いよいよ道路交通法が改正となる。
今年の1月に、鹿児島県医師会主催による道交法改正に関する説明会が行われたので参加した。 当日配付された資料を基に、改正道交法の問題点や自分の関わり方について、改めて考えてみた。
2017年3月 改正道交法の概要
警察によると、今回の改正の要点は
- 高齢者講習の高度化・合理化
- 臨時認知機能検査の新設
- 臨時高齢者講習の新設
- 臨時適性検査対象の拡大(診断書提出命令の規定の整備)
この4点に集約されるとのこと。1つずつ見ていく。
①高齢者講習の高度化・合理化
【現行】
- 75歳未満の高齢者講習は3時間
- 75歳以上の高齢者講習は2時間30分
- 免許更新時の認知機能検査の結果で分けない
【改正後】
- 75歳以上の高齢者では、免許更新時の認知機能検査の結果で第1分類または第2分類と判定された者は、3時間の高齢者講習
- ドライブレコーダーによる実写指導や個別指導の実施
- 75歳未満の者、及び認知機能検査が第3分類であれば、高齢者講習は2時間となる
免許更新時の認知機能検査の結果次第で、高齢者講習の時間に差が出ることになる。ここは概ね異論は出ないだろう。
②臨時認知機能検査の新設
【改正の背景】
現在、認知機能検査の機会は、3年に1度の免許更新時に限られている。しかし、認知機能が3年間維持される保証はない。
【改正概要】
75歳以上の者が、認知機能が低下した場合に行われやすい一定の違反をしたときは、臨時に認知機能検査を受けなければならない。(道交法第101条の7第1項)
- 実施時期は通知を受けた日の翌日から1ヶ月以内
- 認知機能検査を受けなければ、免許停止または取り消しとなる
「認知機能が低下した場合に行われやすい一定の違反」とは何かを調べてみた。以下は警視庁のHPより引用。
- 信号無視(例:赤信号を無視した場合)
- 通行禁止違反(例:通行が禁止されている道路を通行した場合)
- 通行区分違反(例:歩道を通行した場合、逆走をした場合)
- 横断等禁止違反(例:転回が禁止されている道路で転回をした場合)
- 進路変更禁止違反(例:黄の線で区画されている車道において、黄の線を越えて進路を変更した場合)
- しゃ断踏切立入り等(例:踏切の遮断機が閉じている間に踏切内に進入した場合)
- 交差点右左折方法違反(例:徐行せずに左折した場合)
- 指定通行区分違反(例:直進レーンを通行しているにもかかわらず、交差点で右折した場合)
- 環状交差点左折等方法違反(例:徐行をせずに環状交差点で左折した場合)
- 優先道路通行車妨害等(例:交差道路が優先道路であるのにもかかわらず、優先道路を通行中の車両の進行を妨害した場合)
- 交差点優先車妨害(例:対向して交差点を直進する車両があるのにもかかわらず、それを妨害して交差点を右折した場合)
- 環状交差点通行車妨害等(例:環状交差点内を通行する他の車両の進行を妨害した場合)
- 横断歩道等における横断歩行者等妨害等(例:歩行者が横断歩道を通行しているにもかかわらず、一時停止することなく横断歩道を通行した場合)
- 横断歩道のない交差点における横断歩行者等妨害等(例:横断歩道のない交差点を歩行者が通行しているにもかかわらず、交差点に進入して、歩行者を妨害した場合)
- 徐行場所違反 (例:徐行すべき場所で徐行しなかった場合)
- 指定場所一時不停止等 (例:一時停止をせずに交差点に進入した場合)
- 合図不履行 (例:右折をするときに合図を出さなかった場合)
- 安全運転義務違反 (例:ハンドル操作を誤った場合、必要な注意をすることなく漫然と運転した場合)
上記違反を犯した75歳以上の高齢者が「認知機能低下をきたしている恐れあり」とされ、臨時認知機能検査を受けさせられることになれば、その数は膨大なものとなるであろう。
「認知症でないのであれば、検査で分かるでしょ?検査にパスすればいいだけじゃん?」と思う人がいるかもしれない。
