人通りの少ない早朝。
店のシャッターを上げ、まだ誰もいない店内を見渡す。
かつてはゴミ一つなく、掃除の行き届いていた店内と店先。棚には整然と一升瓶が並べられ、客や出入り業者と昭吉が交わす威勢の良い挨拶の合間を縫って、スタッフがキビキビと動いていた。
商品は適切なタイミングで発注されるので不良在庫に悩むことはなく、丁寧に付けられた帳簿に基づく実直かつ柔軟な経営方針で、内部留保は着実に積み上げられていた。
父親が亡くなってから、それら全ては過去のものとなりつつある。
剥がれかけクルッと丸まった一升瓶のラベルを見つけたので、元に戻そうと何度か試みたけれども上手くいかず、じきに諦めた。
「お前は長男なんだから、将来はお父さんの跡を継ぐんだぞ」
初めてそう言われたのは、幼稚園の頃だっただろうか。
幼い頃はただ、顔を綻ばせる父親を見たくて「うん!僕お父さんと仕事する!」と答えていた。
しかし、学齢が上がるにつれて、その返事は「そうだね」、「あ、うん...」と次第にトーンダウンしていき、思春期に入ると父親との会話そのものが減った。
そして、高校二年生のある夜。
「どうだ、裕一。勉強は順調か?お前が大学を卒業して帰ってくるまで、父さんは店を頑張って守るからな」
「僕の人生を決めるのは、父さんじゃなく僕だよ」
「なんだと!?」
努めて冷静に言ったつもりだったが、普段は温厚な父親が血相を変えて胸ぐらを掴んできたことに動揺して、反射的に突き飛ばしてしまった。
その後のことはよく覚えていない。
「お父さん、裕一の好きなようにさせてあげて」
と、泣いて取りなしてくれた母親のリツ子のおかげでその場は収まった。
夢がないことに焦りはあったが、親の敷いたレールに乗るのは格好悪いという理由だけで地元を出て、東京の大学に進学した。
卒後の進路について母親から何度か聞かれたが、その都度「親父の後を継ぐことは考えていない」とだけ答え、未だ見えぬ将来について誰かに相談することのないまま大学を卒業した。
運良く内定を貰った会社で営業の仕事に就いたが、会社の業績悪化とともにリストラの憂き目に遭い、その後は幾つかの仕事を転々とした。
そのどれもが、長続きしなかった。
与えられた仕事は真面目にこなすけれども、やりたいことを相変わらず見つけられずにいた裕一は次第に、次の仕事を探すのが億劫になっていった。
「仕方ないか....」
この時すでに結婚していた涼子を苦労して説得し、実家に戻り家業の酒屋を継ぐことにしたのは30歳を数年過ぎた頃だった。
それまで何くれとなく援助し続けてくれた母親には礼を言った。しかし、父親に対して素直に頭を下げることは出来なかった。
久しぶりの顔合わせとなった夕食の場には気まずい空気が流れていたが、長男が嫁を連れて帰ってきたことはやはり嬉しかったのであろう、昭吉は
「久しぶりだな。明日からボツボツ、仕事を教えていくからな」
とだけ言い、過去には触れなかった。
そのうち裕一夫婦に子が産まれ、初孫誕生の喜びの中でわだかまりは薄らいでいった。
そうして10年以上が経ち、重要な仕事を徐々に昭吉から任せてもらえるようになってきた矢先に、裕一は商品の発注で手痛いミスを犯した。
気づいたときにはもう取り消せず、今後数ヶ月は死蔵させることになる商品の山を前に、呆然と立ち尽くすしかなかった。
酷く𠮟られるだろうと覚悟していたが、なぜか父親から何も言われなかった。伝票はチェックしているはずだし、倉庫の中の商品の山を見ていないはずはない。
なのに、父親は何も言わない。いつも通りに倉庫から商品を出し、棚に並べ、配達に出かけている。
気づいていないのだろうか?
気づいていないとすれば......
