鹿児島認知症ブログ

鹿児島でコウノメソッドや糖質制限を実践している脳神経外科医のブログ

「統計学的に正しい」=「医学的に正しい」?

 ある薬が世に出るためには通常、プラセボ(偽薬)もしくは同ジャンルの他剤との比較対照試験を行い、最低でも非劣勢(劣ってはいない)を示す必要がある。

 

いつものようにアリセプトを例に取るが、添付文書からは以下のような試験を経て世に出たことが分かる。

 

アリセプト添付文書

 

1. 軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症
軽度及び中等度のアルツハイマー型認知症患者268例を対象にアリセプト錠5mg(3mg/日を1週間投与後、5mg/日を23週間投与)又はプラセボを24週間投与する二重盲検比較試験を実施した。
最終全般臨床症状評価において5mg群はプラセボ群と比較して有意に優れていた。「改善」以上の割合は5mg群17%、プラセボ群13%、「軽度悪化」以下の割合は5mg群17%、プラセボ群43%であった。(上のキャプチャ画像と共に、アリセプト添付文書より引用)

 

軽度悪化以下の割合がプラセボ群において多く認められ、このことで「アルツハイマー型認知症における認知症症状の進行抑制」を、効能効果として謳うことを許されたのだろう。ちなみに試験期間は24週、つまり6ヶ月。

 

演繹法による処方

 

薬を処方するには、何らかの根拠が必要である。

 

根拠を得るために用いる推論には、「演繹法」と「帰納法」いう方法がある。

 

演繹法による臨床推論

 

これは、演繹法を用いてアルツハイマー型認知症の患者さんにアリセプトを処方した、と仮定して描いた図である。メーカーの説明や治療ガイドラインを参照する限りは、一般的にはこのような根拠(思考過程)でアリセプトは処方されているのかなと思っている。

 

演繹法とは、何らかの大前提から結論を導く思考法のことである。例えば

 

人間はいつか必ず死ぬ(大前提)→僕は人間だ→なので、僕はいつか必ず死ぬ(結論)

 

これは演繹法に基づいた推論だが、正しい大前提に基づき正しい結論が導かれている。

 

自分で仮定した図にツッコミを入れるのはどうもアレだが、まず大前提となる比較対照試験は、「医学的に正しい」と言えるのかどうか。

 

「アリセプト5mg群がプラセボ群よりも有意に優れていた」との結果だが、有意(有意差)とはそもそも、統計学上の言葉である。

 

試験結果は統計学的には正しいと言えるかもしれない*1が、医学的に正しいと言えるかは分からない

 

医学的な正しさの定義は様々であろうが、自分であれば「患者さんが良くなれば、その治療は医学的に(一部にしろ)正しい」と考えたい。または、「生化学的な〇〇という項目の数値が改善した結果、〇〇という症状が改善した」でもよい。

 

ただし、医学的な正しさの絶対的定義は困難という理由で、統計学的正しさを便宜上利用するという話なら分からないでもないが、「統計学的に正しい」=「医学的に正しい」とは出来ないと思う。

 

上記臨床試験の結果は、"アリセプト5mgを使って症状に改善が得られたもいれば、悪化したもいた。しかし、「アリセプト5mg」と一括りにすると、プラセボと有意差がついた"、というだけのことである。それ以上でもそれ以下でもない。

 

「群」と一括りにすることで「個体差」は見えにくくなる。

 

更に、①の「目の前の患者さんは、アルツハイマー型認知症である」という前提だが、これも正しいとは限らない。

 

臨床の現場での認知症診断は、あくまでも推測診断である。病理確定診断ではない。*2 

 

www.ninchi-shou.com

 

よって①の前提もまた、確実に正しいとは言えない。

 

確実に正しいと言えない大前提や、その前提に基づいた②「Aさんにアリセプト5mgは効く」は、正しい結論ではない可能性がある。

 

このように、ある臨床試験の結果を前提として演繹法に基づき処方を行うということは、

 

統計という数学的処理によって有意差が出ただけの、医学的に正しい観測結果ではないかもしれない前提に基づき、かつ、その間に複数の変数を組み込み結論を出す、バクチのようなもの

 

である。*3

 

バクチに勝てば、病状の改善が得られるかもしれない。負ければ病状の改善は得られない。場合によっては副作用が出る。

 

帰納法による処方

 

この「バクチ」に医者が高確率で勝利するためには、帰納法によるフィードバックが欠かせない。

 

帰納法による推測処方

 

「これまで自分が処方してきたアリセプトで、改善した人も悪化した人もいた。その差は何だったのだろう?」ということを常に考え続け、①の診断精度をより高め、②を「〇〇という共通項を持った人であれば、アリセプトは大体80%ぐらいは安全に処方出来る」といったレベルに高めるためには、帰納的推論と経験を積んでいくしかない。

 

一方、患者家族側がバクチに勝ちたければ、「自ら」情報を収集して学習することは重要であろう。

 

「〇〇人を対象とした大規模臨床試験の結果では〜」を自分に当てはめてよいのかどうか、医者側からもたらされる情報だけで判断することはお勧めしない。それでも、情報の取得源を主に医者に頼りたい方は、このように聞いてみたら良いと思う。

 

  「先生の今までの経験で、アリセプトで良くなった人はどのように良くなりましたか?また、悪くなった人はどのように悪くなりましたか?進行を抑えるために、必ず飲まなくてはならない薬なのですか?」

*1:扱う変数や統計処理上の手法で、いかようにも結果が変わりうるのが統計の世界ではある。

*2:アミロイドPETやTau-PET、脳脊髄液を採取してAβ42やリン酸化タウを測定することで、病理的確定診断に近づくことは出来るかもしれない。しかし、その疑似確定診断後に待っている処方薬がアリセプトであれば、そこまでコストをかけてやるほどのものか、疑問に思う。

*3:病因のみを修飾でき、かつ他の身体部位に影響を及ぼさない薬剤であれば話は別だが。