鹿児島認知症ブログ

鹿児島でコウノメソッドや糖質制限を実践している脳神経外科医のブログ

主介護者の無慈悲な一言。

病気を切っ掛けに、外出しなくなってしまったAさんを紹介する。

 

家に引きこもり、日がな預金通帳を眺めているうちに「俺の預金がこんなに少ないはずはない。誰かに盗られたに違いない!」と妄想を抱き、ついには銀行に怒鳴り込むようになった。

 

何度か警察沙汰にもなり、困り果てた家族に伴われて当院受診となった。

認知症というより発達障害圏内

 

「なぜオレがこんなところに!?」という訝しげな表情で、Aさんは外来に現れた。

 

病識はなく、傲岸ともいえる態度で診察に臨むその後ろには、萎縮した表情のお子さん達の姿があった。

 

この様子から、「強大なAさんの父権のもと、家族は怯え遠慮がちに生きてきたのかな?」などと想像し痛ましい気持ちになった。

 

このような場合、家族の希望とは真逆の声かけから診察を始める必要がある。「あなたは大丈夫なんですよ」と。

 

数年前から放置されたままになっていた高血圧症や糖尿病に話のとっかかりを見出し、宥め賺して降圧薬と血糖下降薬を再開することに成功した。そして、易怒性に対しては黄連解毒湯をそっと忍ばせるように入れた。「高血圧にいいですから」と言い添えて。

 

いずれも朝1回だけである。

 

あとあと工夫を追加する余地を作っておくために朝夕内服を提案したのだが、残念ながらにべもなく却下された。サプリメントの情報も提供したが、ご家族は「金銭的に無理」とのことであった。

 

長谷川式テストは16/30で遅延再生は1/6。ただし、日時見当識は4/4と完璧で、野菜語想起は諦めが早く一つも言おうとしなかった。透視立方体模写はやや拙劣で、時計描画は4分割で終了。

 

日時見当識が高得点で遅延再生が低いHDSR

 

視空間認知の衰えや遅延再生の低さからアルツハイマーの可能性なしとはしなかったが、それよりも、年齢とともに性格を拗らせたような、自閉症スペクトラム(ASD)圏内にいる印象を強く持った。

 

当たり前のことだが、火に油を注ぐだけになりかねないので抗認知症薬はこのような場合には通常処方しない。

 

数度の診察を経て少しずつAさんも通院に慣れてきた観はあったが、その間にも銀行に怒鳴り込んでは警察に叱られるということを度々繰り返していた。

 

ただし、これまで頑として病院に行かなかったAさんが当院に通院するのは嫌がる様子がないことに、自分やAさんのお子さん達は希望を繋いではいた。

 

そして、ある日のこと。

 

これまでの通院は全てお子さん達が同伴していたのだが、同居の奥さんが「私も先生に言いたいことがある」とのことで初めて一緒についてきた。

 

そして、お子さん達と一緒に診察室内に入ってくるなり、夫の病状(≒夫への不満)を盛大にぶちまけ始めたのだった。

 

案の定、自分が家族を困らせているなど思いもしないAさんは激怒してしまった。

 

完全にスイッチが入ってしまい、終いには諫めようとするお子さんに手を挙げ始めたので、見かねて

 

「今日はこれぐらいにしましょう。僕が気にしているのはAさんの血圧と糖尿病のことだけですからね」

 

と言うと、表情が和らぎ診察室を出て行った。

 

一方、奥さんはしれっとした様子で「私は我慢ばかりしないといけないんでしょうね!」と言い捨てて帰って行った。

 

認知症外来でみられる構図

  

医者、患者、家族の三者それぞれが望むところは、最初からずれていることが多い。

 

「みんなで頑張って認知症を治療しましょー(^^)/」などと一致団結することは、まずもってない。

 

仮に患者がアルツハイマー型認知症だったとして、一般的な認知症外来では恐らく

 

  • 医者=認知症の進行を遅らせよう(≒抗認知症薬を使おう)
  • 患者=自分は認知症ではないけど、なぜかここにいる
  • 家族=困っている現状をなんとかして欲しい

 

このような構図になっていると思われる。

 

「自分は病気だ」という認識(病識)がない患者に対して、医者が「あなたの認知症を治療します」と言っても、当たり前だが距離は縮まらない。

 

かといって、病識のない人に「あなたは認知症ではありませんよ」と言うのも妙な話ではある。

 

