50歳でレビー小体型認知症(以下DLB)と診断されるまでに自身に起きたこと、そして今も起き続けていることを発信し続ける樋口直美さんの新刊、「誤作動する脳」を読んだ。
奇しくも普段から外来で「脳が誤作動を起こして、色々と不便なことが起きるんでしょうね」と患者さんや家族に説明していたので、「誤作動する脳」というタイトルに親近感(?)が沸き、Amazonで予約注文をして待っていた。
届いてすぐに手に取り、樋口さんが表現する自身像(患者像)に、深く深く惹き込まれ一気に読み終えた。
変動する自律神経症状
注意障害や記憶障害といったことだけではなく、刻々と変動する自律神経の絶不調によって生活が不便になるというDLBの特徴が余すところなく表現されている点に、本書の独自性を感じた。
冷房や寒さに弱い。気圧の低下や寒暖の落差でぐったりする。疲れやすく、疲れると頭がもうろうとしやすい。立ちくらみや頭痛は頻繁で耳鳴りは毎日。帰宅時間が遅いと寝付けなくなる。食後は急激な血圧低下を起こしやすい。午後は横になって三〇分ぐらい休みたい・・・・・。(p128より引用)
「私も似たようなことがある」と思う人も多いのではないだろうか。
更年期に限らず多少の自律神経症状は誰にでもあるものだが、それが劇的かつ一瞬にしてDLBの方には起きる。そして、一瞬にして戻ることもある。この落差に患者さんも家族も混乱する。
DLBの診断要件の一つに「変動する認知機能」とあるが、これは、「変動する自律神経症状」によって認知機能が変動させられているということなのかもしれない。
自分自身を客観視すること、そして特異的な時間と記憶の感覚
私の知っているアルツハイマー病やレビー小体病の友人知人たちは、忘れることを自覚し、忘れて困った経験を覚えています。私も失敗するたびに二度と繰り返すまいと対策を考え、さまざまな工夫をします。(p135より引用)
「アルツハイマーは病識(自分がどこかおかしいと感じる感覚)がない」とはよく言われるところだが、相当程度病状が進行した場合だと確かに、主体と客体が渾然一体となったように感じられる方は多い。*1しかし、それは本人が語らないだけであって、我々がそう感じているだけなのかもしれない。
そもそも自分を完全に客観視することは困難なのだが、病初期は恐らく患者さん達の誰もが「何か上手くいっていないな・・・」と感じているだろうと思う。
ー子どもにだけは知られたくなかったのに。がんばって隠し通してきたのに・・・・・・。(p70より引用)
家族に知られたくないがゆえに。子どもに迷惑をかけたくないがゆえに。
だから、隠す。
疲れている家族に介護の工夫を提案し、利用出来る社会資源を提案し、ケアマネージャーに情報提供したりされたりと連携を図るなど、医療者として当然の仕事をする毎日だが、その背景には、患者さんの「隠したい。家族には迷惑をかけたくない。」という気持ちを尊重して「大丈夫ですよ」と言ってあげたい想い、そして、「脳の誤作動は大変だよな」という想いがある。
この想いを共有したくて、認知症患者さんに起きていること、脳が誤作動を起こすとはどういうことかを自ら勉強するよう家族に促すことは大切だと考えて、普段から参考書籍など伝えるようにしている。本書籍は、その一角を確実に担う。
ところで、樋口さんはDLBと診断される遙か前、体調不良を自覚するようになった時点から一貫して自分自身を客観視し続けている。それも、相当なレベルで。
本書の帯には「脳の中からの、鮮やかな現場報告!」とあるが、樋口さんが自分自身を客観視できているからこそ、現場報告が鮮やかになっているということであろう。
「客観視とは?」というのは、実は本書の隠れたテーマかもしれない。
時間という一本の長いロープがあり、ロープには隙間なく思い出の写真がぶら下がっています。ロープをたぐり寄せると、写真は次々と手元に現れます。ロープには時間の目盛りがあり、人はその目盛りから一瞬でロープをたぐり、(遠くなるほど曖昧になるとはいえ)必要な記憶を自在に引っ張り出すことが出来ます。私には、そのロープがありません(p102より引用)
「誰でも無意識にすることは忘れるんだよ」と夫。私は納得せず、忘れたのは夫のほうではないかと言いましたが、否定されました。このとき、記憶障害と「忘れた」は異質だ、と私は思いました。「忘れた」のではなく、その「時間」が、存在していないのです。映画のフィルムの一部分を切り取ってしまったように。(p114より引用。赤文字強調は筆者によるもの)
樋口さんの自分自身を客観視する力の多くは生来の、そして努力の賜であろうが、ひょっとすると「レビー小体型認知症であるがゆえに」ということもあるかもしれない。
レビー小体型認知症の患者さんは、病気に時間を盗まれる。盗まれた時間の中にも、自分がいる。無数の盗まれた時間の中に、無数の自分がいる。今を生きる自分を、無数の盗まれた時間の中から無数の自分が見ている。だから、「今の」自分を客観視できる。
荒唐無稽と思うだろうか。
1969年にLドーパを投与され、止まっていた時間が動き出したかのように見えたローズ・Rについて、オリバー・サックスは以下のように報告している。
私がいろいろと質問すると、彼女は驚くような返事をしたのである。「真珠湾攻撃の日だって知っているし、ケネディ大統領が暗殺された日だって言えますよ。全部頭に入っているわ。でも、その中で本当だと思えることは一つもありません。今が一九六九年だってことも、私が六四歳だってことも知ってはいるけれど、本当はまだ一九二六年で自分は二一歳なんじゃないかと感じるの。なにしろこの四三年間、私はただの傍観者だったんですもの」(「レナードの朝[新版]」p188より引用。赤文字強調は筆者によるもの)
アルツハイマー型認知症とレビー小体型認知症には重なる部分が多いが、時間感覚において両者は大きく異なるように感じる。その違いはドパミンの影響が大きい*2のだろうと考えたとき、「一般的な時間感覚と、その感覚に紐付けられた記憶の管理にドパミンは深く関わっているのかもしれない」と想像を逞しくする。
このことは、認知症とは診断しがたいけれども、ボンヤリしていたり動きがスローだったりする様子から、「ドパミンが減っているのだろうな」と感じる高齢者にも言えることである。
家族が、「よくそんな昔のことを鮮やかに・・・!」と驚く、アレである。
当院推薦書籍に決定
濫読かつ複数の書籍を同時進行で読む癖を持つ自分にしては珍しく一気に読んだ本書籍だが、一般に広く読まれて欲しいと思うと同時に、「認知症患者さんの家族にこそ読んで欲しい」とも思った。
読んで「これは大変だなぁ」と感じること請け合いだが、
みなさまにも、目の前の世界を違う形で認識する体験と不思議を一緒に楽しんでいただければ、とてもうれしく思います。では、いざ、私の脳の中へ!(p6より引用)
と樋口さんも言っているように、不思議で独特な世界を軽妙な文章で楽しめることもまた請け合いである。
「大変だけど、面白い!」と感じられたら、そのとき、認知症患者さんに対しての認識も変わっていることだろう。
そして、その認識の変化はきっと、好ましいものであるに違いない。