「薬はいらないだろうなぁ・・・」
患者さんを診察してそう感じれば、自分はご家族にそのままを話す。納得するご家族もいれば、抗認知症薬処方を強く希望するご家族もいる。
今回は薬を欲するご家族の心理と、その結果起きているかもしれない「薬害」の可能性について考えてみたい。
70代女性 軽度の抑うつ
初診時
(現病歴)
不安と物忘れの心配。同居の夫が自分に厳しいことをいうと。
遠方に住む息子さんに伴われて来院。
(診察所見)
HDS-R:29
遅延再生:5
立方体模写:OK
時計描画:OK
クリクトン尺度:3
保続:なし
取り繕い:なし
病識:あり
迷子:なし
レビースコア:施行せず
rigid:なし
ピックスコア:施行せず
頭部CT左右差:なし
介護保険:なし
胃切除:
(診断)
ATD:
DLB:
FTLD:
MCI:
その他:
正常だろうが、やや抑うつ的かな。息子さんもそこを心配。
介護保険制度についての説明を聞いて帰ってもらう。
5ヶ月後
前回受診直後に、ご主人を亡くされた。
その後2回交通事故にあったが、幸い後遺症などはない。
患者さん「最近なかなか眠れない、寂しい、自然と涙が出るの・・・」
近くに頼れる親戚やお子さんはいない。付き添いの息子さんは遠方在住。
友達は遊びに誘ってくれるようなので、積極的に外出を。真面目で読書家、勉強好きとのことなので、市民講座など積極的に受講されてはいかがですか?
息子さんはサプリメントや食事運動による予防には懐疑的のようだ。処方薬が欲しそうな印象であったが、認知症、うつ、いずれも投薬による改善を試みる程でもないでしょう、とお話ししたところ、不承不承帰って行かれた。
(引用終了)
認知症を疑って親を外来に連れてきたお子さんに見られる4つのパターン
抗認知症薬を欲する心理とはどのようなものかを掘り下げるために、まず
「自分の親はひょっとしたら認知症では・・・?」
と、親を認知症外来に連れてきたお子さん達の心境について考えてみる。
パターン①と②では「認知症です」と告げられたときの心境を、パターン③と④では「認知症ではありません」と告げられた時の心境を、それぞれ考えてみた。
パターン①
医者「お母さんはレビー小体型認知症の要素をお持ちだと思います。幻視を含め、今現在お困りの症状があるようですから、今日からお薬でその対策を始めましょう。」
家族「おかしいと思っていたんですが、やっぱり原因があったのですね。分かりました。宜しくお願いします。」
これは分かりやすい。多くの場合、治療とはこのように始まる。
この場合の家族心理は
「やっぱりおかしいと思っていたことには理由があったんだ。」
であろう。
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パターン②
医者「お父さんはアルツハイマー型認知症の要素をお持ちだと思います。サプリメントでも保険薬でもどちらでもいいので、対策を始めてみませんか?」
家族「そうなんですね・・・・。でも、もうしばらく様子を見させて下さい。」
薬による治療介入を促してもその時点では決断がつかず、病状が進行してしまうケースは時にみられる。この場合のお子さんの心理は、
「前とは違うけど、それは年のせいで認知症ではないかもしれない・・・」
というものかもしれない。
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パターン③
医者「奥さんは、今のところ年齢相応の衰えはあるようですが、病的な物忘れの要素はそこまで強くないと思いますよ。薬は使わずに、介護サービスや家族関与を増やして見守り環境を整備しましょう。食事や運動も大事ですので、その工夫もお伝えします。また、サプリメントによる補強、という考え方もありますよ。」
家族「そうなんですね、分かりました。ではそのようにしてみます。」
この時の家族心理は
「自分では病気かもと思っていたけど、医者の見立てではそうでもないんだな。ひとまず対処方法を教えてくれたからやってみようかな?」
このような感じだろうか。
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パターン④
医者「お母さんは、今のところ年齢相応の衰えはあるようですが、病的な物忘れの要素はそこまで強くないと思いますよ。薬は使わずに、介護サービスや家族関与を増やして見守り環境を整備しましょう。食事や運動も大事ですので、その工夫もお伝えします。また、サプリメントによる補強、という考え方もありますよ。」
家族「そうなんですか?自分からすると、どうみてもおかしいのですけど・・・」
これで家族が薬を熱望した結果、改善が見られるケースもあるので高齢者医療は奥が深い。医者の見立てが常に正しいわけではない。
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この時の家族心理は、
