50代の女性Aさんが、頭痛を訴えて来院した。
Aさんは出産後に30kg以上体重が増え、またうつ病を発症し、現在心療内科通院中とのことであった。
診察の結果、緊張型頭痛と天候左右性頭痛の合併と考え、緊張型頭痛頭痛にはスーパーライザー照射を、天候左右性頭痛には五苓散屯服を、それぞれお勧めした。
2週間後に確認したところ、「いずれも効いた」と教えてくれた。
当院では患者さん達の普段の食生活について問診を取っている。Aさんは糖質過剰摂取が明らかだったので、出来る範囲での糖質制限を勧めたところ
先生、でも『バランス良く食べた方がよい』とテレビで言っていましたよ?『ご飯を食べると幸せホルモンが出るので、ちゃんとご飯は食べた方がよい』ともテレビで言っていました。セロトニンもご飯を食べることで出るみたいなので、セロトニン不足で抗うつ薬を飲んでいる自分は、ご飯を食べないといけないのではないでしょうか?おかずを中心に食べろと言われても、私には何を食べていいのか分からないです。」
このようにAさんは答えた。そして更に、
これまで私は、テレビや本を読んで、反対意見にも目を通して、色々なことをバランスよく取り入れてきたんです。
と、やや誇らしげな様子で付け加えた。
別に自分は、何も困っていない人に糖質制限を勧めるほど糖質制限にaddictしているわけではない。
明らかに糖質過剰摂取の害が出ていると思われた人に、「出来る範囲でいいので」と勧めたまでである。
「ああ、そうですか」で終わらせても勿論よかったのだが、
「バランスを心がけてきた結果、今、ご自分のバランスは整っていますか?」
と問いかけたところ、Aさんは黙って下を向いてしまった。
そしてその後、Aさんの来院の足は途絶えた。
自己欺瞞に陥らずに、自分と向き合い続ける大切さ
自分としては別に糖質制限を強要したわけでもなく、ましてや嫌みを言ったわけでもない。ただ単に、「あなたは、あなた自身にちゃんと向き合っていますか?向き合ってきましたか?」ということを問いかけただけである。
二度と来なかったということが、この言葉を彼女がどう受けとめたかを物語るように思う。
問題の本質には触れずに、本人が効果を実感出来たスーパーライザーと五苓散で対症療法を続けるのも悪くはなかった。デリケートな部分には敢えて触れないのは、一種の社会的マナーではある。
出産後に30kg太った自分を、抗うつ薬を飲むようになった自分を、Aさんはどう見ていたのだろう。
「私はバランスが取れているわ♪」と本気で思っていたのであれば、言うべき言葉は何もない。認知的不協和が骨の髄まで染みこんでいる人に届く言葉を、自分は持たない。
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バランスとは便利な言葉である。
特に食事や栄養領域では、現在の食事に何らかの後ろめたさを感じながらも、その食習慣を変えられない自分を許すために、バランスという言葉が頻用されているように感じることが多々ある。
「糖質制限って難しいですよね。パスタも白いご飯も、大好きなんです。」
このような女性は多いが、難しいことを難しいと言えるだけ、自分に向き合っていると言える。あとは自分自身の問題である。
Aさんは、やや誇らしげな様子でバランスという言葉を用いた。
後ろめたい気持ちを隠そうとするとき、ムキになったり誇張したりするのが人間である。これまでの人生のどこかの時点からAさんは、自己欺瞞を重ねてきたのだろうと推測した。
「バランスを心がけてきた結果、今、ご自分のバランスは整っていますか?」
という言葉で下を向いたAさんは、自分のバランスが整っていないことに気づいていたはずである。 気づいていたからこそ、答えられなかった。
見たくない現実に向き合い続けるのは、骨が折れることである。その見たくない現実を自分の中に見出したときは、尚更そうである。
逃げること自体を責める気はないが、逃げた後に立て直すことが出来ず、健康を害するまでに至った*1のであれば、再び向き合うしか道はない。
自分を守りながら生きていくにはある程度の自己肯定感が必要だが、それは、自己欺瞞と紙一重である。自己欺瞞に見て見ぬふりをし続けると、認知的不協和に達する。認知的不協和に達すると、後戻りは困難となる。
そのようなことを考えながら、Aさんと再び会える日を待っている自分がいる。
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