様々な工夫を試みるも改善に至らず、別れの日がやってきた。力不足を痛感させられた症例のご紹介。
70代女性 レビー小体型認知症?アルツハイマー型認知症?
初診時
長らくうつでメンタルクリニックに通院していたが、最近認知症の可能性が疑われるとのことで紹介受診。
HDSR:26
遅延再生:5
立方体模写:OK
時計描画:OK
保続:なし
取り繕い:なし
病識:あり
迷子:なし
レビースコア:3
rigid:なし
ピックスコア:いずれ
頭部CT左右差:なし
介護保険:要支援2
胃切除:なし
(診断)
ATD:
DLB:△
FTLD:
MCI:
その他:
悪夢?で夜中に叫ぶことが月に数回。寝言はしょっちゅう。ひとまずDLB寄りで考えておく。
抑肝散を夕食前に1P。イクセロンパッチ導入の検討を。その際にはパキシルは終了かな?
昨年夫を亡くしてから、悪夢をみるようになった。活気がでてほしいと同居の息子さんはご希望。
海馬萎縮は軽度。CTで目立った所見はない。
3ヶ月後
抑肝散は効果無く、前回から悪夢に対してはセレネースを0.2mg処方していたが、これも目立った効果がない。
イクセロンパッチは9mgまで増量しているが、これもまた目立った効果は無さそう。
夫に責められた夢を見る。辛いと。息子に悪いと。
セレネースは0.375mgに増量。その次はメマリーだろうか?
4ヶ月後
イクセロンパッチの掻痒感をしきりに訴える。発赤はさほどでもないが、メマリーに切り替える。
捜し物、日時見当識低下、夜中の叫び。症状は進行してきた。
5ヶ月後
調子は良さそう。いつもの焦燥感をあまり感じない。
本人もそのような事を言う。今回お一人で来院。メマリーが効きだしたかな?
6ヶ月後
最近、近医で胃カメラをして異常を指摘されたと。内容を聞くがハッキリしない。萎縮性胃炎?
歩行がやや小刻みになっている。今回でセレネースをやめて、メマリーを5mg→10mgにしてみる。
「2週間おきに来るのが楽しみだったのに、前回の先生(たまたま担当した別の医師)に1ヶ月おきでいいと言われたのがショックだった・・・」と項垂れている・・・。
2週間おきで。
9ヶ月後
- 焦燥感
- 息子さんの姿を探す
- とりつくろう
- 悪夢をみる
ウインタミン開始。メマリー併用なので肝障害に注意を。要介護1取得。
11ヶ月後
初めてケアマネさんが一緒についてこられた。
右足をかばうように跛行。近所の整形外科で腰椎圧迫骨折を指摘されたと。
悪夢は見なくなった?ウインタミンが効いているのかな?
息子さんのノートには、捜し物が増えている、なかなか眠れていない様子などが綴られている。
介入から1年後
右大腿外側皮神経痛かな?リリカ25mgを試す。
取り繕い言動が目立つ。採血は肝機能含め問題なし。
息子さんノートでは、夜間に頻繁に起きるなどあるようだが、本人聴取では「すべて大丈夫」と。
仕事の都合がつかず、息子さんが同伴できない。どこかで息子さんと話を。
13ヶ月後
リリカ開始後、大腿痛の訴えは軽減。
一旦10mgに減量していたメマリーは、前回から15mgに再度増量。増量の効果は・・・なしかな。
- 日時見当識低下
- デイサービスでは愛想が良い
- 自宅で息子さんの顔をみると、不安ばかり募らせる
息子さんは同伴に向けて仕事を調整中のようだ。
14ヶ月後
思いこみの強さに息子さんは手を焼いているようだ。また、活気低下が目立つとノートに記載あり。
今日は採血でフェリチンチェック。
メマリーは再度10mgに落として、ウインタミンを6mg→10mgに。
抗認知症薬は不要?むしろ抗うつ薬か?
