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鹿児島認知症ブログ

鹿児島でコウノメソッドや糖質制限を実践している脳神経外科医のブログ

「自分を削る」という感覚と、「自分が削られる」という感覚の違いについて。

介護の話題 介護の話題-家族の悩み

 

認知症患者さんが陽性症状で入院せずに済むように、処方の工夫をする日々である。

 

しかし当然ではあるが、上手くいかずに入院になるケースは経験する。顧みて反省し次に繋げられると思えることもあれば、無力感と共に自嘲しか浮かばないようなケースもある。

 

その一連の経過の中で少しずつ、背中に何かが積もっていく。

 

60代男性の事例

 

ある60代男性。FTLDの診断は降りていたが、徐々に進行する症状に対して抗認知症薬以外の工夫を提案しないかかりつけ医に嫌気がさして、ご家族が当院へのかかりつけ医引っ越しを希望。

 

SD(意味性認知症)メインではあったが、せん妄や易怒性亢進がたまにみられるようになってきたとのことでピック化を懸念し、ウインタミン10mg/dayを開始。

 

診察室では非常に穏やかな方であったが、言葉による疎通は既に困難となっていた。自宅で「〇〇の予定があるから〇〇に行かなければならない」といった妄想を拗らせる頻度が増えてきたとのこと。それを制止しようとすると爆発的に易怒性が亢進するため、リスパダール内用液0.5mgを頓用で数回分お渡ししておいた。

 

しかしその後、リスパダール1mgでも抑えられない爆発的な易怒が一回あったことで奥さんは怯えた。しばらくして落ち着いた後に入院設備を持つ近くの精神科を受診。

 

入院させて貰えないかを相談したが、ベッドの都合でそれは出来ないと断られ、その代わりに「今日はこれを飲んだらまず落ち着くから大丈夫」と言われて処方された薬が以下。

 

  • コントミン25mg
  • ジプレキサ15mg
  • ベンザリン10mg
  • マイスリー10mg
  • レキソタン5mg

 

当然だが、一発でぐでんぐでんになった。その様子をみた息子さんは「薬でこんなになるなんて・・・」と恐怖感を感じたそうである。

 

その後、若い息子さんですら制止出来ない程に暴れることがあったため、やむなく同病院に入院となった。

 

ピック化を予想してウインタミンを始めたまでは良かったが、初期量に設定した10mg/dayが少なすぎたのだろう。そして、頓用で渡したリスパダール0.5mg/回も少なすぎたのだろう。

 

用量設定の根拠は、診察室では穏やかな様子だったからからなのだが、本人の年齢とご家族の恐怖感をもう少し重く考慮すべきだったのかもしれないと反省した。

 

ある80代後半の女性の事例

 

元々はご主人が認知症で女癖が悪くて大変だ、という悩みで来院されたのだが、同伴されたご家族からは事前に以下の依頼があった。

 

  父は年齢相応の衰えなのかな、と家族は考えています。実は、父を悪く言う母の方がおかしいのです。しかし、母をたしなめると度を失ったように罵倒されるので、私たちは何も言えません。今回の受診の目的は、母にそれと気づかれることなく、母の治療をお願いできないだろうか?ということです。よろしくお願いします。

 

なんとも高いハードルである。

 

当方からは、お父さんとお母さんを分けて生活させることを娘さん達に提案し、当該女性(お母さん)には「今までいろいろあったでしょうから、ご主人のことは娘さん達にお任せして、しばらくのんびりされてはどうですか?採血結果からは少し気になるところがあるので、それをゆっくり是正していきましょう」と話をしたところ、納得され当院に通院することになった。

 

ちなみにこの女性は、長谷川式テストは28/30で遅延再生は6/6。透視立方体模写と時計描画テストも問題なく、頭部CTも特記所見なし、であった。変性性認知症の診断は困難であったが、ご主人の話になると目つきが変わり妄想的な話に終始することから、遅発性パラフレニアなのかな?とは考えた。

 

その後夫婦別々の生活になり、やや小康状態となったと思ったのもつかの間、今度は攻撃の矛先が娘さん達に向けられるようになった。主に、「お金がない、アンタ達が盗ったんでしょう?」といった内容。

 

その時の様子は正に悪鬼のようだと、家族相談でお見えになる度に娘さんは涙を流されていた。

 

  否定してはいけないということは分かっているのですが、私たちはどこまで耐えればいいのでしょう?

 

という言葉には、切実なものを感じた。

 

一方本人は、診察室では折り目正しく時候の挨拶をし、近日に控えた年忌の心配をし、友人との食事の予定を楽しみにし、そして「年をとって、娘達とぶつかることも増えましてね~」と苦笑いしながら話す。まったく病識(衰えの自覚)がない訳ではないのである。

 

足腰はかなり衰えていたため、使用薬剤には気を遣った。

 

当初は抑肝散で、その後はセロクエル25mg~37.5mgにグラマリール12.5mg~25mgほどを併用し、もの盗られ発言はしばらく影を潜めたものの、その他のことで娘さん達に嫌疑をかけ、言い合いになった時の豹変ぶりと罵倒の酷さは相変わらずとのことであった。

 

娘さん達は必死に対応していたようだが、やがてこう言われた。

 

  私たちも頑張ってきましたが、これ以上はもう限界です。母をどこかに入院させて貰えないでしょうか。私たちが言ってもまず聞くことはありませんが、唯一先生だけは信頼しているようです。ですので、勘の鋭い母にはそれと気づかれないように、先生から入院を勧めて貰えませんでしょうか?

