鹿児島認知症ブログ

鹿児島でコウノメソッドや糖質制限を実践している脳神経外科医のブログ

「自分で考え決定する」重要性について。

 先日投稿した記事に寄せられたあるコメントを紹介する。

 

www.ninchi-shou.com

 

コメントを投稿した方は、VKTについて

 

  「助かる可能性があればやるべきです。ただ、既存の治療法で治らないと自分で判断する患者が出てきたら大変です。」

 

と危惧しているようだった。

 

危惧すること自体は、あくまでもこの方の自由である。しかし、この発言から想像するに、あくまでも「助かるかどうか」を判定するのは医師であり、既存の治療法について患者さんが「自分」で調べ、治らないと「自分」で判断したらいけないとこの方は考えているようだが、その考えに自分は賛同はしないし、むしろそのように考える人が多くなることを危惧する。

 

主体性とは何であろうか?患者とは、自己決定をせずに医者の言うことを盲信するだけの存在でよいのか?

 

医者も患者も、既存のエビデンスの中で生きていくことが最善の道なのか?既存のエビデンスで対応出来ない事態に遭遇したとき、「エビデンスがない」という理由で潔く諦めるべきなのか?

 

www.ninchi-shou.com

 

 いわゆる「エビデンス〇鹿」の医者は多く見てきたが、ブログにコメントを寄せたこの方は、とある国立大学の人文科学系学科の元教授*1で、複数の著作のある方であった。その著作の一つに付けられていた、Amazonのキャッチコピーを引用する。

 

  一般的に信じられている知識の多くはゴミであり、有害だ。一方、星の数ほどある実証科学の研究も、その質はピンからキリまで。本当に頼れる知識は、数百、数千の研究から質の高い研究のみを抜粋して、メタ分析等の統計的分析を行ったシステマティック・レビューである。さあ、これでもあなたは常識と思い込みにしたがって人生を送りますか?

 

本の内容から抜粋したものなのか、それとも編集者が付けたものなのかはわからないが、恐らくこの方は、ランダム化比較試験を複数集めて解析した、いわゆる「メタアナリシス」の信奉者なのだろう。

 

医学(医療行為)は厳密な意味での自然科学ではなく、故にメタアナリシスには当然限界がある。個々の経験から帰納的に類推し、対応せざるを得ない患者さんは多い。そして、人を対象にするからこそ、治療には人文学的な素養も必要だと自分は考える。

 

人間を対象とする学問である人文系学科の元教授が、メタアナリシスを錦の御旗と振りかざす。

 

知力と知性は違うということであり、知性は肩書きに裏打ちされるものでもない、という証左でもある。

 

 

主体性のなさ

ブログコメント①

 

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*1:実名SNSの怖さを分かって発言しているのかどうか。