zarit:8
GDS:0
保続:なし
取り繕い:あり
病識:あり
迷子:道迷い
レビースコア:ー
rigid:なし
幻視:なし
ピックスコア:ー
FTLDセット:ー
頭部CT所見:海馬萎縮 放線冠梗塞痕
介護保険:ー
胃切除:なし
歩行障害:なし
排尿障害:なし
易怒性:時に
傾眠:なし

(診断)
ATD:△
DLB:
FTLD:
その他:MCI VaD

(考察)

 

礼節を保ち、衰えの自覚はある。ADLは自立。短気になったり土地金銭への拘りの強さは、加齢と脳梗塞後の影響を加味して考える必要があるかな。

 

3年前の脳梗塞の際には、呂律困難が主訴だったと。これは放線冠梗塞だったのかな?では60代の脳梗塞が塞栓?心電図ではafなし。現在ワーファリンを3.5mgで内服中だが、最近は採血はあまりしていないとのこと。本日凝固系含めて採血を。

 

今後は当院からの処方希望あり。〇〇島在住だが、通院は大丈夫とのこと。次回でドネペジルは3mgへ減量かな。


ワーファリンは少量イグザレルトに切り替えて、プレタールと併用でいずれ卒業を狙うかな?

 

6週間後

 

今回から当院処方に。

前医でドネペジル開始以降、実は食欲が低下していると。3mgに減量。
PT-INRは2.4。1週間休薬してイグザレルト10mgに変更。


認知面対策でプレタール50mg開始。
降圧薬は現状維持で、便秘対策にマグミット開始。

「銀行の人間に金を盗られた」という妄想的発言?が今朝あったとのこと*1

 

介入から5ヶ月後

 

1~2年前に、一旦停止で違反歴あり。警察から診断書を提出するように書類が送ってきたので書いて欲しいと。

 

  • HDSR23(1)
  • 透視立方体模写と時計描画テストはOK

 

MCIの透視立方体模写と時計描画テストと長谷川式テスト

 

5ヶ月前はHDSR16(2)で透視立方体模写と時計描画テストはOKであった。

 

視空間認知は保ちつつ、全体としては7点アップ。ADLは完全に自立し病識はある。遅延再生こそ低いが、MCI(軽度認知機能障害)で考えよう。

 

フェリチン50でHb12.3。フェルム開始。

 

(処方内容)

 

  • ドネペジル2.5mg朝食後
  • メマリー5mg朝食後
  • プレタール50mg朝食後
  • グラマリール50mg朝食後
  • アムロジピン5mg朝食後
  • イグザレルト10mg朝食後
  • フェルムカプセル100mg朝食後
  • マグミット330mg朝食後

 

(引用終了)

 

一旦認知症の診断が降り抗認知症薬が処方されると、免許は諦めるべきなのか?

 

前医がどのようにして認知症の診断を下したか、その根拠は分からなかった。ご本人やご家族に聞いた限りでは、頭部画像評価や長谷川式テストなどが行われた形跡はなかった。

 

学会が定めた認知症の定義が

 

認知症とは、一旦正常に達した認知機能が後天的な脳の障害によって持続性に低下し、日常生活や社会生活に支障をきたすようになった状態を言い、それが意識障害のないときにみられる。(認知症疾患治療ガイドラインより引用。赤文字強調は筆者によるもの。)

 

である以上、途中で回復した場合、それは認知症とは呼べなくなる*2

 

自分の場合、抗認知症薬の使い方が他の医師と恐らく違っていて、「認知症の進行抑制目的」ではなく、「今困っている症状の改善目的」で使用する。

 

なので、加齢による衰えと思われる方にリバスタッチを1.125mg~2.25mgを使用したり、レミニールを2mg処方したりなど普通に行っている。「抗認知症薬で改善したら、その方は認知症なのだ」とは考えない。神経伝達物質のアンバランスさが是正された結果だ、と考える。

 

しかし、先日医師会から以下の様な通達が届き、考え込んでしまった。

 

運転免許証の診断書作成にまつわる注意点

 

上段真ん中あたりの文章を抜粋する。赤文字強調は筆者によるものである。

 

本制度において、懸念としておりました診断書を作成した医師に対しての民法上の責任(民事訴訟を提起された場合の対応等)について、今般、改めて弁護士並びに民事訴訟の鑑定人として経験を有する精神科専門医、及び県警と相談しました。

その結果、診断書作成を行う医師については、更なる慎重な検討が必要であると判断しました。今後、上記につき早急に検討し、御報告いたします。

 

先日の道交法改正以降、診断書を作成した医師が患者から民事訴訟を起こされたケースがあったのだろうか?それとも、診断書に手心を加える医師が多いことが露呈したのだろうか?

 

「記」も抜粋してみる。

 

〇患者の求めに応じて、医学的根拠なしに、認知症ではない旨の診断書を作成することは厳に慎むこと。(診断書の提出命令が出された患者は、認知機能検査で第1分類「認知症のおそれあり」と判定された方であるので、「認知症でない」との診断を行う場合は、認知機能の低下がないことを、医学的根拠をもって説明出来る必要があります。)

 

診断書に手心を加えてはならないのは職業倫理上当然であるが、医師も人間なので「認知症の診断書を書いて、この患者さんから訴えられたらどうしよう・・・」という心理が働くことは否めない。

 

形而上的「職業倫理」から外れることなく、形而下的「提訴のリスク」は自ら回避せよという、非常に困難な立場を我々は強いられている。

 

www.ninchi-shou.com

 

また、『警察が「認知症の恐れあり」と判断した方に対して「認知症ではない」と診断する場合、認知機能の低下がないことを医療サイドは医学的根拠を持って説明せよ』というのは、何やら悪魔の証明を強いられているようで、正直気分が悪い。

 

「認知機能低下=認知症」だろうか?加齢に伴って認知機能は誰でも低下することを忘れてはいないだろうか?

