鹿児島認知症ブログ

鹿児島でコウノメソッドや糖質制限を実践している脳神経外科医のブログ

幻視に関する雑感(シャルル・ボネ症候群など交えながら)

  認知症外来をしていると、”幻”の話を聞くことが多い。

 

我が国には「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という俳句があるが、「妖精を見た」とか「神が顕現した」といった古今東西の逸話のうち幾分かは、当時の人々が見た幻視なのだろう。

80代男性 DLBが疑われて来院となった方(NH)

 

初診時

 

「ヤクザの二人組に付け狙われている。向こうは上手く隠れているつもりだろうが、必ず痕跡を残しているので自分には分かる。もし何か自分に起きたら、このノートを持って警察に行ってくれ」

 

このようなことを10年近く前から言うようになり(奥さんにだけ)、普段から外出時は異様なぐらい身辺に注意を払っているらしい。

 

母親から最近このことを聞いた息子さんは、「ひょっとして、レビー小体型認知症では?」と考えた。

「病院に不信感を持っている父なので、”健康診断”という体でお願いします」とのことで来院。

 

(診察所見)
HDS-R:30
遅延再生:6
立方体模写:可
時計描画:可
IADL:5
改訂クリクトン尺度:5
Zarit:12
GDS:5
保続:なし
取り繕い:なし
病識:なし
迷子:なし
レビースコア:ー
rigid:なし
幻視:あり?
ピックスコア:ー
FTLDセット:ー
頭部CT所見:円蓋部萎縮のみ
介護保険:なし
胃切除:なし
歩行障害:なし
排尿障害:なし 便秘あり
易怒性:あり
傾眠:なし

(診断)
ATD:
DLB:
FTLD:
その他:

(考察)

 

ヤクザの話は訂正不可能。確信に満ちた話しぶりである。

 

「ヤクザ達は何のためにBさんをつけ狙っているのですか?」と聞くと、「それは分からないが、何らかの意図があるのでしょうね。しつこい連中です」という返事。

 

投薬のご希望があったので、まずは抑肝散を朝夕1包ずつ試すことにした。

 

長谷川式テストは30/30で認知の変動はなく、また幻視以外の中核的特徴も認めないので、DLBの可能性は恐らくない

 

息子さんも奥さんも、腫れ物を触るような扱い。もの凄く几帳面で真面目そうな印象の方。

 

1ヶ月後

 

「興奮度が半分に減りました。夜は眠剤なしで眠れるようになりました。」

 

開口一番、Bさんは嬉しそうに仰った。

 

抑肝散を飲み出してすぐに好変化の実感があったようで、それを伝えようと今回の来院を楽しみにしていたようだ。

 

ヤクザの話だが、特に自分から奥さんに言うことはなかったよう。

 

来院日の直前に、奥さんが確認のつもりで恐る恐る「そういえば、いつものヤクザは最近はどうなの?」と聞くと、「このあいだ見たよ。いや、確信はないけど・・・」との返事だったようだ。

 

抑肝散は飲みやすくておいしく感じるとのこと。合っているのだろう。しばらく朝夕内服で継続。

 

(一部引用終了)

 

幻覚と妄想の違い

 

まずは幻覚と妄想の定義を確認。

 

幻覚(げんかく、英語: hallucination)とは、医学(とくに精神医学)用語の一つで、対象なき知覚、即ち「実際には外界からの入力がない感覚を体験してしまう症状」をさす。聴覚、嗅覚、味覚、触覚などの幻覚も含むが、幻視の意味で使用されることもある。実際に入力のあった感覚情報を誤って体験する症状は錯覚と呼ばれる。(Wikipediaより引用)

 

妄想(もうそう、英: delusion)とは、その文化において共有されない誤った確信のこと[1]。妄想を持った本人にはその考えが妄想であるとは認識しない(むしろ病識がない)場合が多い。精神医学用語であり、根拠が薄弱であるにもかかわらず、確信が異常に強固であるということや、経験、検証、説得によって訂正不能であるということ、内容が非現実的であるということが特徴とされている。(Wikipediaより引用)

 

 

幻覚という言葉は一般的に、幻視の意味で使われていることが多いと思う。

 

高齢者の「いつの間にか誰かが家に来て、いつの間にか出ていった」という訴えを聞いたとき、それが妄想なのか幻視なのか判断に迷うことが多々ある。

 

その場合、「人がありありと見えはするが、それが話しかけてくることはない」という内容であれば幻視なのだろうと、自分は判断している。

 

一回こっきりの訴えに引きずられすぎないようにすることと、「子供や小動物、虫が見える」といった幻視の典型例の確認に努めることも大切である。こちらから聞かなければ、教えてくれない患者さんは多い。

 

確信的に話すBさんの様子から、当初は「うーん、これは妄想かな?」と思っていたのだが、ヤクザの服装や乗っている車の色などを、あまりにも細かく具体的に説明するので、「これは妄想ではなく幻視なのだろう」と判断した。

 

幻視については、オリバー・サックスの著作群がとても勉強になる。

 

マーロンはこの二年のあいだに、いつも茶色い革のコートを着て、緑色のズボンをはき、カウボーイハットをかぶった、謎の男も見るようになった。誰だかわからないが、この男性は特別なメッセージか意味を持っていると感じている。ただ、そのメッセージないし意味はとらえられない。この人影は遠くに見えていて、けっして近づくことはない。

