先日、某所で一般の方向けの講演を行った。
講演を聞いた或る女性が、介護中のご自分の夫を診て貰おうと考え、そのことを遠方に住む息子さんに告げた。
友人の親を診るプレッシャー
インターネットで当院を検索した息子さんは、父親の受診に付き添うことを決めた。
受診当日。
父親に付き添って診察室に入ってきた息子さんは、30年前の面影をはっきりと残していた。
お互いの口から出た言葉は、「おおー、久しぶり!」。
付き添って来られた息子さんは、当方の小学校時代に仲の良かったT君だった。
中学が別になり連絡が途絶えたため、実に30年ぶりとなった今回の邂逅。
T君の父君は、既に他院で認知症の診断を受けていた。病状はかなり進行しており、長谷川式テストを行うことは出来なかったが、なんとか撮影できた頭部CTにおける脳萎縮のパターン、そして、問診や診察室での振る舞いから、前医の下した診断は正しいと自分にも思えた。
発症からおよそ8年が経過しており、その間、効果的と思われる薬物治療は行われていなかったものの、高い易怒性を発揮することはなく、慣れた環境でさえあれば落ち着いて過ごせているという今の状況は、ひとえにT君の母君の献身的な介護の賜と思われた。
現状の再確認と、介護負担度を減らせるかもしれない薬物療法についての情報を提供したところ、ご家族は当院への通院を希望された。その後少しだけT君と互いの近況報告をし、再会を期して別れた。
世代交代のど真ん中で、能動的な仕事をする
T君が診察室を去った後、胸に去来する様々な感情をしばらく持てあましていた。
友人との久しぶりの邂逅を嬉しく思う反面、友人の親を診ていくことについては責任を強く感じた。そして、自分の所に連れてきてくれたT君や母君の決心にも想いを馳せた。
T君は、医者である。
医者が、自分の親を知り合いの医者に託す気持ちを想像するだけで身が引き締まる。
40代という自分の年齢を考えれば当然だが、我々の親はこれから後期高齢者になっていく。自分の父親は既に80歳を超えている。
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若い世代であれば、食事と栄養の工夫を伝え、あとは「何かあったら来て下さいね」で健康自主管理をして貰えば良い。*1
しかし、後期高齢者ではそうはいかない。
「何かあったら」の何かが致命的になるかもしれず*2、また、長年染みついた食習慣は変えがたく、栄養の知識を伝達して健康自主管理をしてもらうのは困難なことが殆どだからである。
リスクを見積もり、不要な薬を減らし、家族や介護者の負担に配慮し、全体のバランスを取りながら付き合っていくことが、若い世代よりも圧倒的に求められるのが後期高齢者世代である。
この領域においては、これまでの自分の経験が役に立つはず。
そう思っているので、知人や友人から「親を診て欲しい」という依頼があれば、今までもそうだったが、今後もできる限り引き受けるつもりでいる。
世代交代は不可避であるが故に、出来れば円満に、穏やかに行われることが望ましい。
親が認知症だと、本人の理解力の低下に加え、介護負担で家族が疲弊し感情的になってしまうことで、親子関係が拗れてしまうことが多々ある。
自分が退場するときは円満でありたいと願いながら、能動的に認知症に関わり続け、スムーズな世代交代をサポートしていく。
今まさに自分は、世代交代のど真ん中で仕事をしている。
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