しかし、ただでさえ違反で動揺しているところに、「免許停止・取り消しに繋がるかもしれない臨時認知機能検査」を受けさせられた場合、認知症ではなかったとしてもプレッシャーから通常通りの力を発揮できるとは限らない*1。
「うっかりしていて違反してしまった」=「認知機能低下ですね」がまかり通るのであれば、老若男女問わずあらゆる交通違反のほぼ全てが認知機能低下(≒注意障害)によるものとなる。
次の免許更新までの3年間、認知機能が保持される保証は確かにどこにもない。
しかし、上記18の違反項目に引っかかる75歳以上の高齢者を「認知機能低下疑い」と見做して臨時認知機能検査を受けさせるというのは、かなり乱暴な話だと思う。
③臨時高齢者講習の新設
【改正概要】
臨時認知機能検査の結果、直近において受けた認知機能検査と比較して認知機能が低下したと認められる場合は、臨時高齢者講習を受講しなければならない。(道交法第101条の7第4項)
- 実施時期は通知を受けた日の翌日から1ヶ月以内
- 講習を受講しなければ、免許の停止又は取り消しとなる
表にすると以下。
直近の認知機能検査 |
臨時認知機能検査 |
臨時高齢者講習 |
第3分類、検査なし |
第3分類 |
不要 |
第3分類、検査なし |
第1、第2分類 |
要 |
第2分類 |
第2、第3分類 |
不要 |
第2分類 |
第1分類 |
要 |
第1分類 |
第1分類 |
不要 |
違反をして臨時認知機能検査を受けても、直近の検査と比較して同レベル、もしくは上回る結果であれば、臨時高齢者講習は受けなくても済む。
直近の認知機能検査で第一分類、臨時認知機能検査でも第一分類だった方は、その後臨時適性検査もしくは医師の診断書提出が義務づけられるため、一旦臨時高齢者講習の対象からは外れる。その後、「認知症ではない」という診断が降りた後に、改めて高齢者講習を受けることになる。
この臨時高齢者講習そのものには一定の有用性はあろうから、問題とは考えない。
④臨時適性検査対象の拡大
【改正の背景】
認知機能検査の結果、第1分類(認知症が疑われる)と判定されても、一定の違反がなければ、医師の診断を経ることなく運転が継続されている。
【改正概要】
公安委員会は、認知機能検査の結果第1分類と判定された者に対し、臨時適性検査、又は医師の診断書提出を命ずることができる。
- 臨時適性検査を受検しない、又は診断書を提出しなければ、免許の停止又は取り消しとなる
②の「臨時認知機能検査の新設」とセットで、今回の道交法改正の目玉と言える「臨時適性検査(又は医師の診断書提出)対象の拡大」。
臨時適性検査は、公安委員会が指定する専門医が行う。
公安員会の指定する専門医とは、
- 認知症疾患医療センターに勤務する医師
- 日本老年精神医学会専門医
- 日本認知症学会専門医
- 日本精神神経学会専門医
- 日本神経学会専門医
- 日本神経治療学会専門医
- 日本老年医学会専門医
を指すようだ。
実際の運用は、臨時適性検査の通知が届いて1ヶ月以内に専門医のいる施設を受診し、警察官の立ち会い(恐らく)の下に検査を受けるという流れ。この際にかかる費用は公費で負担される。
その理由は、臨時適性検査が
運転免許喪失という、自らの不利益に繋がる検査を強制される"不利益処分"にあたる
性質のものだから、らしい。
一方、診断書提出命令を受けた対象者は、3ヶ月以内に専門医または主治医の診断書を提出しなければならないが、この際にかかる費用は自己負担となる。
その理由は、診断書提出という行為は
自分は免許を継続する利益(利益処分)を享受するために、その能力を持っているということを自ら証明する
ことだから、らしい。この場合、健康保険の適応かどうかという問題が発生するが、今回の説明会の中で特に明言はなかった。
「認知症が疑われたが故に受診」となった訳なので、「認知症疑い」の病名で保険診療の適応とすることに大きな矛盾はないようには思う。
