鹿児島認知症ブログ

鹿児島でコウノメソッドや糖質制限を実践している脳神経外科医のブログ

雑談のトレーニング。

 

自分自身の凸凹に向き合う日々である。

 

象徴的なエピソードを一つ紹介する。

 

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ある休みの日に、妻から

 

「〇〇先生の奥さん、いま家にいるかな?」

 

と訊ねられたので、

 

「僕は〇〇先生の奥さんの夫ではないから、それは分からない」

 

と答えた。すると妻は、

 

「そんな風に言われたら、あなたに気軽に話しかけることも出来なくなる・・・」

 

と、悲しそうにその場を去った。

 

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これは9年ほど前の妻とのやりとりだが、我ながら想像を絶する愛想の無さである。ゴメンよ妻。

 

本質的な愛想の無さは今でも変わらないが、この時は悲しそうな妻を見て心が痛む程度の気づきは持ち合わせていたので、「いくら人付き合いが苦手でも、これはトレーニングをせにゃいかんな」と心に決めて励んできた。

 

幸い、医者という仕事のおかげで多種多様な人間の観察をする機会には恵まれている。

 

外来で患者さんを観察することで得た知見と本で学んだ知識から、「〇〇という状況では、〇〇と振る舞うべき」というパターンを複数身につけ、恐らくだが今の自分は"一見"普通に見られる程度になっていると思われる。(自意識過剰)

 

ところで、会話とは言語をツールとしたコミュニケーションの一形態のことだが、女性はしばしば会話することそのものが目的となっているように見受けられる。

 

妻が誰かと電話しているのを横で聞いていると、電話の要件から横道にそれることは日常茶飯事で、会話そのものをただただ楽しんでいることが良くわかる。

 

これが自分だとまず、「何のための会話か?」と考えてしまう。

 

自分にとっての会話とは、

 

  • 問題を解決するため
  • 自分の思考を整理するため

 

のものであり、つまり、問題がない(と自分が考える)状況で会話をする必要性を感じないのである。

 

なので、

 

「今日は天気が悪いですね」

「そうですね」

 

といった、別に解決する必要のない話題(≒雑談)が、「超」が付くほど苦手である。

 

外来は基本的には問題解決の場なので、問題解決指向の自分に向いてはいる。しかし、病状が安定して経過している患者さんとは、問題解決型のスタイルのみでは良好な関係を維持することは難しい。

 

そのような時はやはり、場を持たせるための雑談が必要となる。

 

雑談が良好な「患者ー医者」関係を維持するために必要だと分かったら、あとは雑談のスキルを磨くだけである。仕事に役立つとなれば、そのスキル習得に必要なトレーニングはさほど苦ではない。

 

夫婦の会話は、そういう意味で絶好のトレーニングである。当家で交わされる毎日の夫婦間の会話が、夫のSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)に秘かに活用されていることを、妻は知る由もないだろう。

 

自分も含めてだが、障害とまでは呼べなくても発達の凹凸がある人間が医者には結構多いと昔から思っていたが、最近とある匿名の医療掲示板への書き込みで以下のようなものを見つけた。

 

恐らくは若い医者だと思うが、赤文字で強調した箇所に彼の自己閉塞性を強く感じる。

 

「マスコミが~」、「イメージ操作が~」などは陰謀論者が好んで使う言い回しだが、陰謀論者に共通するのは自己閉塞性及び、その結果としての社会性の低さである。強い自己閉塞性をもちながら臨床医を続けていくことは苦痛だろうが、自己閉塞性の強い医者の外来にかかる患者もまた、苦痛だろう。*1

 

ただし研究者の場合、自己閉塞性がしばしば有利に働くことはある。

 

精神科です。先生の質問に答えるためには不安について語ると良いように思います。


まず不安の大きさに大きな影響を与えるのは、解決できる不安か解決できない不安か区別出来ているかという話です。不安の一部は話したところでどうにもならない不安があることを一定の知的レベルの人は知っています。なので、不安の質を区別できていれば過度の説明は不要になります。(いくら話されても、論理的な説明通り、なるようにしかならないと思えば追加で話を聞く意味はありません)


ほかに、不安が起こったときに、既知の知識で埋め合わせようとする方がいます。このような方も問題にはなりません。


一部問題になるのは不安を対人関係で解消しようとする方です。このような方は自分の解決できない不安を他の人と話をすることで忘れようとする厄介な人です。しかし、世の中では病気をすると不安は高まるので不安に対応して面接する医者はいい医者ということになってます。


全く不毛です。医師にとって必要なのは今患者がかかっている病気が何なのか、およびその治療に関連した情報のみです。お茶のみの雑談ではありません。しかし、マスコミが扇動する大衆文化では、あたかもちょっとした不安に答えてくれるのがいい医者だとイメージ操作されています。


そんな患者の不安に左右された行動は対人関係依存なのだと精神科としては感じるのですが、偏った意見なのだろうかと気になります。


まぁ、実臨床では私も多少は説明します。ただ、同じ事を聞かれたときは、「前話しませんでしたっけ?」とジャブを入れることにしています。3回目からは時間がないので話せないことにしています。不安な人はよく聞いてくれる人を標的にするので、これでだいぶ面接時間を削れています。

 

認知症と雑談

Photo by Chris Murray on Unsplash


 

*1:ここでいう社会性とは、社交性と必ずしも同じではない。