「検閲」という言葉をご存じだろうか。
検閲(けんえつ)は、狭義には国家等の公権力が、表現物(出版物等)や言論を検査し、国家が不都合と判断したものを取り締まる行為をいう。(Wikipediaより引用)
日本の歴史上では、敗戦後の日本でGHQが行った検閲が有名である。
江藤 淳
文藝春秋
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「国家」から検閲を受けたことは勿論ないが、「製薬会社」から検閲を受けたことなら複数回ある。これは自分だけではなく、製薬会社から依頼されて講演を行ったことのある医師ならば、みな経験していると思われる。
講演会発表資料受付事務局という名の、検閲係
5年ほど前に、とある製薬会社(以下A社)の依頼で認知症に関する講演を行った。
その講演では複数の改善症例を提示したのだが、添付文書に載っていない薬の使い方をしたら劇的に病状が改善したある症例を紹介したら、後で担当MRから「アレは困ります・・・」と苦言を呈された。
A社の言い分は理解できたが、自由に話せない講演は窮屈なので、以後A社から講演依頼があっても断ってきた。
しかし最近、とあるグループから「実践的な認知症診療の話をして欲しい」という依頼があり、その講演会をA社が協賛するという形で久しぶりに関わることになった。
A社から、「講演スライドを事前にチェックさせて欲しい」という指示を受けた時、以前のことが頭をよぎり嫌な予感がした。
しかし一旦話を受けてしまった以上仕方がなく、仕事の合間に作成した100枚以上のスライドを講演の2週間前に「講演会発表資料受付事務局」宛てに送った。
すると、「お願い事項」という形の、実質的にはスライドの修正指示がメールで届いたのだった。
薬の誹謗中傷をするな?
スライド〇〇.本症例では診断が正しくなかったために、ドネペジルやアレビアチンが認知機能に悪い影響を与えたものと推察いたしますが、これらの薬剤に対する誹謗、中傷と捉えられないよう、ご講演の際にご配慮賜りますようお願い申し上げます。
上記は、スライド修正指示メールからの引用。赤文字強調は筆者によるもの。
「ご配慮」をお願いされたスライドは以下。
このスライドで主張していることは、A社も指摘しているように「診断が正しくなかった」ためにドネペジルが本人の能力の足を引っ張っていたのではないか?ということである。
アレビアチンについてだが、抗てんかん薬であるアレビアチンは脳の突発的な興奮を抑えるためにに普段から飲み続ける薬である。従って、継続的な内服により神経細胞の興奮性が抑制され続けた結果、行動遅延や自発性低下をきたすことがある。これはアレビアチンに限らず、抗てんかん薬一般に共通することである。
そして、通常は必須であるアレビアチンの定期的な血中濃度測定はされておらず、将来的な減薬終了が想定されずに漫然と出され続けていたようだったので止めた、ということである。
それを(恐らく)分かっていながら、なぜA社は誹謗中傷という言葉を使って「ご配慮」を指示してきたのだろうか。
「演者が、ドネペジルやアレビアチンを誹謗中傷していた。それを黙認していた協賛のA社は、間接的に他社製品のネガティブキャンペーンをしている。」
そのように聴衆から受けとめられることを懸念したのかもしれないが、そうだとすれば、A社は聴衆のリテラシーに期待していないということになる。
そもそも誹謗中傷とは、根拠のない悪口や中傷のことである。
ドネペジルやアレビアチンを中止し、幾つかの工夫と組み合わせて患者さんが改善したという結果は、一つの「根拠」である。A社が「製薬会社が示す根拠(発売前臨床試験、市販後調査云々)以外は認めない」というなら話は別だが。
一般的な国語力とコンテクストの読解力があれば、当該スライドを特定薬品に対する誹謗中傷と捉えることは困難だと思うのだが、如何だろうか。
要は、
「講演聴衆の中にはリテラシーの低い人がいるかもしれないから、誤解されそうなコトは喋らないでね。僕たちは自社製品だけではなく他社製品にも配慮している(という世間体は保つ必要がある)ので、余計なコトは喋らないでね。添付文書に書いてあるコト以外は喋らないでね。つまりは、色々と忖度してね。」
ということなのだと自分は捉えた。
製薬会社に忖度しすぎると、無難だが面白みのない講演会になる
ある人から聞いた話だが、製薬会社がコンプライアンスを遵守しているかを、講演会に人を参加させチェックしている団体があるそうだ。
そのような団体が目を光らせているのであれば、自衛目的で製薬会社が事前に演者が話す内容をチェックするのも仕方がないだろう。
営利企業である製薬会社が主催する様々な勉強会や講演会は、基本的には自社製品の販売促進目的で行われる。これは当たり前のことである。講演会会場の使用料、講師料や講師の食事代、ホテル代、タクシー代、そして講演会後の情報交換会で提供される料理の費用などなど、費用は基本的に製薬会社持ちである。*1
製薬会社が医者に依頼するという形をとりつつ、医者が製薬会社に「忖度」して行われるのが、製薬会社協賛の講演会というものである。
医者→製薬会社への忖度で、これまで自分が確認しているのは
- 自分の講演内容に製薬会社製品の宣伝に繋がる内容を盛り込む
- 協賛製薬会社製品の副作用については極力言及しない
この2点だったが、今回
- 他社製品の誹謗中傷になる可能性があることは言わない
という新たなルールを確認した。
これらのルールに則って演者が話す内容に制限を設けているからなのか、講演会の多くは無難な内容である。
