鹿児島認知症ブログ

鹿児島でコウノメソッドや糖質制限を実践している脳神経外科医のブログ

介護者の苦悩②

家族だけが介護者ではない

 
悩み

先日投稿した下記記事に対して、メールで感想を頂いた。ご本人の許可を得たので一部抜粋して掲載する。
 
(引用開始)
 
私の勤務する特養では、身体拘束も暴力もありませんが、それでも認知症に起因する悲惨な出来事は多々あります。
そもそも、認知症の治療が不適切であったり、未治療である入居者も多いのです。
家族に見捨てられたような、家族が面会にも来ない入居者がたくさん暮らしております。
      だから、コウノメソッドを知った上で介護現場で多くの認知症の症例と薬物治療との関係を学びました。
過日、暴言・暴力の激しいFTDの入居者に対して、ウィンタミン4+6mgを処方して頂くよう施設嘱託医に直談判して、やっとのことで実現しました。職制上からは、看護師の仕事のはずですが、言っても理解を得られないことなので職制は無視しました。著効をすぐに得られたのですが、看護師からはお小言(やんわりとイヤミ)を言われました。
医者に、薬の種類と用量を注文するのはどうかと思う」と。
認知症家族のみならず、介護現場の職員もまた日々たいへんな、ギリギリの思いをしています。
 
 
(引用終了)
 
 

診療における垣根

 
入院患者さんと一番接しているのは看護師であり、外来患者さんと一番接しているのはご家族である。そして、施設入所者の方と一番接しているのは、施設スタッフである。
 
実は当たり前のことだが、患者さんと接する時間が最も短いのが医者である。
 
「医者は全て分かっている」と考えるのならば、それは残念ながら幻想である。
 
「医者に、薬の種類と用量を注文するのはどうかと思う」と言う看護師は、薬が患者さんの役に立つかどうかを決めるのは医者だけの特権だと考えているのだろうか。
 
最終的に処方責任を持つのは医者であろうが、その過程で関わるスタッフ皆で考えることが大切ではないだろうか。
 
実際の現場では、看護師や介護スタッフからの提言が無ければ医者は緩下剤(便秘薬)一つなかなか出せないものである。にも関わらず、認知症の薬に関してはスタッフのアドバイスは無用、というのは筋が通らない。
 
「職制を守る」、「己の職域は超えない」と言えば聞こえは良い。組織の秩序を保つためによく利用されるフレーズではある。
 
しかし、そもそも職制とはなんの為にあるのだろうか?
公務員であれば、それは「国家や国民への奉仕、公共サービスを提供」するための区別であり、医療者であれば「患者さんや家族に治療やケア、安心感を提供」するための、単なる仕事上の区別に過ぎない。
 
医療者の目的(目標)は、組織の秩序を保つことではなく、「患者さんや家族の為」であるはず。医者や看護師、介護スタッフなどという立場は、その目的を具現化するための手段に過ぎない。
 
どこにでもみられる「手段の目的化」という残念な現実は、なかなか変わることはない。
 
しかし、「もの凄く良くなった認知症患者さん」に出会ったスタッフのモチベーションは上がるものだ、という現実もまた存在するのである。
 
自分がどちらの「現実」を見たくて仕事をしているかは、言うまでもないことである。