東洋医学では、好転反応と呼ばれる身体反応があるらしい。
好転反応(こうてんはんのう)とは、もともとは東洋医学(按摩や鍼)で使われる用語で、治療の過程で一時的に起こる身体反応のこと。反応の程度はさまざまである。(Wikipediaより引用)
70代女性 脳梗塞後
以前、手のしびれを訴えて当院を受診された方(以下、Aさん)。
受付をしている間にしびれから麻痺や構音障害が出現してきたため、脳梗塞を疑って入院施設を持つ脳神経外科病院に連絡を取り搬送した。
搬送先では、予想通り脳梗塞の診断。そのまま入院となり、点滴治療とリハビリで幸いにも大きな後遺症をきたすことなく退院できた。
その後、Aさんはちょっとした不安や不調を訴えては当院に来院するようになった。
その都度治療が必要ということはなく、ただ訴えを聴いて貰うだけで気分が晴れて帰宅する、というパターン。長らく心療内科から抗不安薬の処方を受けている方でもあった。
ある日、数ヶ月ぶりに受診されたAさんに会って、目が点になった。
顔や手、背中、あちこちの皮膚が黒ずみ、ガサガサして一部は滲出液を伴っていたのである。
いつも一人で来院していたAさんだが、その日は友人(以下、Bさん)を伴っていた。
「どうしてこんなことになってしまったのですか?」
と尋ねると、AさんではなくBさんがこう答えた。
「私が以前体調を崩したときに、ある鍼灸院で勧められたサプリメントを飲んだら、もの凄く具合が悪くなった後に、全ての調子が整ったんです。Aさんの悩みは以前から聞いていたので、自分の経験を伝えたら『私も飲んでみたい!』と言うので、そのサプリメントを飲んでもらっていたんです。」
どのようなサプリメントなのか尋ねると、実物を見せてくれた。袋を開けると強烈な臭いが漂ってきた。
「先生も試しに飲まれたらどうですか?とてもいいものですよ!」
と勧めるBさんの表情には、引きつったような笑いが浮かんでいた。
「どのような成分が含まれているのですか?サプリメントには成分表が付いていると思うのですが。」
と問うと、「炭を含んでいますが、それ以上は詳しく言えません」とのことであった。
薬ぎらいのAさんは、このサプリメントを飲むにあたって内服中の薬を全て自己判断で中止していた。
「先生、これでも皮膚の状態は大分良くなってきています。」
Aさんは目を輝かせながら、嬉しそうに話し始めた。
「色々な悩みが消えたんです。心療内科の薬も、もう飲まなくても大丈夫になりました。私は浄化されたんです。」
皮膚科の受診を勧めたが、首を縦に振ることはなかった。 そして、
「先生のことは信頼しているんです。先生には、今の状態をちゃんと伝えておこうと思って今日は来ました。先生の出す脳梗塞の薬だけは飲んだ方がよいと思っているので、今日は薬を出して下さい。」
ひとまずプラビックス(抗血小板薬。脳梗塞治療・予防の薬)を処方して、話を終えた。
「浄化=好転反応」ということなのか
自分は未だ、好転反応なる現象を見たことがない(恐らく)。ネットで調べてみると、”身体が本来の状態に戻る前の、一時的な悪化”というものらしい。
自分が見ていないからといって、そういう反応があることを否定はしない。
結果的にAさんが向精神薬を卒業できて、なおかつ今後皮膚症状も改善していくのであれば、それをもって「あの時の症状は好転反応だった」と呼んでもよいのかもしれない。
ただ、悩みの解消や向精神薬の卒業のために支払う代償として、そのサプリメントの値段や無残な皮膚症状は到底割に合わないものだと自分は感じた。
「本来の自分*1」に戻るためには、一時的にしろ必ず苦しみを経なければいけないのだろうか?
「浄化されたんです」という言い方から、Aさんは恐らく宗教的な、今風にいえばspritualな領域に身を浸していると思われた。
理を尽くして説得を試みても、こういう方達の信念を覆すことはまず不可能である。
「割に合う・合わない」を決めるのは結局は患者さんであるし、そもそも一般的な損得勘定が働いていれば、おそらくこの領域に身を浸すことは通常ない。
損得勘定を超えた判断をしている人は、理屈では翻心させられない。
これまで、Aさんのような患者さんに説得を試みては撃沈し、無力感を味わってきた。
しかし、「課題の分離*2」ということを心がけるようにしてからは、少なくとも自身が受けるストレスは減った。
自分がreachできるところで、自分の仕事をするのみである。その人のspritualな領域に、他人の自分はreachできない。
今回の方で自分が行うべき仕事とは、脳梗塞再発のリスクを下げるために抗血小板薬を飲んだ方がよいと説明し、出来れば飲んでもらうことである。
それは、明確に自分の仕事と言える。
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