2014年4月から「鹿児島認知症ブログ」を書き始めたので、2016年4月現在で3年目に入ったことになる。
お陰様で、それなりに人の目に留まるようになった当ブログだが、それは同時に様々な反応に直面するようになった、ということでもある。
ブログへの好意的な反応は素直に有り難いものだし、否定的な反応を目にすると考え込むこともある。頂いた否定的な反応を以下に幾つか挙げてみる。
ブログに寄せられた否定的な反応
- そんなことは、わざわざ言われるまでもなく知っている
- 昔から日本人はコメという糖質を摂取してきたのに、それが身体に悪いなんてあり得ない
- 栄養学の知識のないヤツが好き勝手に書いているブログ
- 患者で人体実験をして恥ずかしくないんですか?
1→返しようのないコメントなので、そっとスルーする。
2→ヒトには個体差というものがある。糖質摂取が身体への負担になる人は確実に存在する。そして、昔から食べている食物だから身体に悪いはずがない、という論理展開は???である。
3→栄養学を誰かに学んだことがないので(医学部の授業科目には存在しなかったと思うのだが記憶違いだろうか?)、完全に独学です。知識がないと思われたのであれば、自分がまだまだということだろう。ちなみに、「炭水化物60%、タンパク質20%、脂質20%の糖尿病食はおかしいのでは?」という記事に対してのコメントであった。
4→このコメントには、考えさせられるものがあった。掘り下げて以下に書いてみる。
患者で人体実験をして、恥ずかしくないんですか?
人体実験(じんたいじっけん)とは、人間に行われる実験のこと。人体実験は歴史上、倫理的問題が取り上げられる実験が少なくなく、現在では「人体実験」の語は否定的ニュアンスをもって語られる場合が見られる。
(人体実験 - Wikipedia)
歴史上有名なのはナチスの人体実験や、九州大学生体解剖事件であろう。
人体実験という言葉を使う際に、その言葉の使用者の頭の中にあるのは「頭のおかしなマッドサイエンティストが、自分の興味本位や金銭、名誉欲の為に人間の身体を使って実験すること」というイメージなのだろうか?
(ゲーテ作 Der Zauberlehrling より)
「患者で人体実験して恥ずかしくないんですか?」というコメントを書き込んだ方は、どうもそのようなイメージを持っているように見受けられた。また、保険診療と自由診療の区別がついていないようにも見受けられた。
ちなみに、そのブログ記事とは以下。コメントは確かFacebookを通じて頂いたものだったように記憶している。
www.ninchi-shou.com
ひょっとしたら、パーキンソン症状に対するグルタチオン点滴療法のことを知らずに、「添付文書に載っていないことをするなんて、それは人体実験だ!」ということでコメントしたのかもしれない。
グルタチオン点滴療法については、以下をご参考に。
MR21 点滴療法研究会
薬には絶対的に正しい使い方がある?
「薬には絶対的に守るべき正しい使い方がある」と考えるからこそ、それ以外の使い方を目にしたときに「人体実験だ!」となるのだろうか?