上手に色々な事をまぶしつつ製薬会社の宣伝に一役買っている講師を見ると、「手練れだなぁ。このレベルになるまで、どれほど忖度してきたのだろうか」などと自分は考える。
そして、そのような講演は見事に頭に残らない。忖度しすぎると、内容がクレンジングされ空虚になってしまうからなのだろう。
自身の経験や独自の見解を述べずに「大規模臨床試験の結果では~」といったデータの羅列紹介に終始する演者は多いが、そのようなデータはMRから情報提供を受けるか、興味があれば自分で調べればそれで済む。
自分の場合、他者の経験や臨床のコツといったことを知りたくて講演会に足を運ぶのだが、「聞きに来て良かった」と思える講演会は残念ながら殆どないことに気づき、ほぼ行かなくなった。
サロン的に集まり、その後の情報交換会で何某かの情報を得ることが主目的の人達もいるだろう。講演会の楽しみ方は人それぞれでいいとは思う。
自分が聞きたい講演を自分で作る
そうしなければ生きていけない人達には申し訳ないが、自分には製薬会社に忖度する義理が何もない。*2
こちらから「講演をやらせて下さい」と頭を下げて頼んでいる訳ではなく、士業で稼ぎ名をなすつもりもない。*3
依頼を受けて行う講演で意識するのは、
という自分の経験を、自分の言葉で語るということである。
誰にも興味を持たれない自己満足的な講演は恥ずかしい限りなので、どのような話を希望するのかは事前に主催者に確認している。この段階で折り合いが付かなければ(自分が話せそうもない内容を相手が希望している場合は)、断るようにしている。
今回は、「実践的な認知症診療について話して欲しい」という依頼を受けて、
- 抗認知症薬重視、進行抑制治療重視という現状への疑問
- 患者家族のニーズに応えることが重要
- 抗認知症薬を前提としない治療、その具体例の提示
- 加齢に伴い、認知症は混合していくという現実
このような内容でスライドを作成した。
しかし、スポンサーから「ご配慮」を求められたため、甚だ不本意ではあったが一部スライドを変更せざるを得なかった。押し切ることは出来たかもしれないが、主催者に迷惑が及ぶかもしれないので止めた。
もし、全面的にスポンサーに忖度していたら、
- 認知症疾患診療ガイドラインでは、アルツハイマー型認知症に対する抗認知症薬の使用は、グレード1Aで強く推奨されています。
- BPSDに対する薬物治療は全て、グレード2Cの弱い推奨です。
という、ガイドラインに則った内容にしかならなかっただろう。
各種の統計データをくっつけてむにゃむにゃ喋ることは不可能ではないが、自分にとって面白みは何もない。そしてそもそも自分は、ガイドライン遵守主義者ではない。
- 爆発性に注意して、典型的アルツハイマー型認知症と思われる患者にアリセプト1mgで使用を開始したら、注意力が改善した
- 皮膚かぶれに注意しつつ、レビー小体型認知症の要素を持つ患者に規定開始量4.5mgの1/4の1.125mgでイクセロンパッチを開始したら、意欲や活気が目立って向上した
- 前頭側頭型認知症の要素を持つ患者に対してメマリー7.5mgを用いたら、過鎮静なく落ち着いた
製薬会社に忖度する限り、上記の様な「実践的な」ことは話せない。
コンプライアンス上、添付文書やガイドラインを遵守しなくてはならない製薬会社と、そもそもからしてガイドライン遵守主義者でない自分とでは、噛み合わなくて当然と言えば当然ではある。
講演会は一種の「興行」。それ以上でもそれ以下でもない。
普段から言いたいことはブログに書いているので、自分から積極的に人前に出て講演会で何かを主張しようという願望がそもそもない。*4
以前はともかく、今は講演会の話を貰ってもほとんど断っている。「ブログを読んで下さい」が基本スタンスである。
それでも時に、以下のような方達からの依頼なら受けることがある。
- 一回断られても「それでも是非」と仰ってくる方
- 現場の最前線に立っている医療介護職の方
- 主催とスポンサーの両方を兼ねている方
3はかなり重視している。それは何故か。
主催者がスポンサーであれば、演者との間で互いの要望がマッチしなければ「この話はなかったことで・・・」で済むからだ。
しかし、主催者とスポンサーが別の場合には、そうはいかない。*5
演者の話が、実はスポンサーにとっては耳が痛い話かもしれないことが分かったとき、主催者は演者をとるかスポンサーをとるかの選択に迫られる。
複数のスポンサーにコネを持つ主催者でもない限り、演者を優先させるという選択肢はなかなか取れない。演者が主催者に対して義理や遠慮がある場合は、主催者に負担をかけたくなければスポンサーに配慮するしかない。
興行とは、そのようなものである。そして、講演会もまた一種の興行に過ぎない。
製薬会社は、自分達に忖度してくれる医者に依頼して自分達に都合の良い興行を打てばよい。講演を聴きに来る聴衆は、自らのリテラシーで内容を判断するだろう。
講演を依頼される演者は、興行に出演することで得られるメリットとデメリットを按分して、スポンサーへの忖度の見返り(メリット)がデメリットを上回ると判断すれば、出演すれば良い。
忖度不要で好きに話せるという条件でない限り、今後は主催者とスポンサーが別の講演会で自分が話をすることはないと思う。
Adhd Lecture flickr photo by OIST (Okinawa Institute of Science and Technology) shared under a Creative Commons (BY) license