「早く何とかしないと手遅れになる」
息子からそう言われるたびに、リツ子は考え込む。
リツ子の夫の昭吉は、酒屋を営んでいる。
跡を継いだ息子に多くは任せているが、昔からのお得意さんには今でも自分で車を運転し配達している。
「もう年なんだし、そろそろゆっくりしては?」という周囲の声に耳を貸すことなく、昭吉は楽しそうに仕事を続けている。
「手遅れ」という言葉を思い出して、リツ子は再び考える。
仕事を完全に譲ろうとはしない父親に、息子は苛立っているのかもしれない。そんな話は、前にチラッと聞いたことはある。
「何とかって、じゃあどうしたらいいの?」
リツ子はそう息子に聞く。すると、横から
「お義母さん、ココにお義父さんを連れていかれたらどうですか?」
と、息子の嫁が話に加わってきた。
たまたまインターネットで目に留まった病院らしい。ふーん、たまたまね・・・
「一度しっかり調べて貰った方がいいですよ。ほら、こういうことは早期発見早期治療が大切だって言うし。私が電話で予約しておくので、お義母さんは付き添いをお願いしますね。」
「医者に頼んで、親父の衰えを遅らせる薬を貰ってくるんだよ。母さん、いいね」
息子夫婦の手際の良さには辟易したが、昭吉が受診を拒むことがなかったのはリツ子にとって意外だった。夫なりに衰えの自覚はあるのかもしれない。そうであれば、妻として自分が付きそうのは当然だとリツ子は前向きに考え直し、受診に付き添うことにしたのだった。
診察当日。
「今でも家業に精を出しています。若い頃のようにいかないところはありますが、自分ではまだやれると思っています」
医者の質問に朗らかに答える夫の言葉が、なぜかリツ子には空元気のように響いた。これは認知症でよくあると聞く「取り繕い」ではないのだろうか?
病院という環境にいることがそうさせるのか、夫に病的な何かを見出そうとしている自分にリツ子は気づいていた。
長谷川式というテストは、30点満点の25点という結果だった。21点が基準点らしい。そのほかに図形を描くテストもあったが、リツ子が見てもきれいに描けていた。脳のCT写真も特に問題ないと言われた。
「昭吉さんの今回のテストでは、野菜の名前がうまく繋がりませんでしたね。料理をすることがなかった男性であれば不思議ではありませんし、初めての病院で緊張したのもあったでしょう。
記憶力低下の自覚はおありみたいですが、人の手を借りることもないようだし、八十三歳の今でも仕事もしておられるなら、現時点で認知症ということはないと思いますよ」
医者からそう言われてホッとしたのか、リツ子は肩の力が抜けるのを感じた。しかし次の瞬間、
「先生、もの忘れを抑える薬を出して下さい!」
と言った自分に驚いた。
医者も驚いたのだろう、夫に待合室で待つよう促した後に「もの忘れの薬は気軽に飲むものではないし、本人が希望しないのに無理に飲ませるわけにもいかない」と、宥めるように私に言った。
それでも私は懇願した。薬を。どうか夫に薬をと。
昭吉が運転する車で家に帰る道すがら、やや冷静さを取り戻していたリツ子は考えていた。
年相応と思っていた夫に、病院の検査でも悪いことは言われなかった夫に、あの時の自分はなぜ薬を飲ませなければいけないと思ったのだろう。家で待つ息子から薬を貰うよう言われていたからだろうか。
貰わなくて良かったと今は思う。そんな重大な判断は、私には出来ない。
ふと、(もし自分が逆の立場だったら?)と考えリツ子は恐ろしくなった。
私にそうしたように、息子たちは夫に「母さんはそのうち手遅れになる」と言うのだろうか。そして私は病院に連れて行かれ、薬が出されるのだろうか。
そもそも、手遅れってどういう意味?何で子どもにそんなこと言われないといけないの?
八十を過ぎた私たちが、病気になったり死んだりしてはいけないの?
何やら無性に腹が立ってきたリツ子の横で、昭吉は鼻歌を唄いながら車を走らせていた。
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