鹿児島認知症ブログ

鹿児島でコウノメソッドや糖質制限を実践している脳神経外科医のブログ

【書評】「コウノメソッド流臨床認知症学」を読んで。

 仕事の合間に少しずつ読み、約1ヶ月で読了。感想を述べます。

 

コウノメソッド流臨床認知症学

「臨床」認知症学というタイトルの意義

 

認知症の病名≒病理診断名がもたらす難しさ

 

  • アルツハイマー病は、老人斑の蓄積や神経原繊維変化によって起きる病気
  • レビー小体病は、α-シヌクレインの蓄積によって起きる病気

 

病理診断名とは基本的に「死後に病理解剖して初めて分かる病名」のことである(脳腫瘍やガンなどは、手術で摘出した組織を調べて最終病理診断名が付き、それに応じて放射線治療や化学療法が細かく選択される)。

 

我々が通常行っているのは、当たり前ではあるが「生前診断」である。そして、「臨床(生前)診断」と「病理(死後)診断」の結果が違うことは、往々にしてあるようだ。例えば大脳皮質基底核変性症(CBD)であれば以下のように。

 

  1999年にBoeveはCBDと臨床診断した13例で病理診断もCBDとなったのは7名でありCBDを正しく診断するには病理診断を必要とすると報告した(Wikipediaより引用)

 

正しく診断するために、手術で脳組織を採取する。その結果、CBDと診断がついて初めて正しい治療が行える。正しい治療を行うと、CBDは治る。そうであれば、どんなに素晴らしいことか。

 

しかし残念ながら、CBDに限らず変性性認知症には「根本治療」が未だ存在しない。よって、ただ「病理診断」をするために手術で脳の組織を採取することは通常あり得ないし、倫理的にも許容しうるものではない。

 

なので、通常はCTやMRI、SPECTなどによる「画像検査」、HDS-RやMMSEなどの「認知機能検査」、そして歯車様筋固縮や眼球運動障害、タンデムゲイト困難などの「理学所見」、患者さんが醸し出す「雰囲気」、共に暮らす方が教えてくれる「家族情報」、その他採血検査などを総合して、我々は臨床診断の精度を高めるべく努力を続けている。

 

何のための診断なのか?

 

では何のために「診断」するかというと、その目的は勿論「よい治療」に繋げるためである。診断はあくまでも「手段」に過ぎない。少なくとも臨床医の場合は、「病名を付ける行為」が最も重要な目的にはならない。

 

www.ninchi-shou.com

  

  病理学的背景を尊重し、正確な診断を心がけることは重要。しかし、最も大切なのは患者さんに良い治療を行うことである。そしてその為には、どのような工夫が必要か?

 

書籍全体を貫いているのは、このテーマである。

 

『「臨床」認知症学』と臨床がカッコつきでくくられたのは、このテーマへの拘りがあるからであろう。我々臨床医は確かに、患者さんを良くしてナンボである。

 

「診断」があっているかその時点では定かでなくとも、「治療」が現時点で上手くいって落ち着いていることを優先したい。基本的には高齢者が対象となる認知症診療においては、特にそう感じる。

 

また、「認知症学」と銘打たれたことにも大きな意義があると思う。

 

  • 診断出来ても治療が出来ない
  • 何となく治療しているけど診断がアヤフヤ
  • 社会問題として取り上げられるけど、ただの病気じゃないの?

 

診断から治療までを「認知症学」として体系的に学ぶことで、認知症という言葉が包含する様々な特徴や問題点を俯瞰出来るようになる。

 

各論01〜05が圧巻

 

詳細は読んで頂くこととして、

 

  1. アセチルコリン欠乏病
  2. ドパミン・アセチルコリン欠乏病
  3. ドパミン過剰病
  4. ドパミン動揺・アセチルコリン欠乏病
  5. 小脳疾患

 

この分類は秀逸である。

 

老化という、若年単一疾患を考える際には必要としない要素まで考慮しながら、認知症には向き合う必要がある。

 

神経伝達物質が減少しているのは、「疾患」のせいなのか?はたまた「老化」のせいなのか?それとも「両方」の影響なのか?

 

この分類を念頭に患者さんを診ると、上記の様な悩みは大幅に解消される。

 

「今アセチルコリンのみ減っているなら、〇〇したらよい」

「今ドパミンが過剰になっているなら、〇〇したらよい」

 

非常に明快である。

 

帰納的に積み上げられた膨大な経験則からなる診断治療法を、演繹出来るレベルに昇華させた医学書

 

  <プラクティカル>実際に役立つさま。実用的。実践的。「―な訓練」「―な学問」(コトバンクより)

 

①「あなたは、進行性核上性麻痺だと思います。残念ながら治療法のない病気です。」

②「あなたは、進行性核上性麻痺だと思います。根本的治療は難しいですが、歩行や気分の変調、流涎などに効果的と思われる治療法はあります。」

 

自分が患者さんに話したい言葉は②である。

 

臨床医である限り、自問自答しながら徹底的にプラクティカルでありたいと願う。

 

その為には、誰か(権威)が与えてくれるEBM(Evidence Based Medecine)のみでは限界がある。

 

今後は、患者さんや家族を中心として皆で築いていくNBM(Narrative Based Medicine)の視点がより重要になってくると考える。「物語り(個々の体験)に基づく医療」である。

 

健康を決める力:ヘルスリテラシーを身につける

 

この本はnarrativeに書かれている。世に多くの医学書はあるが、そういう意味では今のところ、このような本は絶無と言えるのではないだろうか。

 

最後に、印象的なあとがきの一部を引用して書評を終える。

 

  実は患者を治して差し上げるどころか逆に人生を教わることのほうが多いと気づくとき、医師としても確かな成長があり、高齢患者との付き合いにかけがえのない価値と底知れぬ喜びを感じるようになるのです。読者にもそんな日が訪れることを願っています。医療の中で最も人間くさい分野に身を投じている自分に、筆者は今、幸せを感じています。

 

コウノメソッド流 臨床認知症学
河野和彦
日本医事新報社
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