 

こと免許更新に関しては重要なのは、複数ある認知機能のうち、どの能力が運転技術と密接に関連しているのかについてだと思うのだが、今の医学はそのことについて統一的な見解を示せていないし、個々のドライバーが保持する認知機能、そして各々の運転免許を必要とする社会的条件は様々なため、そもそも統一的見解を示すことからして困難であり、個別対応することが本来は望ましいと思う。

 

オーストラリアのビクトリア州では、認知症と診断されても、個別の進行度や環境に応じて「自宅から半径5キロ以内」とか、「日中のみ」といった条件付きで運転免許を維持出来る制度があるそうで、個別対応という点で日本よりも先んじている。国土が広大なオーストラリアならではの制度ということはあるだろうが。*3

 

視空間認知や視覚的記銘力が衰えていたら運転は難しいが、日時見当識や計算力が衰えていても、慣れた道の運転には大きな影響はないというのが自分の考えである。「そうではない」という医師もいるだろうが。

 

「病識を持っているのでアルツハイマーではない」、「軽度の取り繕いはあるものの、保続は認めず視空間認知は保っているので、アルツハイマーではない」といった見解が「医学的な説明」と認められるのだろうか。恐らく難しいかもしれない。

 

〇臨床所見・検査結果からは判断しにくい場合、専門医療機関の診断を勧めること。

 

専門医療機関の診断の元に処方された抗認知症薬過量投与の後始末をすることが多い自分なので、免許証交付に関わる認知症の診断を専門医療機関に依頼することは、自分にとって「責任回避」のように感じられ抵抗がある。

 

〇かかりつけ医においても、HDS-R、MMSE等の簡易的な認知機能検査で確定できない症例については、臨床検査結果(頭部CT、MRI、SPECT、PET等の画像検査、あるいは特記すべき血液生化学検査、脳脊髄液検査など)等を踏まえ、診断するべきであること。

 

簡易テストのみで診断すべきではないことに異論はない。また、画像検査を省略すると痛い目を見ることはあるので、一度は行っておいた方がよい。

 

〇認知症と診断した場合、(認知症治療薬を投与した場合も含む)は、必ず患者並びに家族等に自動車運転を中止し、免許証を返納するよう説明するとともに、その内容を診療録に記載すること。

 

認知症と診断しなくても、対症療法的に少量の抗認知症薬を処方することのある自分にとって、この項目が悩ましい。

 

今回例として提示した方に自分が下した診断はMCI(軽度認知機能障害)である。MCIは今回の法改正では免許取り消しとはならないが、半年以内で再検査となる。

 

他院から引き継いだ時点で既に抗認知症薬を内服中であった訳だが、その抗認知症薬を減量して他の薬剤も調整した結果、この方は初診時よりも改善した。

 

今回の通達に従うと、抗認知症薬を飲んでいるのであれば必ず免許を返納するように勧め、診断書には「認知症」と書くことになる。さてどうしたものか。

 

自分は、この方に

 

「今のところ運転に大きな支障はないように思えるので、そのように診断書に記載しました。ただ、年齢を考えると、そろそろ卒業が近づいていると思うので、少しずつ準備はしていかないとですね。」

 

このように説明し、納得頂いた。

 

MCIと臨床診断したが、極少量の抗認知症薬は効果があるので継続*4しつつ、将来的な免許返納を「一緒に」目指していく。これが現状もっとも無理のない方法だと判断して、そのように取りはからった。

 

警察が当院の診断書に納得がいかなければ、臨時適性検査を受けるよう命令を出し、しかるべき専門医療機関を受診させるのであろう。その結果、この方が免許停止になったとしても、主治医の自分はフォローを続ける。

 

ちなみにこの方が現在運転しているのは、楽しみで続けている農作業に必要なトラクターのみである*5

 

自宅から畑までの信号もない100m程の田舎道をトラクターで往復したいから、免許はまだ継続したいというご希望なのである。可能な限り配慮してあげたいものだ。

 


Tractor Country Road flickr photo by LadyDragonflyCC - >;< shared under a Creative Commons (BY) license

 

☆高齢者の運転免許にまつわる問題については、こちらの記事もご参考までに<(_ _)>

 

www.ninchi-shou.com

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*1:ご家族ご本人に確認したが、実際に以前土地をだまし取られたことがあったらしい。何かの拍子でそのことを思い出すと腹が立ち、易怒性が亢進すると表現が過激になり、周囲はそれを妄想言動と捉えてしまうようだった。

*2:これを屁理屈だと思うだろうか?

*3:運転が可能かどうか、医師以外に作業療法士も加わって判断しているらしく、羨ましく思う。

*4:臨床病名>>>保険病名という、臨床医としての配慮。

*5:その大きさにより異なるが、トラクターが公道を走るには免許が必要である。この方には、畑の片隅にトラクターを格納できる小屋のようなものを造れないか、検討して頂くことにした。それが可能となれば、免許を返上しても困る事はなさそうである。