認知症を発症した家族にストレスを加えないように配慮しているうちに、家族がストレスで倒れてしまうことがある
「なぜこの人の為に、自分がここまで我慢しなくてはいけないのか?」
理屈では解決し難いこの問いに、明確に答えは出せない。
認知症の夫は死んでもいいと思った
悲しいニュース。
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信子容疑者の同署への説明では、悌璋さんは認知症を患っており、昨年ごろから寝たきり状態だった。「夫が動かなくなってから2、3日迷っていたが、そのままにしておけないので警察に行った」などと供述しているという。(同記事より引用)
こういった状況に至らないように、普段から家族を支えるための社会的装置が必要である。
「認知症の人と家族の会」はその一つだろう。また、公的な社会装置には介護保険制度がある。適切に介護保険サービスを利用することで、家族の負担軽減が得られるケースは多い。
では、介護理念は家族を支えてくれるだろうか?
パーソン・センタード・ケアは,認知症をもつ人を一人の“人”として尊重し,その人の視点や立場に立って理解し,ケアを行おうとする認知症ケアの考え方です.(NPO その人を中心とした認知症ケアを考える会HPより引用)
有名なパーソンセンタードケアの理念*1を否定するつもりはないが、「一緒に生活している家族にとっては綺麗事にすぎないだろうな」と、自分などは考えてしまう。
綱渡のような危うい日々を送っている患者さんご家族に、
- くつろぎを重視
- 自分らしさを重視
- むすびつきを重視
- たずさわることを重視
- 共にあることを重視
というパーソンセンタードケアの理念を伝えることは、踏みとどまっている背中を一押しすることになりかねないので、自分はしない。
しんどい思いをしている時に綺麗事を言われると、無性に腹が立つのは自分だけではないと思う。
他にやるべきことは沢山ある。
抗認知症薬や抗精神病薬の微量調整を共に考え、介護の工夫を共に考え、食事や栄養の工夫を共に考え続ける。自宅介護の継続が難しい局面に入ってきたら、施設入居のための工夫も共に考える。
思考停止してしまっている家族もいるが、それでも「共に」考えるように呼びかけ続ける。
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「何で自分がこんな目に・・・」
終わりの見えない介護で疲弊し、徐々に社会との接点が絶たれていく。自分のことに時間を使えなくなると*2、人は疎外感や孤独を感じるようになる。
ギリギリを生きている家族を守ることは、患者さんを守ることにつながる。
介護を頑張る家族に疎外感を抱かせないために我々は、「いつでも一緒に考え続けますよ」というメッセージを発し続けるしかない。
それが、認知症に関わる医療介護関係者に最も求められていることのように思う。
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