〜中略〜

マーロンは、小さい不吉な三人組の男も見たことがある。「FBIみたいで、遠く離れています。・・・・現実味があって、本当に醜くて悪いやつに見えるんです」。マーロンによると、彼は天使と悪魔を信じていて、この男達は邪悪だと感じる。自分は彼らの監視下に置かれていると、疑い始めている。(「見てしまう人びと」p40より引用)

 

この幻視の内容とBさんの訴えには、多くの共通点があるように思う。

 

ただ、ここで紹介されている「マーロン」は、失明寸前の進行性緑内障患者という点で、Bさんとは条件が異なる。

 

弱視、もしくは失明した患者が明瞭な幻視を訴えることがあるが、その現象は命名者の名前をとって「シャルル・ボネ症候群」と呼ばれている。

 

www.ninchi-shou.com

 

視覚に問題のないBさんなので、シャルル・ボネ症候群とは呼べない。

 

シャルル・ボネ症候群の患者は、目の前に見えていること(幻視)が、現実ではないことが分かっているという。自分がこれまでに経験したシャルル・ボネ症候群の方達も、そうであった。そして、シャルル・ボネ症候群の方達には経験上、抑肝散が著効する印象を持っている(ここ大事)。

 

Bさんの場合はどう考えたらよいだろうか。

 

具体的かつ確信的にヤクザの話をするのだが、「これは何か普通ではない」という感覚も、どこかに持っているように自分には感じられた。

 

なので、シャルル・ボネ症候群の幻視と同様に考えて抑肝散を処方したところ、結果的には先述したようにまずまず上手くいったように感じた。

 

ただ、ヤクザを見たかどうかという奥さんの質問に対する「このあいだ見たよ。いや、確信はないけど・・・」という返答からは、これまでは確信に満ちていた妄想が抑肝散で薄らいだという風に考えられなくもないので、自分の中では「絶対的に幻視だろう」とまでは言えないのが正直なところである。

 

ところで、Bさんの「興奮度が半分に減った」という表現。

 

「抑肝散を飲んで初めて自分が興奮していたことに気づいた」、そのようなニュアンスが感じられる。

 

  • 10年前に一度、何か「見えた」と感じた
  • そのことを脳が覚えており、「ひょっとしたらまた見えるのでは?」と警戒することで、外出の際に脳が常に”興奮”するようになった
  • その脳の興奮が、幻視を惹起した
  • 脳の興奮を抑肝散が鎮めることで、幻視が軽減した

 

Bさんの脳内では、このようなことが起きていたのかもしれない。*1

 

幻視の対策と治療について

 

幻視は、レビー小体型認知症(DLB)の中核的特徴の一つとして、近年かなり人口に膾炙した観がある。医療関係者ではない息子さんがまずDLBを疑ったというのも、「幻視≒DLB」という観念が一般に浸透している証左と言えるだろう。

 

ただ、この「幻視≒DLB」という観念が医療関係者、特に医師の間で一人歩きすると、不用意な抗認知症薬や抗精神病薬の処方に繋がる恐れがある。

 

実際に、そのような不用意な処方の後始末は少なからず経験してきた。

 

自分の場合、「折り合いの付いている幻視*2」であれば経過観察とすることが多い。

 

例えば、

 

『庭をみながら、お婆ちゃんがにこにこ笑っている。「お婆ちゃん、楽しそうだね?」と聞くと、「あそこで遊んでいる子供達は可愛いね。どこの子だろうね?」と答える。』

 

このような幻視。

 

高齢者の幻視はいつの間にか訴えなくなることもあるので、ADLを脅かすようでなければひとまずは様子観察を勧めている。

 

ただし、

 

『夜中にトイレに行くと、必ず女の人が隅に立っている。話しかけてくることはないが、気味が悪いのでトイレに行けなくなった。』

 

このような幻視は、積極的に投薬治療を検討すべきかもしれない。

 

薬の選択だが、緊急性が低ければ大抵は抑肝散から始めている。幻視が出現する時間帯が決まっていれば、その少し前に一包飲んでもらうようにしている。

 

抑肝散で全く改善がなければ、次の選択肢は0.2〜0.75mgのセレネース。もしくは6.25〜25mg程度のクエチアピン。

 

いずれも抗精神病薬なので、「出来れば使わずに済めば・・・」という想いは勿論あるのだが、そうはいってもいられない事態はある。

 

他の疾患と比べて、パーキンソン病やレビー小体型認知症の方は幻視を見ることが多い。なので、必然的に投薬が必要になるケースも多い。

 

セレネースは薬剤性パーキンソニズムを起こす可能性があり、クエチアピンは眠気から転倒を起こす可能性のある薬である。

 

「パーキンソニズムを悪化させ得るセレネースを、パーキンソン病に使うとは何事か!」

 

という考えはあるだろうが、「クエチアピンを50mg使って消えなかった幻視がセレネース0.2mgで消えた」という経験を持つ自分は、”慎重に”という留保付きで、今でもセレネースを幻視対策の選択肢の一つとして残している。

 

 

見てしまう人びと:幻覚の脳科学
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(統合失調症患者が自身の幻覚を描いた絵。Wikipediaより引用) 

*1:この”脳の興奮”は、「後頭葉と下部側頭葉におけるニューロンの発火」と言い換えられるようにも思う。そうすると、「てんかんの可能性は?であれば、抗てんかん薬の内服をしてみたらどうなのだろう?」などと想像が膨らむ。

*2:Bさんはほぼ10年間に渡り幻視の内容が一定で拗らせることはなく、本人の日常生活はそれなりに安定していたが、家族は困っていた。これは無視できない。家族の心情に配慮しながら最もよい落としどころを検討した結果、抑肝散処方に落ち着いた、ということである。