しかし、患者の体裁を思えば「あなたは認知症ではありませんよ」ではないにしろ「大丈夫だと思いますよ」ぐらいは言ってあげたいし、実際多くの医者はそうしていることと思う。

 

しかし家族は、

 

「本人には自分が認知症だという自覚を持って欲しい。自分達の言うことを素直に聞いて欲しいし、そうなるように治療をして欲しい」

 

と願っていることが多いため、「あなたは認知症ではありませんよ、大丈夫ですよ」という、患者の体裁を思っての医者の言葉に逆上することがある。「そんなはずはない!」と。

 

そのような事態を回避するために、患者と家族別々で話をすることも多いのだが、残念なことに外来時間は有限なので、それが出来る機会は限られる。

 

要は、上記の構造のままで認知症外来を運営していたら、大体は詰むということである。

 

詰んでいる認知症外来とは、

 

  • 患者は黙って下を向くか「我関せず」と適当に座っている
  • 医者はモニターを見ながら話している
  • 家族は質問出来ないか、質問しても取り合って貰えない

 

このような感じで、患者や家族の相手をするのに飽き疲れた医者が、いつものようにいつもの抗認知症薬を処方し続ける。

 

詰んでいる外来とは、そのような外来である。

 

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他にも、

 

  • 医者=認知症の進行を遅らせよう(≒抗認知症薬を使おう)
  • 患者=自分は認知症ではないけど、なぜかここにいる
  • 家族=認知症の進行を遅らせよう(≒抗認知症薬を使おう)

 

このような構図もある。

 

進行を遅らせることが出来ているかどうかは不明だとしても、目立った副作用が出ていない場合、「認知症はどうしても進行していくからね~」と医者と家族が一致していれば、両者の満足度はそれなりにあるのかもしれない。

 

「家族」の主体性に、働きかけ続ける

 

では、自分はどうしているか。

 

認知症患者さんに「あなたが変わりなさい」と望むのは酷なことだが、家族は変われる可能性を持っているので、家族の主体性に働きかけるような説明を心がけている。

 

認知症とはどのような病気なのかを理解しようとし、薬の使い方や注意点を覚え、陽性症状への対処の仕方などを学んでいくうちに、徐々に変化してくる家族は確かにいる。

 

その変化は、「困っている現状を何とかして欲しい」から、「なんとかしたい」という、主体性の現れとして感じることが出来る。

 

医者もまた、変わる必要がある。

 

それは、「認知症を治療しよう(≒抗認知症薬を使おう)」ではなく、「(家族が)困っている現状を何とかしよう」と、家族に寄り添う方向へ変わるということである。

 

そうすると、認知症外来における構図は以下の様になる。

 

  • 医者=困っている現状を何とかしよう
  • 患者=自分は認知症ではない
  • 家族=困っている現状をなんとかしたい

 

認知症外来では「三方よし」とは中々いかない。患者が自発的に変わってくれることに期待出来ないからである。しかし、医者と家族が変わることが出来たら、「二方よし」は狙えるかもしれない。

 

いつも、そのようなことを考えながら診療している。

 

ここで、話をAさんに戻す。

 

Aさんの場合、

 

  • 医者(自分)=困っている現状を何とかしよう
  • 患者(Aさん)=自分は認知症ではない
  • 家族(奥さん)=困っている現状をなんとかして欲しい

 

である。

 

お子さん達は出来る範囲で声かけの工夫などしていた。しかし、同居している奥さんは既にかなりの高齢でもあることから、主体性を発揮することはもはや困難と思われた。

 

「毎日おかしなことばっかり言って。アンタは仕事をしていないのに、なんで今でも現役のつもりでいるのね。通帳のことも何度も言うのに分からないで周りを困らせて・・・!」

 

患者が気分を害するであろうことに触れないよう気をつけながら世間話につとめ、お子さん達には薬の副作用や薬の調整法、周辺症状への対処法などを説明しつつ、6ヶ月かけて構築していった関係性も、上記の奥さんの発言一発で台無しになった。

 

やり直せるかどうか分からないし、諦観がないわけでもないが、とにかくやり直しである。

 

高血圧や糖尿病から何とかとっかかりを見出して、一日2回の内服を許容してくれたら黄連解毒湯を増やしてみよう。

 

黄連解毒湯で易怒性減退が得られなければ、ASD(自閉症スペクトラム)の印象もあるので、角が取れて丸くなることを期待して人参栄養湯を使ってみよう。

 

それでもダメなら、チアプリドを100mg/dayを上限設定として開始・増量してみよう。

 

それでもダメなら・・・・。

 

 

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