そこで、薬の使い方(用量用法)がどのように決められるのかを以下に書いてみる。
まず製薬会社が、特定の病気をターゲットにしたある化合物*1を開発する。
その後は
- まず前臨床試験でサルやラットに投与して安全性を確かめる。
- その後、健康な一般成人男性を対象に薬物動態や安全性を確かめるための第1相臨床試験が行われる(抗がん剤は別)。
- これをクリアすると、次は少数の患者を対象として安全性や有効性、用量用法を検討する第2相臨床試験が行われる。
- これをクリアすると、今度はより多くの患者を対象とした第3相臨床試験が行われる。
- これをクリアすると、製薬会社は厚労省に薬剤の製造承認申請を行い、問題なければ認可が下りる。
このような過程を経て初めて、薬は世間に流通する。
ちなみに、抗がん剤の場合は上記の第2相試験から始まる(健康人に抗がん剤を投与するわけにはいかないので)。
臨床試験の経過中に起きた様々な副作用や有害事象などを考慮して、最終的な用量用法が決定され、添付文書に反映される。
繰り返し実験*2して得られた結果を尊重するのは当然のことで、処方にあたっては自分もひとまず添付文書を”参考”にするし、多くの場合で添付文書に則した処方を行っている。
ただし、「絶対守るべき金科玉条」とまでは思わない。何故なら、それは「思考停止」に繋がるリスクを孕むから。思考停止してしまうと、応用を考える芽を自ら摘むことになる。
www.ninchi-shou.com
また、薬も所詮は商品なので、効能効果に関して過剰なプロモーションが為されてはいないか常に気をつけておく必要がある。「ディオバン事件」を忘れてはならない。
処方には幅を持たせた方が安全
前段で少し触れたが、ヒトの個体差は重要である。
例えば、脳外科領域で脳梗塞後に処方されることの多いサアミオンという薬を例に挙げると、添付文書では「通常成人1日量15mgを3回に分けて経口投与する。なお、年齢、症状により適宜増減する」とある。
15mg必要な人もいれば、5mgで十分な人もいる。当たり前の話である。全員に15mg出す必要はないし、それが「適宜増減」という意味である。ただし、自分の観測範囲内では15mg処方となっているケースが殆どである。その結果、副作用で怒りっぽくなっている人をチラホラ見かけるのだが、大抵は「脳梗塞後遺症としての感情失禁があるからねー」で済まされているように感じる。
また、15mgで効かない人も大勢いる。保険診療で処方できるのは一日15mgまでなので、もし15mgを超えて処方したい場合には自由診療を検討することになるただ、自分は15mgを超えてサアミオンを処方したことはなく、殆どは一日10mg以内で使用している。
「人体実験~」という人は、添付文書の通常用量以外の処方を行うことは間違っている、という考えなのだろうか。
そう言えば、この方は自身を鍼灸師と自己紹介していた。
ご自分の鍼灸院を訪れる患者さん達の病状や個体差に応じて微調整することなく、全てに同一の手法で施療を行っているのであろうか?
危ういガイドライン、エビデンス原理主義
だいぶ昔の話だが、このようなことがあった。
これまで数回の脳梗塞の既往があり、プラビックス75mgとバイアスピリン100mgという2種類の抗血小板薬(脳梗塞のリスクを下げる薬)を飲んでいた方。
ある日、少量の被殼出血(脳出血)を起こして救急搬送されてきた。主治医であった神経内科医に連絡すると、その先生が担当医として入院になった(手術適応ではない脳出血患者の場合、神経内科医が診るケースは結構ある)。
抗血小板薬をどうするのか気になって聞いてみたところ、
「抗血小板薬を減らすと脳梗塞再発のリスクが上がるので、このまま2剤併用で続けます。」
とのことであった。
幸いその患者さんはその後出血拡大を来すことなく経過し、退院された。しかし、数ヶ月後にまた脳出血で救急搬送されてきた。そして、再びその先生が担当医となった。
自分はもう一度その先生に抗血小板薬をどうするのかを聞いてみたところ、
「抗血小板薬の併用で脳出血のリスクは上がりますが、脳梗塞再発のリスクを減らすことは出来ているはずです。こういったケースに対応するガイドラインはないので、このまま2剤を続けます。」
とのことであった。この医師の中の優先順位は、「脳梗塞>脳出血」ということだったのだろう。
これは、実は脳卒中の臨床現場では常に悩まされる問題である。脳出血のリスクを減らそうとして抗血小板薬を減量した結果、脳梗塞を起こした症例を自分は複数経験している。動脈硬化が相当進んでいるケースでは、脳出血と脳梗塞どちらを起こしてもおかしくはなく、どうバランスをとるかの絶対的な指標や正解というものは存在しない。
抗血小板薬を減量しない理由として「ガイドラインがないから」とバッサリ一刀両断できる姿勢には、ある種のすがすがしさを覚えなくもない。
ただ、当たり前だが全ての事象にエビデンスやガイドラインが準備されている訳ではない。エビデンスがまだ存在しない領域は斟酌しないという態度は危ういと個人的には思ってしまう。
薬の使い方は、全て添付文書に載っているのだろうか?
