「せんせーい、会いに来たよ~今日も膝に電気を当ててね~」
ヨシエさん(仮名)は、若くして夫を亡くした後、女手一つで5人の子どもを育て上げた女傑だ。今は田舎で独り暮らしている。
抱きつかんばかりの勢いで診察室に飛び込んできた後、ヨシエさんはソファーに腰掛けじっと黙って前を見ながら、付き添いの娘さんと僕との会話に耳を澄ましている。時に膝をそっとさすると、ニコーッと笑ってくれる。そしてまた前を見て沈黙に戻る。
診察前の待合室では目を瞑り何度も深呼吸しているのだと、いつだったか娘さんがそっと教えてくれた。
明るく、そつなく、失礼のないように。そんな風に生きてきたのだろう。
80歳ギリギリになるまで働き、辞めた後は畑仕事をしながら暮らしていた。そのうち膝を悪くし、また耳も遠くなったため家に籠もりがちになったヨシエさんに、近所の人たちは何くれと声をかけてくれた。
「親を放っておいてはダメよ。早く病院に連れていってあげないと。ニンチが入っていると思うよ」
「明日は我が身」と思っているからなのか、病院受診を熱心に勧めてくるご近所さんの言葉に娘さんは軽く傷つきながら、感謝もしていた。
そうして何かに運ばれるように、ヨシエさんは僕の所にやってきた。
「ヨシエさん、デイサービスに行きましょうよ。絶対に人気者になれますって。」
誰かに頼られることが好きな人に、「人気者」という言葉は時に刺さる。
果たしてヨシエさんはデイサービスに行くようになり、みるみる元気が出てきた。
1年前は20点だった長谷川式テスト(30点満点)が、今では27点とれている。認知症の薬やサプリメントは使っていないが、多すぎる薬の整理はした。
「ヨシエさんは多分、膝の治療のために通院していると思っているのだろうな」
そう考えるだけで、僕は楽しい気分になる。
タライいっぱいに水を張って、それを一滴たりともこぼさぬよう必死で生きている人たちがいる。
その水は自分のものだったり他人のものだったりするけれど、タライのなかでは混ざっているから分からない。分からないけれど、「人様の水かもしれないからこぼすわけにはいかない」と考える人は、タライのバランスを必死で守る。
そうして年を重ね、いつかはタライに穴が空いてくる。小さく空くのか大きく空くのか、自分では決められない。
誰かの水を必死に守ってきた人のタライに穴が空いたら、誰かが気づいて穴を埋めようとしてくれる。
楽しい気分だったからなのだろう、ある日僕は思いつくままにそのような話をした。
娘さんは、目にいっぱい涙を溜めていた。
じっと前を見つめているヨシエさんの膝をそっとさすると、いつものようにニコーッと笑ってくれた。
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