「自分の経験を世の中に役立てる」ために論文を書き、発表する。
これは、医者の重要な仕事の一つである。
その論文が別の研究者の目に留まり、新たな発想が生まれ次の研究に繋がっていく。医学に限らず、学問の発展の影には常に先人の研究結果がある。
巨人の肩の上 - Wikipedia
当ブログの実績(?)について
現在このブログのUU(ユニークユーザー)は月間3万人を超えており、PV(ページビュー)はおよそ10万PV/月である(Google Analytics)。
検索流入がおよそ70%ほどなので、毎月21000人以上が何らかの検索ワードで当ブログに辿り着いていることになる。ちなみに、「鹿児島 認知症」で検索をかけると約54万5千件がヒットするが、そのトップは当ブログである。
嗜銀顆粒性認知症など、いくつかのキーワードで当ブログ記事が検索トップに来るようだ。他には、「プロトンポンプ阻害薬」で検索すると下記記事が3番目にランクインしている。脳外科医が書いた胃薬の記事だが、認知症と絡めたことで多くの人に読んで貰えているようだ。
www.ninchi-shou.com
検索ワードから推測する患者さんや家族の悩み
検索ワードを通して見える世間があるような気がする。
「コウノメソッド」や「水頭症」を絡めたand検索で当ブログに辿り着く方が多い中、「よくぞそのワードで・・・」という方達もいる。
例えば先月だと以下。
- 急に認知症になる(4名)
- 長谷川式12点(3名)
- 60代で認知症(2名)
- 夫が認知症になる(1名)
- 脳梗塞から4年 78歳男 何年生きるの?(1名)
これらのワードからは、親や配偶者の変化への悩みや、将来への不安、検査結果をどう受け止めたらいいのかなど、悩むご家族の様子が窺われる。特に最後の一つは辛い。
また、
- 薬価が高く老健に入れない(1名)
- 薬が高いという理由で老健入所を断られた(1名)
というワードからは、医療サービスと介護サービスの狭間で悩むご家族の様子がわかる。
このようなワードにはホッとするが、ほとんどの人達は悩んで検索して辿り着いているであろうことを考えると、当ブログが持つ責任の重さを勝手ながら感じている。
論文を書かずに、ブログを書く医者
医者になって最初の1年間は大学病院で勤務し、あとはひたすら関連病院への出向が続いた。そして、そのまま大学病院に戻ることなく開業医になった。
どこかのタイミングで大学院に入って研究をして、博士号取得を目指すことが多い一般的な医者のキャリアパスの中では、自分のようなケースは珍しいかもしれない。
ただし、スーパーローテートシステム*1が導入されて以降は、大学に入局せずに一般病院に就職するケースが増えているであろうから、今は博士号を取得する医者は減っているのかもしれない。ちなみに自分は、スーパーローテート制度の前の世代である。
自分が興味を持つ分野の論文には極力目を通すようにはしている。最新の知識が常に優れていると信じるほど自分は進歩主義者ではないが*2、知識のupdateには努めているつもりである。
しかし、一般的な医者に求められる「論文作成や学会発表」という仕事を、自分は殆ど行ってこなかった。かなり早い段階で「アカデミックな世界は自分には向いていないようだ」と割り切ったように思う。
その代わりなのかどうか、ブログを書いてはインターネット上で公開するようになった。「論文投稿ではなくても、自分の経験を社会に役立てて貰うことは出来るだろう」と、考えながら。
2014年の4月からBloggerでブログを書き始め、2015年7月にはてなブログに引っ越した。現在3年目に入った当ブログの総記事数は340本(平成28年10月現在)を超えた。
仕事の合間で記事を書き溜めて、月曜日と金曜日に投稿するという現在のスタイルは、早い段階で定着した。大体1ヶ月先までの記事は予定投稿として作成済みにするようにしていて、あとは書きかけのネタを5~10本ほど同時進行で走らせつつ、紹介したい時事ネタがあれば適宜投稿している。
記事一本当たりの作成時間は、短いもので1時間ほど。長いものになると10時間を超える(例えばこの記事など)。平均すると、3~5時間ほどだろうか。事実確認や文章の推敲に最も時間を使っている。
症例報告をブログで行うメリット
その黎明期から、インターネットは研究者同士が情報のやり取りをスムーズに行うために利用されてきた。
インターネットの歴史 - Wikipedia
現在も多くの医療関係者や研究者がインターネットで情報収集をおこなっている。
自分は河野和彦先生のブログを読んで認知症に本格的に取り込むようになったクチなので、「鹿児島認知症ブログ」を参考にしているという同業者や介護関係者、またご家族の声を聞くと嬉しいものである。
機関誌や学会ではなく、ブログで症例報告を行うことで得られたメリットを、以下に3つ挙げる。
- 文字数や発表時間などの制限がない
- 義務感に縛られて書く必要がない
- 自分が書いた内容を、誰でも読むことが出来る
特に、3のメリットが大きいと感じている。
雑誌投稿された論文や学会発表などは一般に開かれたものではなく、あくまでも同業者向けである。また、それらを一般の人が読んだり聞いたりしても、大抵は理解困難であろう。
このブログはあくまでも一般向けに書いているため、専門性に偏りすぎないように気をつけている(つもり)。ブログ開設にあたって自分が設定したペルソナは、
【40代で、現在進行形で介護中。もしくはこれから介護をする可能性のある人達】
である。つまりこれは、自分に向けて書いているブログでもある。
ちなみに、専門性をblush upするにはcloseな場の方が効率が良い。openにすることで内容が希釈されてしまうことがあるので、専門的な議論を深めたいのであればブログではない別の媒体を選んだ方がよいかもしれない。
ブログに信頼性はあるのか?
患者さん個人の特定に繋がりそうな事に関しては、適当にぼかして書いている。そのために、重要なポイントを外さない程度にフェイクを入れることもある。
専門的な内容を書く時には、努めて正確性を期すようにはしている。参考出典も極力載せるようにはしているが、もはや記憶の彼方のものも多い。適宜補完しながら読んで頂けたらと思う。
あくまでも「症例報告(N=1)」がメインなので、主語は拡げすぎないほうがよい*3とは思っているのだが、過去の投稿を見返す限りは過剰な表現になっている記事が散見される。これは自分の個性ではあろうが、弱点でもある。
ところで、ブログ(インターネット)はとかく信頼性に欠けると指摘されることが多いように思う。
しかし、それはブログを「マスコミ」や「新聞」などに置き換えても、最早それなりに成立してしまう時代になっている。
www.huffingtonpost.jp
先般東京都知事選を戦った鳥越某は、インターネットを「裏社会」と呼び蔑んだ。その鳥越某がどのような人物だったのかを、多くの人はインターネットを通じて知っただろう。
NatureやScienceのような超一流と呼ばれる雑誌に掲載されたとしても、その論文が絶対的に正しい内容だとは限らない。*4論文のねつ造など、日常茶飯事のことである。
マスコミも、どこかを例に挙げるまでもなく基本的には偏向しているものである。
発信媒体や論文といった形式そのものに信頼性を求めようとしても、限界がある。
「ブログ」だろうが「マスコミ」だろうが「一流雑誌」だろうが、情報を取捨選択して判断する際に求められるのは、結局は受け手側のリテラシーである。
www.ninchi-shou.com
ブログの記事が、こちらの意図せぬ捉えられ方をされたりすることはある。そのことで、多少考え込むこともある。
しかし、「最終的には読んでいる人達が、それぞれのリテラシーで判断することだ」と半ば諦観しつつ、淡々と、そして多少の熱量を込めてブログを書く日々である。