年配の患者さん達が「私は昔、顔面神経痛をやったことがあってね~」と外来で言うことがあるのだが、顔面神経痛という病名(医学用語)は存在しない。
患者さん達の言う顔面神経痛とは、恐らく顔面神経麻痺のことを指していると思われる。
その証拠に、「顔面神経痛を~」という患者さん達は顔面の動きの左右差を認めることが多い。これは、麻痺が後遺症として遺っているということだ。
顔の左右差がなければ「顔が痛かったのなら、三叉神経痛だったのかな?」と考えたくなるが、三叉神経痛が自然軽快することはあまりない。なので、患者さん達の言う顔面神経痛とは、顔面神経麻痺のことなのだと思っている。
顔面神経麻痺とは
顔面神経麻痺とは、読んで字の如く顔を動かす顔面神経に麻痺が生じる病気のことである。右と左で1本ずつあるが、左右同時に麻痺をきたすことは普通ない。なので、顔面神経麻痺のほとんどは「片側性」顔面神経麻痺である。
そして、片側性顔面神経麻痺のほとんどは、末梢性である。
ちなみにここでいう末梢性とは中枢性の対義語で、簡単に言うと「脳の中とは無関係」ということである。
これまで多くの顔面神経麻痺を診てきたが、脳梗塞や脳出血で片側の顔面神経麻痺"だけ"きたした症例の記憶が殆どない。脳梗塞や脳出血では通常、顔面麻痺だけではなく手足の麻痺も伴う。従って、顔面麻痺のみを見た場合には、大体は末梢性の顔面神経麻痺と考えて差し支えないと思う。ただし、少しでも中枢性の可能性を疑えば、頭部画像検査は念のために行うようにはしている。
症状から中枢性と末梢性の顔面麻痺を見分けるポイントは、「額しわ寄せの可不可」である。
額のしわ寄せ不可
左の眉が右と比べて下がり、左額のしわ寄せが出来ていない。これが、末梢性の顔面神経麻痺の大きな特徴である。
額にある表情筋は両側大脳皮質支配なので、脳の左右どちらかで脳梗塞や脳出血が起きても、麻痺は起こらない。
閉眼不可
目を閉じにくくなる方もいる。
口角下垂
口元が下がる方もいる。
顔面神経麻痺がどのようなものか、大凡お分かり頂けたと思う。
中枢性か末梢性かを一応は鑑別したら、次は末梢性のタイプを区別する。末梢性顔面神経麻痺はほぼ、Hunt症候群かBell麻痺に大別される。
Hunt症候群(ラムゼイ・ハント症候群)
ラムゼイ・ハント症候群またはラムゼー・ハント症候群(英: Ramsay Hunt Syndrome)とは、帯状疱疹ウイルスの感染により、耳介とその周辺(頚部、後頭部)、外耳道にヘルペスが生じ、耳痛、顔面神経麻痺、内耳神経の症状(難聴、耳鳴り、眩暈)をきたしたもの。(Wikipediaより引用)
人はいつの間にか水痘・帯状疱疹ウイルス(varicella-zoster virus;VZV)に感染しているのだが、普段ウイルスは身体の各所で活動することなく休眠している。
しかし何らかの原因で、顔面神経節(膝神経節)で眠っていたウイルスが再活性化すると、神経が脱髄を起こして麻痺を起こす。また、ウイルスの攻撃を受けた顔面神経が、神経管内で浮腫や炎症を起こすと、神経が圧迫されて絞扼が生じる。これも麻痺の原因(悪化)となり得る。
- 耳介周囲の帯状疱疹
- 顔面神経麻痺
- 耳鳴・難聴・めまい等の第8脳神経症状
この3つの症状を「Hunt症候群の3主徴」と呼ぶが、村上らの報告*1によると、3主徴を満たす典型例はHunt症候群の58%に過ぎないとのことである。
自分の外来だと、1と2だけという患者さんが大勢を占める。3があれば恐らく患者さん達は耳鼻科に行くのだろう。
Bell麻痺
ベル麻痺(ベルまひ)とは、顔面神経の麻痺によって障害側の顔面筋のコントロールができなくなった状態のことである。顔面神経麻痺の原因として脳腫瘍、脳卒中、ライム病などがあるが、原因が特定できない場合にベル麻痺と呼ばれる。(Wikipediaより引用)
「原因が特定できない場合」とあるが、要は「他に顔面神経麻痺の理由が見当たらないときには、Bell麻痺と考えよう」ということである。
自分はHunt症候群を除外した後に「Bell麻痺かな・・・」と考えるようにしているが、Bell麻痺と診断して数日後に麻痺側耳介後方に水疱が出現し、「Hunt症候群だったか・・・」と慌てた経験は少なからずある。
Bell麻痺は原因不明と定義されているが、種々の報告からHSV(単純ヘルペス)の関与は恐らく間違いないと思われる。
つまり、Hunt症候群もBell麻痺も、VSVかHSVかの違いはあっても、ヘルペス関連の顔面神経麻痺という意味では同じと言える。
末梢性顔面神経麻痺の治療方針
最後に治療の話を。
ステロイドは、Hunt症候群・Bell麻痺、いずれでも使っている。ただし、受診の時点で発症から既に1週間以上経過している場合には、効果が期待出来ないので使わない。初診時の麻痺の度合いに応じて量を決めているが、柳原法*2で20/40以上あればプレドニゾロン30mg/dayで、10/40未満の高度麻痺であれば60mg/dayで開始し、1週間単位で漸減していく手法をとっている。
Hunt症候群とBell麻痺に治療方針で違いがあるとすれば、それはバルトレックスやファムビルといった抗ヘルペス薬を使うか否か、もしくは使用量の違いであろう。診る医師によって、ここは大きな違いがあると思われる。
ちなみに、抗ヘルペス薬のバルトレックスで治療すると仮定すると、
- Hunt症候群・・・3000mg/dayで7日間投与
- Bell麻痺・・・1000mg/dayで5日間投与
と、使用量にはかなりの開きがある。
上記したように、Hunt症候群は常に3主徴を伴っているわけではないため、見切り発車的に抗ヘルペス薬を使用することに自分はあまり躊躇しない。その理由は
- Bell麻痺の70%に対してHunt症候群は30%と、自然治癒率に大きな開きがある
- Hunt症候群で第8脳神経症状が後遺してしまうと、あとの生活に重大な支障を遺す
この2点を重視するからである。
標準治療によるBell麻痺の完治率は95%だが、Hunt症候群は60%である。Hunt症候群は40%に後遺症が遺るわけだが、なかでも第8脳神経症状としてのめまいや耳鳴、難聴が遺ると、生活の質がかなり落ちてしまう。
なので、「Bell麻痺だろう」と考えるよりも、「Hunt症候群かもしれない」と考えて対処することの方が、自分は圧倒的に多い。
そして、腎機能にさえ気をつけていれば抗ヘルペス薬は相当安全な薬なので、多くはHunt症候群で用いる量に準じて抗ヘルペス薬を使用している。