15ヶ月
- 朝夕の食事をいっしょにとるようになった
- もの探しは減った
久しぶりに薬剤調整で効果ありかな。
次回以降でリリカとセレコックスの減量中止を。
17ヶ月後
- メマリー終了
- ウインタミンはクエチアピン12.5mgに変更
- 食欲出たのでドグマチール終了
昼夜逆転傾向か。睡眠対策も兼ねて、ウインタミンからクエチアピンに変更。これでダメならレンドルミンはベンザリンへ変更かな。
DM(糖尿病)には注意しておく。
19ヶ月後
- 息子さん同席→今後施設方向で検討していく
- クエチアピン→終了、体幹傾斜の原因か
- レミニール4mg開始
- 体幹傾斜、傾眠→シチコリン開始
やっと息子さんが同席出来た。家族会議で、今後は施設入所の方針に決まったと。「母が一晩中捜し物などで眠ってくれないので、自分も眠れない。仕事にも影響が出ており、これ以上は限界です」とうつむきながら仰った。
診察最終日
息子さんと来院。グループホーム入所が決まり、かかりつけ医バトンタッチのため本日が最終日。歩行状態は以前より良さそうである。
お元気で。
(引用終了)
20ヶ月を振り返って
初診時からしばらくはレビー小体型認知症の可能性を考えていたが、途中からはうつ、アルツハイマー型認知症と診断は二転三転。
遅延再生が5点あり、立方体模写と時計描画テストも問題はなかったので、初診時はアルツハイマー型認知症の可能性は除外した。しかし、経過中に出揃ってきた症状の多くは、アルツハイマーを示唆するものであった。
使用した抑制系薬剤は、抑肝散〜グラマリール〜セレネース〜ウインタミン〜クエチアピンでいずれも少量投与であったが、かっちり嵌まったものはなかった(少量すぎて嵌められなかった?)。
また、抗認知症薬はアリセプトを除いて全て使用したが、こちらも効果の実感は得られなかった。反省点は以下。
- 不安や強迫観念、強迫行為を認めることが多かったので、用量の調整をしつつパキシルは続けても良かったのかもしれない。
- 抗認知症薬を極量まで増やすことはしなかった。結果、抗認知症薬による大きな副作用は避け得たと思うが、極量まで増量することで何らかの改善が得られた可能性はなかっただろうか?
- 薬剤介入せずに見守るという方法はあり得ただろうか?
3番目に関しては、改善が得られないケースでいつも考えること。言い換えれば、「自分が介入したことが、この人にとって本当に良いことだったのか?」ということ。この悩みは、常に尽きることがない。
息子さんと二人暮らしで、息子さんは朝早く出勤して夜遅くに帰宅するため、日中はずっと独りであった。
息子さんが確実に内服の確認が出来るのは、夕食後のみ。へルパー介入を拒否された方だったので、結局内服は一日一回夕食後のみにせざるを得なかった。当然、家庭天秤法(家族が抑制系薬剤量を調整すること)も使えない。
キーパーソンの息子さん以外に近くで頼れるご家族がおらず、介護負担の分散が出来なかったことも悔やまれる。
外来で常に口にしていたのは、息子さんへの想い
自分がこんなことになってしまい、息子には迷惑をかけていると思うと申し訳ない。一生懸命働いてくれているのにねぇ・・・
徐々に能力が低下していく自覚(病識)があるため、自分を情けなく感じると共に息子さんへの遠慮の思いも増していった。
「アルツハイマーは病識欠如が特徴」とよく言われるが、「自分は何かおかしいのでは?」と感じているアルツハイマーの方達は、実は結構いる。
ただし、具体的に「何がおかしいか」について説明することが出来ないため、結果的に「病識がなく取り繕っている」ように見えてしまう。
しょっちゅう捜し物をしてしまう方は、「自分でどこに置いたか分からなくなるので、捜してしまうのよ」と説明出来ることは少なく、「大事なものだから手元に置いておかないと・・・」という風に説明することが多い。
周囲からすると、これが取り繕い言動にみえてしまう。家族によっては「最近言い訳ばっかりするようになって!」と怒ってしまう方もいる。
病状進行に伴い混乱していく気持ちに寄り添い続けることの難しさを感じる。この方の息子さんも、援助を頼める家族が近くにいたらどれほど心強かったであろうか。
息子さんとやり取りしていたノートには、段々と介護が負担になっていく様子が克明に記されていた。
「また会えるの・・・?」
また先生には会えるの・・・?
最後の外来で、不安そうに問いかけられてしばし言葉を失った。
息子さんからは前もって、「先生に会えなくなると言ったら取り乱すだろうから、母には伝えていません」と聞かされていた。
病状が改善した後のバトンタッチであれば、寂しいことではあるが割り切ることが出来る。
しかし、改善させてあげることの出来ないままの別れには、忸怩たる想いしか遺らない。
いつでも来て下さいね・・
と答えるのが精一杯であった。