 

なんとも高いハードルである。

 

結局、採血で認めていたわずかな腎機能低下のことを引き合いに出して

 

  足腰のリハビリと、少し増えてきた薬を減らすための調整と、点滴で腎臓の数値が良くなるかを確認するために、しばらく入院してみませんか?静養だと思って。

 

と説明したところ、不承不承納得されたので、老年精神科を標榜する病院に紹介した。

 

入院前にご家族から「『なんで腎臓が悪いのに腎臓内科に入院じゃないの?』と少し疑っているようです・・・」と連絡があったので嫌な予感はあった。

 

依頼先への情報提供書には、「主に腎臓の数値が悪いからということと、足腰のリハビリ目的という風に本人には説明してありますので、宜しくお願いします」と書いておいた。

 

しかし、入院当日に紹介先の担当医師からいきなり、

 

  あなたは娘さんの勤め先に押しかけて困らせたりしているようだけど、ダメでしょ、そんなことをしたら。頭のMRIをみてみなさい、ホラ、スカスカでしょ?あなたは認知症だから入院しないといけないんですよ?

 

と言われ、本人ご家族共に激怒。*1勿論入院は拒否して帰宅された。

 

その後しばらくして、信頼する友人を伴ってご本人が当院に来られた。そして、ひとしきり(約40分)、お怒りを頂戴した。「先生が紹介してくれた病院だから行ったのに、あんな目に遭うなんて・・・」と。

 

話を傾聴しているうちに落ち着いたようで、最終的には当院通院を継続してくれることになりひとまず決着。Drショッピングで流浪してしまうことだけは避けたかったので、この決着で自分もよしとした。

 

ただ、最後に仰った言葉には考えさせられた。

 

  先生、娘達は私がいないところで色々と先生に訴えるのでしょうけど、どうかお願いだから娘達の言い分だけ聞くことはしないで下さい。

 

本人の言い分、娘さん達の言い分、いずれの言い分も等しく重要なのである。その都度軽重を測る必要があるにしても、一方的にいずれかの言い分だけ聞くのは確かにバランスは悪いと反省した。

 

今後娘さん達の依頼があっても、当方から精神科入院を手配することは恐らくしないであろう。介護系サービスを駆使しながら、何とか独居で(娘さん達と同居しているわけではない)、もしくは高齢者住宅などで生活していけるように配慮を続けていく予定である。

 

他人のケアをしつつ、己もケアしなくてはいけない

 

こうして少しずつ、自分の精神を削りながら仕事をしている。

 

このような経験を積むことで、無駄のない研ぎ澄まされた診断処方の領域に到達出来るのであれば、その時には「経験によって自らを彫琢出来た」と言えるかもしれない。すなわち、「自分を削った成果」ということである。

 

仕事の練度を高める過程では、時に自らを削ることが必要だろうと思っている。削る自分を沢山持っておくためには、不断無くインプットし続ける工夫も、同時に必要ではあるが。

 

我々の仕事は治療のみではない。患者さんや家族が抱える精神的な負担を少しずつ背負うことも仕事の一つであり、その重要性はキャリアが長くなってくるにつれ、ヒシヒシと感じるようになった。

 

ある一人の患者さんとご家族の負担を、医者が同程度で丸ごと抱えることは不可能である。しかし、診ている患者さんの数でかけ算すると、その積は膨大なものとなる。

 

「ここに来たら、気分がスーッとするのよね」

「いつも話を聞いてくれてありがとうね」

「この間のお薬の調整で、ビックリするほど良くなりました!!」

 

うれしそうに帰って行くご家族や患者さんをみるにつけ、そのことから少しずつ元気をもらう自分がいる。

 

「何度も同じ事を聞かれ続けて、もうどうにかなってしまいそうです!!」

「娘達がアタシの財布から勝手にお金を盗るの。育て方を間違った・・・」

 

悲嘆に暮れるご家族や、憎々しげに家族を罵倒する患者さんをみる度に、徐々に増していく精神的負荷に耐えている自分がいる。

 

人からもらうエネルギーは、それがポジティブなものであれネガティブなものであれ、等価ということはない。受け取る側の資質もあるだろうが、自分の場合はネガティブなエネルギーを多く受け止めやすい気がしている。

 

他人のメンタルヘルスをケアしつつ、自分のメンタルヘルスをセルフケアする難しさを想う。

 

今は、「削っている」という感覚の方が勝っている。自分事として仕事が出来ているからだと思う。これが、「削られている」という感覚が優位になった時には、一旦仕事そのものを振り返る必要があるだろう。

 

 

 


flickr photo shared by Lucas Guimaraes under a Creative Commons ( BY ) license

*1:ご本人、娘さんから同様の内容であったことを確認したので、恐らく事実なのだろう。