当ブログは現在、コメント欄を閉じて運営している。
そのかわり、FacebookやTwitter、はてなブックマークといったSNSにブログ記事を流しているので、それらのアカウントを持っている方であれば、各々のSNSスレッド内でコメントすることは可能である。寄せられたコメントに返答することもあれば、しないこともある。
自分がブログを始めたのは、
- 自分と同世代(40代)で、これから介護に関わるかもしれない人達に読んで欲しい
- 自分が勉強したことの備忘録として
という理由からであり、何らかの義務を背負っているわけではない。
また、議論や交流がしたいわけではなく、見たことも会ったこともない誰かの相談にのるために始めたわけでもない。
糖質制限を世に広めた江部先生のブログを読む度に、「先生は様々な質問に丁寧に答えていらっしゃるなぁ」と感嘆する。しかし、その江部先生でも定期的に、
ブログ読者の皆さんには、いつもコメントいただき、ありがとうございます。
糖質制限食に関する質問についてですが、実際に高雄病院や江部診療所に来院されて診察した患者さんに対しては、医師としての責任・債務がありますので、個別に説明もしっかりさせて頂いていますし、フォローもしております。
一方、ブログ読者の皆さんの質問に関しては、糖質制限食に詳しい医師として、ボランティアで回答させていただいています。
診察もしておりませんしフォローもできませんので、責任もとれません。
私の回答は、あくまでも一般論としての参考意見とお考え頂けば幸いです。
また、ブログ記事や本に関しても同様に、糖質制限食に関する一般論としての参考意見とお考え下さい。
従いまして、読者の皆さんが私の参考意見を読まれて、どのように利用されるかは、自己責任でよろしくお願い申し上げます。m(_ _)m
そして読者の皆さんからもご意見いただきましたが、普通のお医者さんに相談可能な個人的な内容の質問は、ご自分の主治医にご相談頂けば助かります。(ドクター江部の糖尿病徒然日記より引用。赤文字強調は筆者によるもの)
という記事を上げている。
実際に自分が診察した患者さんに対しては、きっちりとフォローする責任が医師にはある。しかし、診察をしていない人からブログを通じて相談されても、江部先生の言うように一般論以上のアドバイスは困難だし、そのアドバイスに対してどうとも責任をとりようがない。しかし、そのことが分からない人達が世の中には結構いる。
ブログ開設当初、コメント欄に寄せられる質問に答えていた時期はあったが、早々にやめた。こちらとしては完全なるボランティアなのだが、そうは思わない人達*1に辟易したからである。
その後、SNSのコメント欄やメッセージ機能を通じて病気に関する相談を受けても、基本的に答えることはしていない。自分とは価値観が違う*2人々に理解して貰うために割ける時間を、そう多くは持ち合わせていないからである。
そもそも、土俵が違うということに気づくか否か
価値観といえば先日、このような記事を書いた。
www.ninchi-shou.com
ここで取り上げている自然派医師*3の見解は、糖質制限を農薬や化学肥料になぞらえて貶めるという、比較論考の基本を逸脱した稚拙な内容であった。
自説を補強するために、医学的な事実を適宜混ぜながらも論理は飛躍させるという手法は、様々な健康食品やサプリメントの販売ページにおいて昔から使われてきた常套手段である。
「炎上商法」と言ってしまえばそれまでなのだが、その燃え上がり方をみて
医学的な正しさどうこうよりも*4、「価値観」を大事にする人々は多い。そして、その価値観を何らかの「肩書き」で提供してくれる人が祭り上げられる。
という想いを新たにした。
また、彼が使った「一物全体」という言葉から、マクロビオティックを取り入れているのかもしれないなとも思った。マクロビオティックについては様々な意見があるが、自分は「一種の思想(価値観)に基づいた生き方」だと捉えている。
それが身体に合っている人は一定数いるらしいので、興味を持った方は取り組んでみたらよいと思う。健康になればそれでいいし、不健康になればやめたらよい。
個人的には、マクロビオティックを徹底した場合に懸念される低タンパクやビタミンB12不足をどのように克服するのかには興味を持っている。自分が取り組むことは恐らくないだろうが。
「一種の思想に基づいた生き方」≒「価値観」の元で生きることを楽しんでいる人達は、マクロビオティック以外にも幾らでもいる。帰依する価値観が他害的にならない限り、それに基づいて生きていくことを他人にとやかく言われる筋合いは本来ない。
しかし、「自分達の健康法こそ、最も正しい!!」と考えるだけにはとどまらず、「お前らの健康法は間違っている!!」と、わざわざ他のグループに出向いて議論を吹っかける"折伏体質"を持つ人達がいる。
議論による決着=宗旨替えになる可能性があるため、これまでの生き方を否定したくない人達は必死に自己防衛する。その自己防衛する姿を嘲笑して、自分が優位に立っているかのような錯覚を覚えているのであろう議論好きを見かける度に、承認欲求を拗らせた人の業の深さに戦慄する。*5
一方、医学においては「〇〇という大規模臨床試験の結果では~」といった統計学的議論が中心となってマウントの取り合いが行われるが、統計学的解釈と医学的解釈は本来別の話のはずにも関わらず、混同されていることが多い。
www.ninchi-shou.com
自分がエビデンス至上主義者とかみ合わないのは、「今あるエビデンスはそうかもしれないけど、自分の経験では〇〇という副作用が出る方が結構多いんですけどね」という、経験に基づいた帰納的な話が彼らとは出来ないからである。
こちらが何を言っても、向こうからは「〇〇というエビデンスによると~」という演繹的な話しか返ってこない。具体的には「臨床の手触り感」が伝わってこないのである。
なので、いつの日からかそのような人々とは議論しなくなった。
帰納と演繹のバランスを意識しつつ個体差を重視する自分と、大規模臨床試験のデータ重視の人達とは所詮、「価値観」が違うのであろう。
昨今、「オルタナティブ・ファクト」が注目を集めているらしいが、「誰が、何が正しいのか?」ということについての世論やマスコミの錯綜ぶりをみるにつけ、
「そもそも土俵を違えていることに気づかないまま、ただ価値観の相違をぶつけ合っているだけでしょ?*6」
と思う次第。
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