「医者はこう言っているけど納得がいかない。絶対に何か病気があると思う。他の病院でも話を聞いてみようかな・・・」
かもしれない。
納得いかずにセカンドオピニオンを求めることは、基本的には良いことだと思う。ただし、「確証バイアス」には気をつけたほうがよい。
確証バイアスを持つ家族
パターン①と②は病気の可能性を告げられた場合の反応、③と④は病気の可能性は低いと告げられた場合の反応である。
今回挙げた症例はパターン④に該当する。
抗認知症薬による薬害、特に独居高齢者に起きる抗認知症薬の薬害の背景にはパターン④があるのではないか?と、最近考えるようになった。
パターン④のご家族は、最初から自分で答えを用意しており、それが医者の意見と一致している場合にはそこで親に治療を受けさせるし、そうでない場合は次の医者を求めて去って行く。そういった方達が多いように思う。
確証バイアスとは、認知心理学や社会心理学における用語で、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと(確証バイアス - Wikipedia)
自分としては言葉を尽くしたつもりでも納得して頂けないご家族に出会った時には、
「この人は、ひょっとしたら確証バイアスを持っているのかもしれない・・・」
と考え、それ以上の説得は試みない。ただし、「何かあったらまた声を掛けて下さいね」と申し添えておくと、帰ってきてくれることはある。*1
抗認知症薬を希望する家族の気持ち
ここで、親に抗認知症薬を飲んでもらう時の子の心境を自分なりに推測して3つ挙げてみる。
- 早めに薬を飲ませたら進行を遅らせることが出来るとテレビで言っていたので
- 物忘れや捜し物で本人が困っているし、少しでも良くなって欲しい
- 何もしないよりは、せめて薬でも飲んでいてくれたら。自分も仕事があり、つきっきりではいられないし・・
以下に、今回のケースにおける息子さんの心境を想像してみると、
「後期高齢者となり、また夫を失った母親が独り暮らしをしている。しきりと寂しさを口にして電話をかけてくる。かまってやりたいが、自分にも仕事があり家族もいる。何度も電話をかけてこられると、段々自分もイライラしてくる。これは普通の状況とは思えない。なんでこんなことになったのだろうか?病気じゃないだろうか?そう言えば、テレビで言っていた認知症の症状と似ているところもある・・・。そうだ、病院に連れて行ってみよう。」
↓
「せっかく連れてきたのに、目の前の医者は病気ではないと言う。薬も出しては貰えなさそうだ。これだと何も変わらない。電話も毎日鳴るだろう。何か薬を出してくれる医者のところに連れて行ってみようか・・・」
このような葛藤が少なからずあるように思える。
もう少し整理すると、
遠くに住む自分は直接関与できない→後ろめたく感じる→こんな気持ちになるのは、母の様子がおかしいからだ→おかしいというのは病気だからだろう→病気であれば薬を飲まなくてはいけない。テレビでもそう言っていた→薬を飲んで良くなれば、頻繁に電話を掛けてくることもなくなるだろう→そうしたら自分の感じるこの後ろめたさも和らぐかもしれない
このような思考経路を辿った結果、薬を欲するようになるのではないだろうか?
これが確証バイアスにまで高められると、処方してくれる医者に出会うまでDrショッピングが続く。そして、いつか処方が始まる。その後に起きるであろうことは以下。これがフィクションかどうかは、ご想像にお任せする。
規定通りに抗認知症薬が増量→様子がおかしくなるが、同居していない息子さんは気づけない→次回受診時に「認知症が進行した」とのことで更に薬が増量→更に様子がおかしくなるが息子さんは気づけない→そのうち、「これ以上は医療対応は困難なので、介護で頑張って下さい」と病院で言われる→息子さんが戻ってきて同居できるわけではない→施設に入所→息子さん「認知症が進んだのであれば、しょうがない。こうするしかなかったんだ・・・」*2
確証バイアス云々は、あくまでも当方の想像に過ぎないことである。確証バイアスのおかげで治療に繋がるケースもあるだろうし、その時には、「諦めなくて良かった・・・」と思えるだろう。
しかし、自分の外来を訪れる方達の多くが、経緯不明のままに抗認知症薬が過量投与されている現状がある。何故このようなことになっているのか、本人に聞いても「?」だし、家族に聞いても要領を得ないことが多い。
「事情があり親の面倒を見てあげられないことからくる親への後ろめたさから「なんとしてでも薬を飲んでもらわねば!!」という想いが強まった結果、飲まずに済んでいたはずの抗認知症薬を親が飲む羽目になった」
このような不幸な構図が、抗認知症薬過量投与(不適切投与)の背景にあるような気がしてならない。
子が親に対して持つ後ろめたさ*3が抗認知症薬の過量投与や不適切投与に繋がり、そのことに子も親も、医者も気づいていないとしたら、こんなに残念なこともない。
そしてまた、自分もその種の「後ろめたさ」を多少感じているのであるから、全くもって他人ごとではないのである。