警察によると、臨時適性検査と診断書提出命令は、ひとまずは診断書提出命令による対応が優先されるとのこと。
ただし、以下の基準を満たす場合は臨時適性検査が妥当と判断される。
ア 交通危険者で早期に道路交通の場から排除する必要があること
- 現に交通事故を起こし、又は危険運転者として通報等がなされた者
イ 専門医又は主治医の受診が困難であること
- 対象者の周辺地域の医療体制を理由に診断書提出命令に応じることが困難である者
- 主治医が認知症専門でないこと等を理由に診断書の作成を拒否された者
ウ 生活環境等から診断書提出命令が不適当と認められること
- 認知機能が著しく低下し、診断書提出が理解できない者
- 独居高齢者であり、その家族の協力が得られない者
- 生活保護受給者であり、困窮である者
赤字で強調した箇所に注目。
診断書提出命令を受けた対象者が主治医に診断書作成を依頼しても、主治医は断ることが出来るのである。このことについては後述する。
積極的に診断書を書く主治医はいるのか?
ここまでの流れを一旦整理すると、以下の図のようになる。
これまでは、免許更新時の認知機能検査で認知症が疑われても、次の更新時まで違反がなければ見逃されてしまうことが問題視されていた。これは分からないでもない。
しかし、「認知症や高齢者であれば事故を起こしやすいのか」と問われたら、必ずしもそうとは言えない。
bylines.news.yahoo.co.jp
- どの能力が落ちたら、運転出来ないとみなすのか?
- それを判断するための、適切な検査があるのか?
- 運転不可能となった高齢者の、その後の生活は?
このような課題が明確にクリア出来ているとは、現状とても言い難い。
警察が診断書提出命令を優先で考えているという点も、我々主治医にとっては悩みである。
認知面低下に気づいてはいても、免許停止により生活が立ちゆかなくなる可能性のある自分の患者に対して、おいそれと主治医が診断書を書けるだろうか?
「最近車をよくぶつけるんです」といった家族情報でもあれば別だが、今のところ危険運転の徴候のない方に、どのように説明して診断書を書けばよいのだろうか?
「透視立方体模写と時計描画テストは大丈夫ですが、長谷川式テストの結果、日時見当識と非言語性記銘力、作業記憶での失点によりカットオフラインを下回りました。よって認知症という診断書を作成しました。この診断書で運転免許は取り消しとなります。」
このような説明で納得する高齢者がいるだろうか?
また、主治医が曖昧な言い方でその場を切り抜けても、書いた診断書の病名が認知症であれば、結局は免許は取り消しである。むしろ、曖昧な言い方をした分あとで相当恨まれることになる*2。
認知症の診断書を書いた時点で、主治医と患者の関係には大きな亀裂が入るであろうことは想像に難くない。
つまり、診断書を作成すると決めたら、最悪の場合主治医はその患者さんとの関係が終わるかもしれないことを覚悟する必要がある。
積極的に、このような仕事を引き受けたいと思う主治医がいるとは思えない。
訴えられる可能性のある主治医
主治医が「自分は書けません」と断った場合、患者さんは他院に診断書作成を依頼するか、臨時適性検査を受けるかの選択になる。いずれにせよ、認知症と診断されたら免許は取り消しである。
恐らく多くの主治医は、診断書作成依頼があっても断るのではないかと思う。
何故なら、「患者さんとの今後の関係を壊したくない」という理由以外に、「”医者の診断書で不利益を被った”として、患者さんから訴えられたくない」という理由も考えられるからである。
これは説明会で警察から聞いたのだが、過去においてそのような訴訟事例があるようなのだ。そこで警察が行った説明が振るっていた。
臨時適正検査を担当して頂く専門医の先生方が民事で訴えられても、公安委員会が全力でバックアップします。
