「『最期に、クリニックの皆さんに会いに行きたい』と父が言っています。連れて行ってあげてもよいでしょうか?」
Nさんの娘さんから連絡を受けたとき、終わりが近づいていることを知った。
「勿論です。皆でお待ちしています。」
そう答えた数日後。
娘さんと奥さんに支えられながら来院されたNさんの顔には、はっきりと死相が現れていた。覚悟はしていたものの、現実を突きつけられてしばし言葉を失った。応対した看護師は、流れる涙を拭おうともしなかった。
「会いに来ましたよ、先生。」
喋るのもやっとのNさんが絞り出すように言ってくれたこの言葉を、自分は一生忘れることはないだろう。
手段を目的化しなかったNさん
Nさんは毎週金曜日に高濃度ビタミンC点滴を受けていた。
Nさんにとって点滴を受ける目的は、ガンの治療ではなく
「点滴という手段を用いて、残された時間で自分がしたかったことをする」
だったのだと自分は確信している。
「標準治療を行っても、余命は1年足らず」と末期ガンを告知された時点で、Nさんは手術、放射線治療、抗がん剤治療に残された時間を費やすという選択を速やかに捨てた。
しかし、残りの人生を捨てたわけではなかった。
糖質制限をしつつ、美味しいものを食べる。旅行に行く。孫やひ孫との時間を楽しむ。妻にこれまでの感謝の言葉を述べる。英語を学ぶ。
実に様々なことを成し遂げ、そして成し遂げつつ、余命とされた時期を半年以上過ぎたある日、Nさんは旅だった。
今際の際が近いにも関わらず会いに来てくれたことから、Nさんの生きる優先順位の上位に我々との日々があったのだろうと考えると、激しい感情が今でも胸の内に押し寄せてくる。
Nさんとの日々は、自分にとってはかけがえのないものだった。患者から全幅の信頼を置かれることが医者にとってどれほど重く、そしてどれほど尊いことかを教わった。
お疲れ様でした、Nさん。
僕はあなたのように生き、あなたのように去っていこうと思います。
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