「お婆ちゃんの知恵袋」ではないが、添付文書には記載されていないけれども、経験上別の効能効果を期待して薬を使うことがある。
例えば、
- 褥創治癒促進や食欲増進を期待してプロマックDを処方(元々胃潰瘍の薬)
- 天候に左右される頭痛や眩暈に対して、五苓散を一回2包内服する(添付文書では通常一回1包)
- アレルギー症状にガスター処方(元々胃潰瘍、十二指腸潰瘍の薬)
などなど。各々の処方根拠は当然あるが、ここでは割愛。
勿論、こういう処方の仕方が添付文書やガイドラインに載るようなことはないので、全ての医師が知っているわけではない。なので、知らないからといって責められる類いの話ではない。各診療科で先輩から引き継がれる秘伝の(?)処方というのも結構あるだろう。
ガイドラインや添付文書を熟知し遵守しているかどうかは重要なことだろうが、「教科書には載らないけれども、有用な引き出し」を数多く準備しておくことも、同じぐらい重要なことだと思っている。
添付文書に従った結果、深刻な事態になることもある
以前書いたこの記事。
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一見添付文書に従っている処方であったとしても、実は薬で悪くなっているケースは非常に多い。一般的には、繊細な薬のさじ加減は医者の当たり前の仕事だと思われているかもしれないが、高齢者や認知症患者に多く関わっていると、そのようなさじ加減が行われていないケースを多く見かける。
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患者さんの個体差を考慮しながら薬剤調整を行うことが人体実験であるのなら...
薬を扱う以上、副作用の問題は避けて通れない。どれだけ注意を払っていても、その可能性をゼロにすることは出来ない。なので、もし薬を使わずに代替できるかもしれない手段があれば、自分はまずそちらを勧める。
例えば、糖尿病には糖質制限、高血圧症にはマグネシウムやカリウムの積極的摂取と適度な減塩。風邪を引いたらビタミンCの大量摂取。軽度認知機能障害には運動とタンパク質の積極的な摂取、ω6を減らし、ω3脂肪酸を積極的に摂取すること、フェルガードの検討、などなど。
もし、「薬は添付文書通りに出すべきで、添付文書を守らない処方は人体実験と同じだ!!」と患者さんの側が言うのであれば、医師としてこれほど楽なことはない。
何しろ、個体差を考えずにただただ病名を付けて皆に同じ量で薬を出しさえすればいい訳で、副作用が出ても「添付文書通りに出しただけです」と答えればいいのだから。添付文書は、実は医者を守るためのものではないか?と勘ぐりたくなることさえある。
個々の患者さんにケースバイケースで対応しながら帰納的に積み上げてきた経験や引き出しの多さが、外来診療のレベルを規定する。ガイドラインに則った演繹的な治療だけでは、自ずと限界があるように思う。
ガイドラインや学会推奨を遵守するのであれば、アルツハイマー型認知症の治療は
アリセプトを3mgで開始して2週間後に5mgに増やしましょう。その後進行したら10mgまで増やしましょう。それでもダメならメマリーを5mgで併用開始して、1週間毎に増量して20mgまで増やしましょう。抗精神病薬は使ってはいけませんよ。それでもダメならあとは介護で頑張ってね!!
とならざるを得ない。*3
患者さん達が全て同じ道を辿るわけではなく、ガイドライン通りにやって上手くいかないケースなど無数にある。「少しでも患者さんや家族にいいことを」と考えるならば、結局は個別対応の精度を高めていくしかないのである。我々はガイドラインの為に仕事をしているわけではない。
個別対応を行う以上、当然ではあるが多くのことがtry and errorとなる。ただ、ご家族と相談しながら慎重に投薬を試みた結果、開かれる扉もある。
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これら全てのことを「人体実験」というのであれば、 まさしく自分は人体実験を行っている医者である。
その目的が何なのかは、言うまでもないことだが。