公安委員会から依頼されて臨時適正検査を行う専門医は、その時点では「みなし公務員」という扱いになるらしい。公務員なので、公安員会が守るという理屈なのだろう。
「では、主治医が訴えられたら公安員会は守ってくれるのか?」と、当然の疑問が浮かんだのだが、その問いに警察が明確に答えることはなく、
訴訟は滅多にあることではないですから・・・
という説明に終始していた。
しかしそれは、あくまでも現行法の枠組みの中でのことであり、診断書提出命令及び臨時認知機能検査が義務づけられる今後も、訴訟が滅多に発生しないという保証はない。むしろ、常識的に考えれば訴訟は増えるのではないだろうか。
あと気になるのは、”認知症ではない”という診断書を作成した後に、患者さんが事故を起こした場合はどうなるのか?という点。
そのことで刑事責任を問われることはないだろうが、「どのような検査をしたのか?本当にちゃんと診断したのか?」と警察から問われることは予想される。
「事故を起こす高齢者はまず、認知症を疑おう」という風潮は、既に世間に定着している。診断書を書いた主治医は、そのような世間の目にも曝される可能性がある。
これらの件に関する、医師会の見解は以下。
認知症の人の事故「診断の責任は問われず」 〔CBnews〕|ニュース|Medical Tribune
日本医師会(日医)の鈴木邦彦常任理事は8日の記者会見で、認知症でないと診断された75歳以上の運転者が、事故を起こした後に実際は認知症を患っていたことが判明した場合の診断した医師の責任について言及した。鈴木氏は、医師が良心と医学的な見識に基づいて診断したのであれば、「刑事責任は問われない」との認識を示した。(上記リンクより引用。赤文字強調は筆者による。)
「刑事責任は問われない」との医師会理事の見解だが、民事賠償請求の可能性について言及はない。
医者に診断書を書かせたい警察と、なんとか診断書を回避したい医者
診断書提出命令を優先させることで警察が得られるであろうメリットは以下。
- 診断書作成に要する費用は、命令を受けた対象者の自己負担となるため、警察にとっては公費負担を抑えられる。
- 認知症という診断書が提出されたら「お医者さんが認知症と診断したのだからしょうがないですよね?これで免許は取り消しですね。」と、医者側に責任を持たせることが出来る。
「医者側に責任を持たせたい」 という警察の考えは、
是非是非、先生方にはご協力のほどよろしくお願いします。
と、説明会で繰り返された言葉に滲み出ていたように思う。
「このままだと事故に繋がる可能性が強く懸念される」のであれば、それが自分の患者であれば当然、責任を持って認知症の診断書を書く。
しかし、事故の可能性が低そうな方に積極的に診断書を書く自分は想像出来ない。事故の可能性を正確に見積もることが、果たして自分(医者)に可能なのかどうか分からないのである。
鹿児島県警によると、平成27年に鹿児島県で行われた運転免許更新時認知機能検査において、第1分類と認定された対象者は約1300人、臨時適性検査が行われたのは101人だったとのこと。
そして、平成29年にはおよそ1500人の第1分類対象者の発生を見込んでいるらしい。この1500人が、診断書提出命令か臨時適性検査命令を持って我々の元にやってくることになる。
違反で捕まり臨時認知機能検査を受けて第1分類と認定される方もいるであろうことを考えると、その総数は1500人以上となるだろう。
多くの主治医が診断書作成を断るであろうことを考えると、どこまで自分がコミットするべきか悩む。今のところ、
- 診断書作成の為の診察は、基本的には引き受ける
- ただし、結果に納得がいかなければ積極的に他院の診察も受けるよう促す
- 診断書を提出し免許が取り消しとなっても、その後のフォローは必要なので、それは診断書を書いた当院でしっかり行っていくことを必ず伝える
このような方針で考えている。