医者人生で獲得できるトロフィー(栄誉)とは何であろうかと考えたとき、世俗的なところでは
- 研究や学会発表が認められて賞を貰った
- 博士号を取得した
- 専門医を取得した
- 大学で昇進を重ね、教授の地位に就いた
- 手術の腕を磨き、多くの患者の命を救った
- 画期的な創薬に関わり、多くの患者の命を救った
ザッとこのような事が頭に浮かぶが、ほとんどの医者に共通するトロフィーとは恐らく、
「先生ありがとうね」
という患者さんやご家族からの感謝の言葉だろう。
先日、ある患者さん(以下Aさん)の娘さんがご挨拶にいらした。
「先生、やっと来ることができました。もっと早くにお伺いするべきだったのですが・・・」
Aさんが亡くなってから、1年4ヶ月が経っていた。
体調不良をきたしたAさんの入院手配したのは自分だったので、亡くなったことは紹介先から情報提供を受けて知ってはいた。
ご挨拶に来て頂いたことに謝意を述べ、在りし日のAさんのことをしばし語らった。娘さんはずっと、泣きながら笑っていた。そして、深々と頭を下げて帰って行かれた。
長くかかりつけだった医者から運転免許取り消しの診断書を書かれ、説明を希望するも門前払いされたことに激怒し荒れ狂う日々を過ごしていたAさん。
父親の苦悩を見かねた娘さんが当院に飛び込んで来られた時から始まったお付き合いは、約2年で幕を閉じた。
生前のAさんから頂いていた「ありがとう」と、Aさんが亡くなってから娘さんから頂いた「ありがとう」は、いずれもかけがえのないトロフィーである。
よき医療は社会のスタビライザーたり得るか
トロフィーを積み重ねるたびに、これまで以上に「死者の眼差し」を意識するようになっていく。
死者とは勿論、亡くなった患者さん達のことである。
人はいつかは世を去るが、もし生前に医者から癒やしを得ていたら、その癒やしのエピソードは残された人たちによって語り継がれる。
「うちのお父さんは、〇〇先生に優しい言葉をかけて貰った」
「私はね、子どもの頃に〇〇先生に命を救ってもらったんだよ」
文明の黎明期から存在したであろう医者という職業の正の面は、そのようにして連綿と語り継がれてきたに違いない。
イギリスの作家G・K・チェスタトンは、著書の「正統とは何か」でこう書いている。
伝統とは、あらゆる階級のうち最も陽の目を見ぬ階級に、つまり我らが祖先に、投票権を与えることを意味する。死者の民主主義なのだ。単にたまたま今生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどというのは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何ものでもない。伝統はこれに屈服することを許さない。
因習は打破されるべきだが、良き伝統が残っていけば、それは社会のスタビライザー(安定装置)となる。
医学の徒である自分としては当然、医学(医療)が社会のスタビライザーであって欲しいと願う。
チェスタトンの箴言は胸に響く。死者のことを忘れずに繋いでいくことの大切さを教えてくれる。
「傲慢になるな。世を去った患者を忘れることなく、今を生きる患者を丁寧に診よ。」と、強く語りかけてくる。
ギルバート・キース・チェスタトン
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