新年、明けましておめでとうございます。
今年2017年も、鹿児島認知症ブログを宜しくお願いいたします<(_ _)>
おめでたいついでに、新年一本目の投稿は抗認知症薬を卒業出来た方の話をば。
80代後半の女性
初診時
現在グループホーム入所中の〇〇さんの奥さん。他院でアリセプト5mgの処方を受けている。詳細は不明。始まった経緯も不明。
同伴の娘さん曰く、「特に困ったことはなく落ち着いている。父親がこちらで良くなったので、母も先生に診て欲しい」とのご希望。アリセプトが始まって、特に何か良い変化はないとのこと。卒業を考えておきましょう。
3ヶ月後
著変無く経過中。ご主人は歩行は困難になっているが、グループホームで穏やかに過ごしているようだ。
2ヶ月後
現在ADLは自立している。MCI乃至は年齢相応レベルだろう。
今回からアリセプト3mgに減量。次回は採血結果の説明。
2ヶ月後
5mgから3mgへの減量で特に変化なし。
採血で総蛋白6.3g/dl。もう少し蛋白摂取を。お肉お魚卵、ドンドン食べて下さい。
元気な90歳を目指しましょう。
5週間後
先月、ご主人が逝去されたとのこと。
バタバタしていて数日間アリセプトの内服出来なかったが、それでどうということはないと。夫を失い一時期はさすがに元気がないようであったが、今は大丈夫と娘さん。
ポテトサラダを自炊。ニコニコ元気だがややハイテンション気味。ご主人喪失の影響は今後出てくるかな?
入室後、ソファーにいきなり横になった。娘さんびっくり。ちょっと変わった行動なので気をつける。
今回からドネペジル1.5mgに。
5週間後
ドネペジルを1.5mgに減らして、かつてないぐらい元気だと。
スペインから帰国したお孫さんとフラメンコを見に行って、更に元気になった。
お味噌汁の味が復活し、娘さん達に指示をしながら料理をする。散歩もする。
一旦アリセプトは終了にしましょう。
次回効果判定。HDSRと透視立方体模写と時計描画テストを。
初診から約1年後
- HDSR20
- 遅延再生3
- 透視立方体模写と時計描画テストはOK
アリセプトは卒業でいいでしょう。次回は春頃に受診を。
今日は娘さんとインフルエンザ予防接種をして帰ると。
良かったですね。
(引用終了)
問題なのはコミュニケーション不足と責任転嫁
この方のご主人は、以前当ブログでも紹介した方である。
www.ninchi-shou.com
ご主人は結局シャント手術に至ることはなかったが、陽性症状をこじらせることはなく、入居先の施設で静かに生涯を終えられた。その切っ掛けとなったのは、「アリセプトの中止」。
そして、今回紹介した奥さんの方も、自発性が増して活気が出た切っ掛けになったのも、やはり「アリセプトの中止」。
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「減らしたい、止めたい」と思ってはいても、医者に遠慮して(配慮して?)それを中々口に出せない患者さんやご家族は多い。しかし、「出された薬は、言われたとおりに飲まなくてはならない」と思っている方達の方が多いように思う。
その背景には、
薬のことは自分達はよく分からない。止められるなら止めたいけど、自己判断は恐くて出来ない。お医者さんに管理して貰わないと。
という考えがあるのかもしれない。しかし、それではまるで他人事のようだ。
一方医者側も、一旦出した薬を中々止めることがないその背景には
添付文書には進行抑制効果が謳われているから、飲んでいる限りは進行を抑制し続けるはず。止めて悪くなって文句を言われたくないし。あと、もしこの薬を止めたら患者さんがウチに来る理由がなくなっちゃうし・・・
という考えがあるのかもしれない*1が、処方が役立っているかを判定できないまま出し続けているとすれば、こちらもやはり他人事のようだ。
患者と医者という立場の違いはあれど、薬を止められない理由の根底のところで両者に共通するのは
止めたら悪くなるんじゃないの?悪くなったら、誰が責任をとるの?オレはヤダよ!!
ということではないだろうか?
自分事と捉えれば、自分が責任を取らなくてはいけないので、極力そこは回避したい。言いたくはないが「面倒くさい」*2。そのような心理が、病気というフィルターを透して両者に見え隠れしているように思う。
病気になるのは患者の自己責任?