それからというもの、裕一は母親との会話の合間に、「親父さ、最近ちょっと変じゃない?仕事で物忘れすることが増えているんだけど」などと言うようになった。
夫の衰えは年相応と思っていたリツ子は適当に聞き流していた。しかし、息子が「早くしないと手遅れになる」とまで言いだしたので、仕方なく嫁が手配した病院に夫を連れて行った。
年相応で認知症ではない、という診断結果を母親から聞いた裕一は拍子抜けした。
あれだけのミスに気づかないなど、かつての父親ではあり得ない。認知症が始まったのではないのか?と思っていたのだ。
もしそうだとすれば、父親のためにも、そして母親のためにも、自分が早く店を継いだ方がいいだろう。
消極的に家業を継いだことは忘れ、いつの間にか裕一は自分に都合良く物事を考えるようになっていた。
一方、昭吉の受診を切っ掛けに、リツ子は息子よりも夫を気に掛け寄り添うようになった。
そして、リツ子の変化が嫁の涼子も変えた。
昭吉よりも裕一の世話を焼こうとするリツ子を、涼子は常日頃から疎ましく思っていた。
しかし、リツ子の関心が昭吉に向くことで心に余裕が生まれた。すると、今まで気づかなかったリツ子の甲斐甲斐しさや優しさが見えてきて、姑のこれまでの苦労を理解し労ることが出来るようになった。
母親の干渉が減り、嫁姑関係がいつの間にか好転していることを裕一は喜んだ。
しかし、その切っ掛けが父親の受診だったことに思いは及ばなかった。ましてや、自分が背中を押した父親の受診を母親がどう受けとめ、息子の自分にどのような感情を抱いたかなど、分かるはずもなかった。
その後しばらくして昭吉は体調を崩し、短い闘病期間の末に世を去った。
「昭吉さんはピンピンころりだったよなぁ」
葬式で聞いた近所の人の言葉は、最後まで父親に対して素直になれなかった裕一の耳に虚ろに響いた。
四十九日の法要が終わってしばらくたった頃、母親の様子が最近おかしいと涼子から聞いた裕一は、即座に「年のせいだろう」と否定した。
確かに母親の様子に違和感は感じてはいたけれども、父親が亡くなってまだ日も浅く、そのショックが続いているのだろうと自らに思い聞かせていた。
親の衰えを認めたくない気持ちはわからないでもなかったが、父親にはあれだけ積極的に老いを見出そうとしていたのに、母親の明らかな衰えからは目を逸らし続ける夫の態度は、涼子にとって不可解だった。
自分が見たいことしか見ようとしない人は、見たくない現実を否定する。
そのような人間の性に、涼子も、そして裕一自身も気づいていなかった。
そうこうしている間にリツ子の衰えは進み、業を煮やした涼子は自分の判断で姑を病院に連れて行ったのだった。
そしてリツ子は、アルツハイマー型認知症と診断された。
認知症と診断されることを期待すらしていた父親が年相応で、そうであって欲しくないと願っていた母親が認知症だったという現実を前に、裕一は流石に己の不明を自覚せざるを得なかった。
と同時に、自分が現実を否認し続けている間に母親の認知症が進行してしまったのでは?と考えて空恐ろしくなり、反射的に出た言葉が
「え、薬は出なかったの?認知症って診断されたのに?」
だった。
涼子の冷ややかな眼差しで失言だったと自覚したが、こういう時に裕一は素直に頭を下げられない性格だった。
母親の今後を心配する訳でもなく、かといって診察に付き添ってくれた妻を労るでもない。ただ単に、自分の面目を守るためだけの発言と涼子に思われたに違いない。
翌朝、いつも三人で囲む食卓に味噌汁が四つ並んでいた。
「お父さんは、もう仕事にいったのかしらねぇ」
「そうかもしれませんね、毎朝早いですものね」
夫が今でも生きているかのように話をする母親と、二杯目の味噌汁を飲みながら姑に話を合わせる妻との間で、裕一は黙って箸を運び続けた。
(続く)

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