メディアを通じて表に出てくる介護の話は、悲惨なものが多い。
【衝撃事件の核心】血ヘドはく「老老介護」破綻 鬼の形相で「殺せ!」と叫ぶ認知症母を殺害 長男は「ごめんな、ごめんな」と謝り続けた(1/5ページ) - 産経WEST
センセーショナルな内容であればあるほど、視聴者数や発行部数が伸びるのだろう。国全体で考えると、確かに楽観視出来る要素が多いとは言えない。
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メディアの伝え方にはもう少し工夫が欲しいが、視聴者の深層心理を突いていると言えなくもない。
- 自分がもし認知症になったら・・・
- 親がもし認知症になったら・・・
こういう心理を煽られたら、不安になるのが当然である。
何故不安になるのか。それは、介護が"苦行"のように思われているからなのだろう。そして出来ればやりたくないその苦行を、黙々とこなすことが美徳であると一般的には捉えられていないだろうか?
果たして介護は苦行なのだろうか?楽をしてはいけないのだろうか?
変わることが出来るのは患者さん?それとも自分?
- 認知症の方は、介護する側の鏡であること
- お薬以上に大切なものがある
この2点を基礎に
介護する側の気持ちや思いを変えることで、認知症ご本人の症状が落ち着き、自身の認知症介護もラクになる(p4)
と、著者は延べる。
介護をする側の心理状態に患者さんは影響を受ける。特に介護者の表情は重要で、怒っていたりイライラした表情は相手に敏感に伝わるもの。逆に、優しげな言い方や表情は、相手をリラックスさせる効果が期待できる。
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介護者が楽になれたら、結果的に被介護者(患者さん)も楽になれる。自明のことのように思うが、そううまくいかないのが現実。なぜだろうか。
普通に過ごしていたはずの自分の親と、徐々にコミュニケーションが取れなくなっていくのは辛いことである。親にとって子はいつまでも子であるように、子にとっても親はいつまでも親である。
「以前のままの親であって欲しい」という願いが強ければ強いほど、「あの頃のお父さん、お母さんに戻って!!」と、相手に変化を求めてしまう。しかし、それを阻むのが認知症である。病気だからこそ、あの頃には戻れない。変わることは出来ない。
人の心を変えるのは難しい、でも自分を変えるのは簡単(p9)
変わることが出来るのは介護者だけである。このことに早く気づけたら、その後の介護生活は相当に違ってくる。
工夫し続ける大切さ
同じ事を何度も聞かれると腹は立つし、困った行動をされるとイライラすることは当然。
それをどのように克服していくかを追求し続けることで、介護者は「成長」していく。成長することで余裕が生まれ、その余裕は次の工夫に向けられる。
自分で書いた介護の悩みを、数年後に読み直してみると、必ず思うことがあります。それは、「えっ!こんなちっぽけなことで、悩んでいたの?」ということ(p164)
次回の診察までに起きたことを、ノートや手紙に書いて渡してくれるご家族がいる。「書く」という行為は自身を客観視するために有用な手段である。
辛いと思う自分を見つめながら、そのことを書く自分がいる。治療の役に立てばと願いながら親を観察する自分がいる。そのことを誰かに伝えたいと思う自分がいる。
言語化は浄化に繋がり*1、浄化によって人の表情は和らぐ。介護者の表情が和らげば、被介護者の表情も和らぐ。
主体的に生きるということ
介護をすることになったこと、それによって仕事を変化させる必要が生じたこと。いずれも自分の人生に起きたことなので自分事である。自分事なので、自分が倒れないように色々と工夫してみよう。折角なので、その工夫を誰かに伝えてみよう。
介護本であるこの本だが、
主体的に自分の人生を生き抜こう!
という力強いメッセージを伝えてくれているようにも思う。
オススメの一冊です。
工藤 広伸
廣済堂出版 (2016-07-06)
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