これまで同僚の医者から、以下のようなぼやきを聞いたことがある。
何で患者が良くならなかったら、オレ達が責められるんだろうね?そもそも、病気になったのはオレ達の責任でも何でもないのに・・・
そして、同じ医者から以下のような誇らしげな言葉を聞いたこともある。
〇〇さんが良くなったのは、オレが〇〇という処方をしてからなんだよね♪
良くなった事例は極力自分の手柄にしたいし、悪くなった事例は自分のせいにはしたくない。医者に限った事ではないが、人間そのようなものである。
しかし、成功例だけではなく、失敗例の共有も大切なことだと個人的には思う。
www.ninchi-shou.com
ところで、病気に罹るのはあくまでも患者の自己責任と考えるべきだろうか?
先日、元テレビアナウンサーの長谷川某が「人工透析患者は自業自得」というブログを書いて大炎上していたが、「問題提起することは大事」という論旨で、それなりに長谷川某を擁護する声が世間にはあったように思うし、実際自分の知り合いにもいた。
そのような人達は、「自分は気をつけているから大丈夫」、「自分みたいに気をつけていないから、そのような病気になるんだ。自業自得だろ?」と考えているのだろうか。そうだとすれば、無邪気なものである。
自己責任論を言いだすと世の中は荒む一方である。困ったときはお互い様でやりたいものだが、積極的に責任を取りたがる人が少ないのは致し方ない。ならばせめて、
みんなで『応分』に責任を取ればいいのでは?
と思う。
もしアリセプトを止めて活気や短期記憶が落ちたのであれば、
医者「止めたらちょっと元気がなくなってしまいましたね。ゴメンナサイ。また戻しておきますからね。」
家族「まだ、この薬がお父さんには必要だということが良くわかりました。止めてみないと分からないことはありますね。」
これでいいのではないだろうか?そんなに難しい話ではない。「ゴメンナサイ」を言えなくするものがあるとすれば、つまらない医者のプライドぐらいだろうか。
必要なのは、薬剤の中止にあたって起きうることを事前に説明しておくという一手間だけである。そして、良い結果に繋がれば共に喜び、上手くいかなければ頭を下げ、別の一手を考える。
医者の立場からすると、応分の責任範囲とは『自分を頼ってきてくれた人に、安全な範囲で少しでも良いことをする』だと思う。薬を飲むように強要することではない。薬を処方することを自分事と捉えれば、自分が出す薬で相手が悪くなるかもしれない可能性を恐れ、慎重になる。
一方患者の立場からすると、応分の責任範囲とは『自分の体調を自分で把握しながら、的確に医者に伝えて治療効果を高める努力を共に行う』だと思う。医者に全てを委ねて、薬を飲み続けることではない。薬を内服することを自分事と捉えれば、自分の飲む薬に注意を払い、学ぶようになるだろう。
大事なのは、お互いにどこまで「自分事」として引きつけて考えられるかであり、責任を回避、もしくは誰かに転嫁することではない。
加えて言うならば自分の場合、治療効果が患者さんや家族にとって満足いくものでなければ個人的に寝覚めが悪い。良いお別れが出来なかった方達のことは、いつまでも覚えているものである。
あなたは、私をよくしてくれるんでしょうね?
という患者さんからの無言のプレッシャーに、日々曝され続けている。
プレッシャーを乗り越えるためには、情熱を持って取り組む必要がある。認知症をそれなりに多く診てきたが、まだまだ知らないことや気づかされることは多い。
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緊張感を持って取り組む一年に
いつの頃からか、不要な薬を減らしたり止めたりすることが楽しくなった。何故かと考えたら、やはり患者さん達が喜ぶからだと思う。患者さん達の多くは、我々医者が考えている以上に薬の数や量に敏感になっている。
患者さんにまつわる多くのことを自分事と捉え、高いレベルの診療を提供するために、今まで以上に
これらのことに、情熱を持って取り組んでいきたい。そして、認知症以外の領域にも積極的にリーチしていくつもりである。
では皆様、改めまして今年も宜しくお願いいたします<(_ _)>