ふと頭に浮かんだことを書き留めておく。

via Flicker
合成の誤謬とは?
ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じることを指す(Wikipediaより引用)
経済学の用語です。例を挙げると
不況の際には、各個人や企業は支出を控えて借金があれば返済する。個々で考えると貯蓄や内部留保が増えて良いのかもしれないが(ミクロ視点)、社会全体で考えるとモノやサービスの買い手が減り、また企業の投資が減ることで、更に不況が加速されてしまう(マクロ視点)
このような状況。いわゆるデフレスパイラルは、合成の誤謬が起きていると考えられる。
ここでは、病気に対する検査を行うことを例に挙げて考えてみる。
ミクロの視点
ある「疾患」を診断し治療するためには、見逃しをしないように考え得るあらゆる検査を行うことが重要である。
マクロの視点
ある疾患が疑われる患者全てに、考え得る全ての検査を行った結果、早期発見の数は増えた。しかし、個人及び社会が支払うコストが膨大なものとなり、現行の医療システムの維持が不可能となってしまった。
病気を診ずして病人を診よ
難しい病気で困っている際に、様々な検査が行われて最終的な診断に結びつく。個々で考えると診断に結びつき治療へと繋がるのであれば良いかもしれないが(ミクロ視点)、社会全体で考えると過剰検査で社会資本が疲弊して現行システムの維持が困難となり、結果これまで行えていた通常検査にも影響が出てしまう可能性がある(マクロ視点)
がん検診について考える際の視点としても有用な、合成の誤謬。
診療におけるバランスで悩んだ時には、この「合成の誤謬」を意識している。
マクロで見過ぎてしまう*1と目の前の患者さんに不利益が発生する可能性があるし、ミクロで見過ぎるとと木を見て森を見ずになってしまう。その患者さんに最適なバランスをどうとるか?という話。
病気のことだけ(ミクロ)考えると、あらゆる検査やあらゆる治療を行うことが「正解」とされるのかもしれない。しかし、それぞれの患者さんでお財布事情や家庭背景、利用できる社会資源などは異なるため、個々で取り得る選択肢の中からbetterなものを選びたい。
病気を診ずして病人を診よ
この、「個々で取り得る選択肢」を複数提示できるかどうかは、医者を含む医療者の重要な仕事(能力)の一つだと思う。
- アルツハイマー型認知症と診断されたら必ず、抗認知症薬を飲まなければならない。(フェルガードやココナツオイルは?)
- 高血圧になったら必ず、降圧剤を飲まなければならない。(塩分を控えて野菜や果物でカリウムを摂取、そしてマグネシウムサプリメントなどはどうか?)
- 糖尿病になったら、必ず血糖下降薬などを飲まなければならない。(まずはカロリー制限ではなく、運動及びタンパク質や脂質摂取を意識的に増やして、糖質を意識的に減らしたらどうか?)
- 薬剤過敏や幻視などの臨床症状からレビー小体型認知症が濃厚に疑われる。より「確定診断」に近づけるためにDAT-scanやMIBG心筋シンチを行いましょう。(その結果で投薬や治療方針が変わるのでなければ、自分は勧めない)
選択肢が多いと逆に悩みが増えるかもしれないが、病気になったら「There is no alternative(この道しかない)」では、医者はともかく患者は窮屈だろうし、また医療費も嵩む一方ではないだろうか。
お互い思考停止にならないように気をつけながら、選択肢や要望を提示し合い(患者さん側から「こうしたい!」と提案することはすごく大事だと思う)、共に悩むのが個人的に理想とする患者-医療者の関係である。
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