「お母さんは認知症なんだから、自分がすぐ忘れるということをちゃんと自覚してよ。私たちも大変なんだから!」
「父さん、同じ事を何回確認したら気が済むんだ。それはさっきも聞いてきただろう!」
認知症の親に病気を自覚させようと、親が忘れたら注意し、間違えたら叱る子どもたち。
親が横にいるにも関わらず、あけすけに親の間違いを指摘し自分が親から被っている辛さを言い募る様子から、これまでの親子間にあったであろう何事かを想像する。
苦渋の表情を浮かべ必死に否定するか、または無表情に感情をシャットダウンしているお父さんお母さんたち。
国の在り方と個人間の関係を同列で語りたいわけではないが、エドマンド・バークの遺した「Reform to conserve(保守するための改革)」という言葉が好きだ。
PHP研究所 (2015-02-13)
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子が親を叱り飛ばしてまで守りたいものがあるとすれば、それは何か。戻ってくるはずのない、かつての元気な父母なのか。それとも、父母と育んできたこれまでの良好な親子関係なのか。それとも、今の自分の生活なのか。
スペインの哲学者オルテガ・イ・ガゼットは「私は、私と私の環境である」という言葉を遺している。
かつて自分を育んでくれたのは誰か。何でも出来る状態で、自分はこの世に産まれてきたのか。育ててくれた存在と育てられた自分という存在は、明確に区分できるものなのか。
もしも、親への言動を、自分の子どもが子細に観察しているとしたら?
親に対する今の自分の言動は、良きにしろ悪きにしろ自分の子どもに引きつがれていくのではないか。
そのことを、診察室で親を面罵する子どもたちがどれほど意識しているのか、心配になることがある。