なんとなく昔の椎名林檎の曲のような今回のタイトルだが、難聴についての自分語りである。
耳鼻科で受けた「感音性難聴」の診断
7年ほど前に、両耳で「キーン」と高い音が鳴っていることに気づいた。
この耳鳴は、初めて感じてから今日までの間、起きている間はほぼ途切れなく鳴り続け、このブログを書いている今も鳴っている。
そのうち、女性や子どもの高い声が聞き取りにくくなっていることに気づいたが、仕事や生活にはさほど支障がなかったので放っておいた。
自院開業前に耳鼻科に行き検査を受けたのが4年近く前で、診断は「感音性難聴」だった。*1
これは、内耳から脳までのどこかでトラブルがあるということだが、脳については事前に自分で頭部MRIをチェックし問題がないことを確認済みだったので、つまりは内耳にトラブルが起きているということだった。
もう少し詳しく言うと、内耳(蝸牛)に存在する音を脳に送るために必要な「有毛細胞」が減っている、ということだ。
自分の知る限り、有毛細胞を増やす方法はない。つまり、「治らない」ということである。
ところで、耳鳴を客観的に評価できる検査はない。鳴っている音は自分にしか分からないからだ。
受診した耳鼻科の医者は、気の毒そうに
「感音性難聴はどうしようもないですけど、耳鳴はわずらわしいですよね・・・?デパスでも出しましょうか?」
と言ってくれたが、丁重にお断りした。
耳鳴は別に気にならない。大事なのは、鈍感力。
オージオグラムについて
音の聞こえ方には二通りある。気導聴力と骨導聴力である。我々は通常、気導聴力で音を聞いている。
- 気導聴力・・・外耳道→鼓膜→耳小骨→内耳と伝達していく音の振動を聞く力のこと。
- 骨導聴力・・・頭を叩いたり、歯を噛み合せたりするときに聞こえる音は、頭蓋骨の振動が直接内耳に届いている。これが骨導聴力。
ここで、「純音聴力検査」という検査を紹介する。
難聴を主訴に耳鼻科を受診したら必ず受ける検査で、防音室でヘッドフォンを付けて、音が聞こえてきたらスイッチを押すアレである。
純音聴力検査の結果図のことを「オージオグラム」というが、上に示したのが4年前に受けた自分のオージオグラムである。記号の見方は以下を参照。
- [・・右骨導
- ]・・左骨導
- 〇・・右気導
- X・・左気導
気導が骨導よりも大きく下がっていたら伝音性難聴で、気導と骨導が一緒に右肩下がりに下がっていくのが感音性難聴である。両者が混ざれば混合性難聴と呼ぶ。
オージオグラムの縦軸が聴力レベルで、数字が大きくなるほど聞こえが悪いことを意味する。
横軸は周波数(音の高さ)で、右に行くほど高い音を表す。
全周波数で25〜30db以内におさまっていたら正常だが、自分の場合は2000Hzあたりを境に高周波数領域で気導聴力が落ちていることが分かる。
喫煙と騒音による感音性難聴
なぜ自分が40代にして感音性難聴になったのか、その理由は恐らく
- 騒音
- 喫煙
この2つが関係したと思っている。
中学生の頃からハードロックやへヴィメタルを大音量でヘッドホンで聴き、大学生の頃にはプレハブの軽音楽部室に籠もって長時間バンド練習をしていた。
それはそれは耳に悪い15年間だったと思う。
騒音性難聴の典型的なオージオグラムは下記のようになるのだが、
発症間もない頃であればまだしも、4000Hzあたりで低下した高音域聴力が、その後も同じレベルでずっと維持されるわけではない。
どこかの時点で騒音により傷んでしまった自分の聴力は、加齢の影響も加わりながら、その後経時的に低下し続けたのだろう。
そこに拍車をかけたと思われるのが、「喫煙」である。
タバコは末梢の血流を悪化させるが、それは蝸牛有毛細胞も例外ではない。
5万人を最大8年間追いかけた研究*2では、喫煙者は非喫煙者に比べ高音域聴力低下のリスクが60%高く、そのリスクは喫煙本数の増加に伴い上昇するとのことである。
今はもう禁煙して何年も経つが、大学時代は金もないのに当時一箱230円のセブンスターを毎日2〜6箱ぐらい吸っていた。
のり弁が290円の時代、300円しかポケットになく腹が減っていても、選ぶのはのり弁ではなく必ずセブンスターだった。「ロックな生き様」とは、そのようなものである(勘違い)
セブンスターを吸いながらギターを弾き、本を読み、酒を飲み、医者になった。
爆音とタバコで耳を傷め続けた青春時代。
あの頃に戻ってもまた同じ事を繰り返すのだろうと確信できるほど荒みながらも楽しい時代だったが、現実に戻ると、そこにいるのは患者さんの声が聞き取りにくくなっている中年医師である。
40代にして既に70代の聴力を持つに至ったことを進化と呼びたいのは山々だが、残念ながら退行である。
そして僕は、補聴器を買った。
患者さんからは「話をよく聞いてくれる先生だ」と褒めてもらうことが多いけれども、実際は耳が遠いので集中して聞いているだけなのは、ここだけの話。
(完)